阿部真理子さんのイラストもいい
2024/10/10 16:55
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本の読み方は、人さまざまだ。
例えば、本によくある「あとがき」とか「解説」をいつ読むか、といったこと。
これは、本を最初から読まないと気がすまない派とどこからでも読める派で分かれるかもしれないが、
私はどちらかといえば、おしまいに読むことがほとんどだ。
ただ、翻訳家である青山南さんの、ちくま文庫から2024年2月に刊行された
『本は眺めたり触ったりが楽しい』の場合、「あとがき」から読むことにした。
その理由は、この本を手にしたきっかけがあまりに素敵な書名にあって、
実はこの本がどんな内容なのか少しもわかっていなかったからだ。
やはり、そんな時は、「あとがき」なり「解説」が役に立つ。
「あとがき」を読んで、この本が「本とのつきあいかた」を書いたエッセイであること、
最初に刊行されたのが1997年だったということ、などがわかった。
さらには、この本には章立てとかがなく、短いエッセイの間に空白が数行あるだけで、
つまりはこの本はどこからでもお好きなところから読んでくれて構いませんといっている。
それでも、本は最初から読まないと気がすまない派は、やはり最初から読むのだが。
「本とのつきあいかた」といっても、難しい話が書かれているわけではない。
机に向かって読む派か寝転んで読む派か、音読するか黙読するか、みたいな結構軽めの話が続く。
そもそも、本を読むことに何かルールがあるわけではない。
もっと自由であれば、読書はもっと楽しい。
タイトルからのイメージとは違った
2024/06/14 16:53
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投稿者:302 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は本を読むのがもちろん好きだけど、装丁、収集すること、並べること、本屋など、本に関連することのすべてが好き。
そういう読む以外の楽しみ方が書いてあるのかな?それは共感できそう!と思って購入。
ころころと話題が移り読みやすいし挿絵がかわいい。
ただ、ほとんど読んだ本について感じた内容で、その本はほとんど知らない作品だったため、共感はできなかった。
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何より読みやすい。
読みやすくて面白い。
書物がまた増えた。
買った中の1つが『新明解国語辞典』。
何故か? 是非、読んでみてください(笑)
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感想
全部読まなきゃいけない。そんなことはない。どうやって向き合ってもいい。なんなら読まなくてもいい。買っただけで十分。でもせっかくなら。
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青山南著者は、エッセイストであり、膨大な本を読まれている方です。積読、拾い読み私が共感をえたのは、青山師が高校生の時雨に振られて寄った本べン、シャーンとスタインべツクにあった怒りのぶどう上中下があり手に取り家の途中雨で飛び込んだ本屋に出会った状況は、同じなのに記憶違いでアンドレ、ジットの贋金つくりだったという文で私も記憶違いをする時があり読書体験は、体内にしみこんだと思ったとあるのでその面白さが例え記憶違いでもあっても醍醐味を感じて共感を得ました。夜寝ながら読むには、良い文庫本だと思います。本を読むには、色々な体験がある事を知り又読みたくなりました。
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タイトルだけで手にした本。1991〜94年に新聞と雑誌に掲載されたコラムをまとめ、97年に刊行。改題して文庫化となったようです。
「眺めたり触ったりが楽しい」に、賛同派と反対派の自分がいます。
賛同理由としては、書店で魅力的な棚を俯瞰したり平台の表紙・表題を眺めたり、更には手に取って観る時、また、自宅の積読本から次の読むべき本を選書している時、等の場面が私の代表例です。
反対理由は単純です。読まなきゃ意味がないし、読後の高揚感は何ものにも代え難い、と思うからです。(積読本の多さとの整合性が図られていない‥)
そんな訳で、帯の「本はどう読んでもいい!」に頷き、(読まなくてもいい)にチョイ救われます。
斜め読み、拾い読み、ランダム読み、ながら読み、解説から読む、カバーを外す、線を引く、角を折る、速読・遅読、音読・黙読・聴く読書、オーディオブックでスピードを上げる、最後まで読まない、延々と読み終わらない、オリジナルとダイジェスト等の読み方‥。
さらに場所や時間のこだわり‥等々、本との付き合い方ってよくもまあいろいろあるもんです。
すごいのは、著者の思い出や思いつきのその多いこと、多くの著作や映画のセリフからの引用・紹介があり、巻末に索引まであります。
章立てもなく、関連したショートショート的な文章がなだらかに続いていきます。どこから読んでも心地いい感じです。
結論‥本を読むのに正しい読み方などない!
