紙の本
シェイクスピアの家族の物語に涙した
2023/09/26 15:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タラ子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
シェイクスピアにはハムネットという幼くして亡くなった息子がいた。
あまりにも有名なシェイクスピアという人物のあまり知られてこなかった家族の物語。
シェイクスピアはなぜ亡き息子の名を戯曲にしたのか。
この問いを本の帯で読んだとき、この本を手に取らずにはいられなかった。
この物語はあくまでフィクションだが、子を失った親の思いがひしひしと伝わってきて、その問いの答えが明らかになるシーンでは胸が震えた。
また、決して癒えることのない苦しみを、シェイクスピア彼にしかできない方法ではきだし、昇華したというところに、今まで数々の傑作を世に出してきた天才というイメージしかなかったシェイクスピアという人物に、人間らしさ、また親しみを感じた瞬間だった。
改めてハムレットを読もうと思った。
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シェイクスピアの名作『ハムレット』誕生のいきさつを、悪妻としての印象が強く史実が謎に包まれている彼の妻アグネスの観点から大胆に描きなおした作品。
シェイクスピアは8歳年上の女性アグネスと結婚し、長女を生んだのち、長男ハムネットと次女ジュディスという双子を生む。しかし、当時の社会はペストの大流行期であり、このパンデミックの中でハムネットは命を落とす。その過程の中で夫婦の関係性は徐々にぎくしゃくしていき、シェイクスピアが死に打ちひしがれているアグネスに何も告げずに息子の死をモチーフとした「ハムレット」を書き上げることで、夫婦の緊張感はピークを迎える。
物語の時制として、シェイクスピアとアグネスの結婚・子どもとの生活を描いた現在を軸に、アグネスの幼少期などの過去のエピソードが並列に挟まっていくため、正直最初はやや読みながら混乱してしまう。しかしながら、徐々にエピソード間の関連性がクリアに見えてくると物語のドライブ感が高まっていく。
徹底的に女性の立場からシェイクスピアを、そしてその傑作『ハムレット』誕生のいきさつを語るという点で、典型的な史実とは異なる一種の語り直しとして、非常に優れたフィクション作品。
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髪を飾る花冠のために野に咲く草花を摘みに行く話といい、双子の兄妹の入れ替わりといい、魔女の予言によって夫の出世を知った女が、夫をその気にさせ、いざ事が成就した暁にその報いをうける運命の皮肉といい、人に知られた悲劇、喜劇を換骨奪胎して一つに縒り合わせ、マギー・オファーレルは一篇の小説に仕立て直した。これはある「比類ない人」に捧げる一篇の叙事詩なのかもしれない。
多国間を旅する商船のキャビンボーイが、寄港したアレクサンドリアの港で猿使いの猿から一匹のノミをうつされる。やがて、それは船で飼われている猫に、船の中のネズミにと宿主を変えていき、多くの死者を出しながら、船は各国の港に停泊する。船員たちが「アフリカ熱」と呼ぶそれは、死に至る症状のせいで「黒死病」とも呼ばれる「腺ペスト」のことだ。今に変わらず、当時も世界はパンデミックに見舞われていた。
そんな時代のイングランドの話。ロンドンから馬で何日もかかるウォリックシャーはストラトフォードで手袋商を営む一家がいた。十八歳になる長男はグラマースクールも出てラテン語に熟達しているが、手袋を作ったり売ったりすることに興味が持てず、屋根裏部屋で本を読んだり、何かを書いたりしていた。当然、父親はそんな息子のことが気に入らず、何かといえば癇癪をおこして手を上げるので、二人の仲は険悪だった。
ある日、父親が借金の肩代わりに息子に家庭教師をさせる約束を取り付けてくる。仕方なく出かけた農場で、ラテン語教師は農場の娘に出会う。アグネスは先妻の子で、継母は自分になつかない長女を嫌っていた。腕に鷹を止まらせた長身の娘のことは、町で噂になっていた。人の皮膚をつまんで過去や未来を読み、薬草で病気を治すことができる娘を、人々は頼りにしながらも恐れ、中には魔女と呼んだり、頭がおかしいと言ったりする者さえいた。
二人は結ばれ、結婚の約束をするが、一つ問題があった。アグネスには父の遺産があり、八つも年下の手袋商の息子との結婚を継母が認めるはずがなかった。しかし、アグネスが妊娠したことで問題は解決。若夫婦は手袋商の家の離れで暮らすようになる。てきぱきと家事をこなすだけでなく、下働きの者たちへの指示も的確で、手袋商の家は見ちがえたようになる。やがて、二人の間に子が生まれる。ハムネットとジュディスという双子の兄妹だ。
二人はすくすく育つが、その父親は祖父との間にある軋轢で自分を見失っていた。夫の体から嫌な臭いがしてきたことで、アグネスもその危機的状態を知る。夫の皮膚と肉をつまんだときから、彼女には彼が大きな世界に出て行く人だと分かっていた。そのためには夫はこの家を出てロンドンに行く必要がある。アグネスは実の弟の助けを借りて、祖父をその気にさせることに成功する。
この小説は、幼いハムネットが医者を呼びにいくところから始まる。妹が熱を出したのに家に大人がいないのだ。小説や戯曲に主人公の名をつけるのはよくあることだが、ハムネットは主人公ではない。ただ、彼の存在が小説の核となっている。ハムネットが語る現在の物語に彼の誕生以前、両親の出会いから結婚に至るまでの過去の物語が、カットバックで挿入される。場面が変わるたびに、ハムネット、父、母、姉、と視点はくるくる入れ替わる。
張られていた伏線が一気に回収される。ジュディスの病気は腺ペストだった。アグネスと義母の必死の介抱の甲斐あってジュディスは奇跡的に助かるが、それで済むはずがなかった。ジュディスの看病にかかりきりだったアグネスたちの目をすり抜け、病魔はハムネットに襲いかかる。服を交換した二人が入れ替わって家族をからかうのはハムネットが考えた遊びだった。ハムネットは死神の目をごまかそうと妹の服を着て妹のベッドで寝たのだ。
息子が母を探し回っていた時、アグネスは蜜蜂の様子を見に実家の農場に帰っていた。蜜蜂の世話をし、ついでに野に咲く草花を集めている間、ハムネットは一人で妹を助けようと必死だった。「どこへ行ってたのさ」と母を責めるハムネットの声が耳に蘇る。こんな大事な時に、父親をロンドンに行かせたのも私だ。人の未来を読めるはずの自分が大きな過ちを犯してしまった、という思いがアグネスを追いつめる。なまじ、人の未来が読め、病気を治す力が自分にあることが悔やまれてならない。
そんな時、夫の劇団の新作が『ハムレット』と知ったアグネスは夫の真意を考えあぐね、ロンドンに駆けつける。アグネスにはモデルがいる。ヨーマンの娘で名前はアン・ハサウェイ。有名な夫の陰になって割を食っている感がある。文豪の作品を現代風に書き直すのが流行りだが、これも「語り直し」の一種。同じ事実を扱いながら、視点を中心人物から周辺人物に変えることで、見慣れた図柄に全く異なる角度から光が当たり、煤や脂をかぶっていた絵が、今描かれたばかりのように新鮮に立ち現れる。
アントニイ・バージェスも自著の中で、アンについて触れているが、若い男を手玉に取り、妊娠の事実を突きつけ、結婚にこぎつけた婚期を逸した女という従来の解釈から逃れられない。マギー・オファーレルは、アンを手垢のついた女性像から解き放ち、野性的で才知溢れる魅力的な女性にした。どこであれ人目を気にせず草花や小動物と戯れるアグネスのなんと輝いていることか。目に見えるような自然描写や、胸に迫る人物の心理描写が、まるではじめから日本語で書かれたかのように読めることを訳者に感謝したい。
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劇作家W.シェイクスピア(1564-1616)と年上の妻アン・ハサウェイ(1556-1596)との間に生まれた双子の長男ハムネット(1585-1596)は、中世ヨーロッパで猛威を振るったペスト(黒死病)に罹患し夭折。 その4年後、ロンドン橋ちかくの芝居小屋で、神聖なる亡き息子の名が戯曲の題名として世間を騒がすことに・・・。不在がちのシェイクスピアを支える妻アン・ハサウェイ(アグネス)を中心に、死別の深い哀しみ、喪失に震える夫婦と家族との交流を通して、悲劇『ハムレット』の創作へと繋がっていく文芸大作です。
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素晴らしかった。本当に本当に素晴らしかった。
なぜシェイクスピアは亡き息子の名である「ハムレット」という作品を書いたのか。ラストシーン、シェイクスピアの妻アグネスと共に劇「ハムレット」をロンドンまで見に行った読者は、妻と一緒にその答えを見つけて妻と一緒に息を詰まらせ泣くしかない。
ラストシーンの素晴らしさは、私の中で山崎豊子大地の子、スタインベック怒りの葡萄に匹敵するまたは超えた。
シェイクスピア、結局自分の中の虚無を埋められるのって妻や子供ではなくて演劇だったんだな、、と、小説の途中は彼の薄情をなじる気持ちになった。薄情というか、妻との馴れ初めや家族模様を読んできた読者として悲しかった。そこには「男は家族より仕事に生きがいを求める」みたいな旧来的な価値観が反映されているようにも感じて。
でも、ラストシーンでそれは見事に覆された。
彼は彼なりの方法で家族を深く愛していた。演劇に逃げていたのではなくて、故郷にいたときの息苦しさとそこに居ざるを得ない家族への愛に引き裂かれながら、それを自らの仕事である演劇に深く反映させていた。あの場面ではアグネスの息子ハムネットへの思いばかり書かれていたけど、きっとこんなふうにも思ったんじゃないか。
と、1500年代のイギリスの話にここまで没入し感情移入させ、生き生きと登場人物たちを蘇らすこの小説の素晴らしさにびひる。ペストが海を越えて広がってくかんじも、コロナ禍の今だからこそリアルだった。本当にすごい。まだ2月だけど自分の中で2022年1位になりそうな本。本当に素晴らしかった。本当にありがとう。
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主人公はハムレットの妻であるアン(本書ではアグネス).ハムレットとアグネスの夫婦が,息子であるハムネットをペストで失うまでが,夫婦の出会い,娘や息子の誕生といった過去と並行して描かれるのが第一部.ハムネットの死から4年後のハムレットの初演までを描くのが第二部.
物語としての面白さはもちろん重要だが,第一部の過去と現在を行き来する構造に加え,詩のような不思議な文体も相まって,どこか掴み所のない(シェイクスピアの名前も出てこない)浮遊感のようなものを感じながら読み進めると.....
第二部については,何を書いてもネタバレになりそうなので書かないが,ラストの展開と着地は見事である.
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シェイクスピアの妻が悪妻だったと言われていること、夭逝した息子の名前がハムネット(ハムレット)だったこと、小さな手掛かりから生まれた物語。時間を行ったり来たり、話者も行ったり来たりして、シェイクスピアとその妻、二人を取り巻く世界を、そこにいる幽霊にでもなったような気持ちで読んだ。
子どもを病で喪う焦燥と無力感と虚脱が痛々しい。それをどうやってなだめて生きていくか。想像上のことではあるけれど、シェイクスピアと妻アグネスは舞台の上に、その魔術を見出した。
シェイクスピアを教え導くアグネスもよかったけれど、彼女を何くれとなく支える弟・バーソロミューも何気によかったな。
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まずはこの装画の美しさよ。手にするたびにうっとりする。カバーをかけずに持ち歩き、電車の中でも「どうです、美しい本でしょう」と勝手に鼻を高くして読んでいた。
美しいのは装画だけでない。この文章の美しいこと、美しいこと。文章そのものにうっとりとしながら読む、という経験を久しぶりに味わった。
「ハムネット」とはシェイクスピアの、幼くして死んだ息子の名前であり、「ハムレット」と同名と見なしてよいという。そう、あの「ハムレット」なのだが、シェイクスピアは息子が死んで数年後にこの悲劇を書いたのである。なぜ、息子の名を題名に?
この謎の答えは小説のほんとうに最後に明かされる。その答えに胸をゆすぶられ、涙を落とさずにいられる読者がいるだろうか。
また、悪妻として名高いシェイクスピアの妻は、作者の想像のなかでまったく違う人物として(というか、本作の主人公として)現れる。それにしても、漱石といい、ドストエフスキーといい、このシェイクスピアといい、名高い作家の妻が「悪妻」と呼ばれるのはいったいどうしたことか。かつての誹謗中傷が、そのまま歴史に残ってしまったのではないだろうか?
先にも書いたが、とにかく文章が美しい。
子どもを亡くす、という親という生きものにとって一番おそろしい地獄を、徹底的に、執拗に、しかし繊細に描いている。
効果的なオノマトペと倒置法、翻訳を学ぶ人には教科書にもなりそうなくらい見事な訳文。
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シェークスピアには双子の子どもがいたが、幼い頃にその一人が亡くなった。その子はハムレット(ハムネット)という名前だった。ここまでは、史実である。年上の妻と双子を含む3人の子どもなどはわかっているが、この本はそれを踏まえて書かれたフィクションである。
妻との出会いから始まり、ペストでハムネットが亡くなる。やがて、ロンドンで「ハムレット」と題した夫の劇が上演され妻は夫がなぜ亡くなった息子の名前を冠したのかを知ろうと、初めて夫の作品を見に行く。
長い時系列の中で、家族・夫婦の喪失感と愛について力強く描いている。
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シェイクスピアがぐっと身近に感じられた。フィクションではあるけれど偉大な作家で普通に苦悩する夫であり父親。子を亡くした苦しみが辛く胸を打つ。
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面白かった。長たらしい19世紀的な小説かと警戒したが、予想外に軽快に楽しく読めた。
文章は現在形で描写は端的に。量的にはさほど多くはない描写が物語世界を現実味を持って立ち上がらせるのが不思議だ。トントンと進む芝居の脚本ようだが、あっという間に人物の内面へ入って感覚を共有することになる。
若きシェイクスピアの妻を主人公にしたこのフィクション小説は時代小説ということになるのか。モデルを十分に活かして創造で作り上げた二次創作の愉しみがある。
魔女の端くれのような妻の独特の性格が面白い。
「シェイクスピアは、なぜ亡き息子の名を戯曲にしたのか?」という作者の疑問は終盤で丁寧に回答される。この部分の謎解きは見事。
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久しぶりに「英国のとてつもない香り」を持つ文体に触れた。脂がのり切った才能が見事に開花したと思わせる。
文体が結構変わっており、直ぐになれたとは言え,大胆な手法かと。
400年前の世界が読み手の眼前に広がる・・それは香しい野花の香り溢れ、人々のさざめきと笑いに満ち、やがて来るペストの恐怖の慄きと嘆き迄聞こえてくるような。
殆ど、シェイクスピアの妻であるアグネスの一挙手一投足、呟き、焦燥・嘆き・苦悩など諸々の感情が戦慄となって奏でられている。ちらちらと登場する夫、シェイクスピアは影とまではいかないが 劇場運営に情熱を燃やし、身を投ずる夫・父親・息子の像。裏表紙に綴られた「ハムネット」はハムレットに到達する道の一つであるという感がぴったりあてはまる。
筆者オファーレルの「全く、私の勝手気ままは憶測である」と作品の全貌を述べる姿に自信がちらつく。それほどに彼女の凄い才能を感じさせっれ、訳の小竹さんの日本語の美しいリズムにも酔わせて貰えた。
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ハムレットの後ろがわに、こんな物語があったら面白いなと思った。最後のたたみかけるような場面には圧倒された。ハムレットが観たくなる。
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まず最初の章で、急病の妹のために走り回るハムネットを軸に、会話文がないまま、駆け抜けるように彼の家族とその生活が描かれる。実に手際よく上手い。エリザベス朝時代の暮らしの描写がかくもリアルに描けるとは。しかも読みやすい。以降、走馬燈のように時間軸と視点たる人物が変化しながら、母アグネスの生い立ちなど、この一家の歴史が語られ、読者は16世紀イングランドへ誘われる。
中心になるのは、ペストに罹患したハムネットの双子の妹を看護する話で、時間軸はここを起点にさかのぼったり、戻ったりを繰り返す。核がパンデミックだけに、緊迫感が高く、それもあってか、全編を通して登場人物の目に映るもの、感じることのすべてが機関銃のように描写され、“舞台”を形づくっていく。その描写は客観的で書き手の感情を廃しているので読みやすく、満点の舞台効果となっている。(しかし、見たこともない時代の街の様子や暮らしぶりをどうやったらここまで細密に描けるのだろう?)
山場はハムネットたち双子が生まれた場面、それに続くハムネットの死の場面。
難産の末、瀕死状態で生まれた妹、成長しペストに罹患した妹。助からないと思われたのに死んだのは兄のハムネットだった。これら生と死の緊迫した場面を、地母神のごときアグネスの心情をこれでもかこれでもかとばかりに表現し続ける。ペン先を叩きつけるがごとく!
(ただ、ちょっと長過ぎるかな。)
シェイクスピアも、夫とか彼とか父親という呼び名でしか表されていない匿名の存在である。決して文豪シェイクスピアの物語ではない。研ぎ澄まされた本能を持つ母親と知性で生きる父親が、息子の死を受け入れるまでの物語である。
アグネスがのどかなストラットフォードから魑魅魍魎のロンドンに出て来て、「ハムレット」の舞台に夫の真意を見出すラストがよい。
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あの有名なハムレット。シェイクスピアが戯曲に亡き息子の名前をつけた理由とは?
……大まかにはそういう内容で、史実を元に著者が新たな解釈をしたフィクション作品。
妻アグネスは従来悪妻と言われているのを知らなかったため、すんなり受け入れて読めた。聡明でミステリアス。森の魔女のような植物の知識と予知・察知する力を持ち、動物とも心を通わせるアグネスを見ているうちに、彼女が生きている不思議な世界を理解していけるような気がした。
ハムネットの死後は喪失の物語だった。
空いた穴をどうしても塞げない家族が、一人一人苦しむのを見ると胸が苦しくなる。
文字が頭の中で映像になって、今語っている誰かの視線を意識しながら、目の前のものを一緒に見ているような感覚。朧げに浮かび上がってくる景色が幻想的に悲劇を演出していた。