ですよねー、そりゃあそうだ‥‥
でも、不毛な作品ではなく、温故知新、読書の奥深さと新たな気付きを与えてくれる一冊でした。
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タイトルに惹かれて。
元の連載は90年代前半とだいぶ前だし、登場する作品も作家もほとんど知らなかったのに、すっと入ってくる文章ばかりでニヤニヤしちゃう。本好きの素朴なエッセイ。
本は適当に好きなように読めばいいようです。
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本について語ったエッセイなんて、読んだら楽しいに決まってる。
著者とは読み方も接し方も考え方も異なる部分が多々あり、そんな風に感じるのか!という驚きがあった。
作中に登場する本好きさん達のエピソードもまた興味深くて、自分が持っていない感覚に触れられてとても面白かった。
『本が好き』という気持ちは同じでも選ぶ本や関わり方は千差万別、というところに奥深さを感じる。
自身は好きなものにはずっと触れていたい人間なので、このタイトルには共感しかなかったです。
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読書好きにとって、「あるある」と共感したり、「そんな楽しみ方もあるのか」と納得したり、読書の奥深さを感じることができる一冊。
積読、表紙を眺めるだけでも楽しいということ、記憶違いや内容を忘れてしまってもいいのだ、ということ、本を読むスピード、音読と黙読の違いなどなど、テーマは様々だが、すべてが興味深くて面白い。
新明解国語辞典(第四版)が読みたくなった。「動物園」を調べてごらん、という記述があり、それを読んだら衝撃を受けた。国語辞典が読み物になるなんて、思いもしなかったが、隅々まで読んでみたら面白そう。
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本が好きといっても、好きな理由は人それぞれだ。物理的な本の重みが心地よい。電子書籍で十分。結末を確認してから読む。あらすじすら見ずにともかくサラの状態から読む。どれも正解で、好きに楽しめばいい。本棚に並んでいるのが好きでも十分に好きな理由だ。本への堅苦しさやハードルをさげてくる「本は眺めたり触ったりが楽しい」。タイトルがいい。そうそうそうなのよ。と。共感する。「本は、知らぬ間に、居つく。」この一文が特にぐっときた。知らぬ間に。そう。理由はあるはずなのに、目を離した隙に居つく感じが確かにある。
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話題が多岐にわたる読書エッセイ。
最後まで読まない、読めない読書の効用。本を読む場所。音読について。読んだ本の記憶違い。などがよかった。
フランクな文体。断片的な構成。するする読めるけれど読後感はぼんやりしている。
引用の多さからエッセイなのに索引つき。
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翻訳家である著者による読書エッセイ
パラグラフにタイトルがなく、どのページを捲っても気兼ねなく読めるような構成
以下、琴線に触れた内容
・ダーウィンの種の起源はダイジェスト本だった
・作品の世界と距離をおかない読み方は、かえって想像力の展開を妨げ、真の経験にならない、無益な感情の浪費を招くだけだ
・二葉亭四迷は外国文の翻訳で音調を残すため、コンマ、ピリオドの数も原文そのままにして、語数も原文と同じにした
・翻訳家の宮脇孝雄さんの言
本って、まず最初は本棚に縦に並べますよね。
それが前後二列になり、次に上の隙間において、最後に床に積み始める。
・本の作者の知恵をたくさん集めることにばかり夢中で、じぶんの智恵はまるで働かせようとしないひとが目立つ
・記憶というのは記録が発酵して表現にまで近づいているものなのだろう
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どんな読書も肯定してくれる頼もしい本。引用される作品の多様さから、著者の読書量の多さが伺え、そんな人から「読書という、きわめて個人的でひそやかで秘密めいた作業は、あらゆる記憶違い、思い違い、読み違い、を許容する」と言われたら、どんな本も恐れずどんどん読んでみよう!と気が大きくなる。
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仕事を始めてしばらく本を読めていなかった。学生時代あれだけ読んでいたのに、すっかり社会の荒波に揉まれて本を手にすることはなかった。
忙しさ、というのは本当は言い訳なのかもしれない。しばらく本を読んでいないと、私はなぜか本に対して申し訳なくなった。読みたいじゃなくて、読まないとなあ、と考えてしまう癖があった。学生時代はその癖で本当に様々な本と巡り合うことができた。この癖は私にとって本への愛情表現なのだが、読まないとなあ、と思ってしまうのはなんだか、会社から帰ってきて自由な時間ができたとき本を手に取るのを阻んでいるような気もした。
そんなときこの本と出会った。出会い方は覚えていないけど、なんだかこの本は読みたいなと強く惹かれた。そして、衝撃を受けた。いや、正直にいうと目新しいことを書いているわけではない。でも、私が色んな本を読んでいたときに感じていた本への愛情が著者の面白おかしい言葉で紡がれていた。その言葉が懐かしさと同時に、そうか本を読むことだけが本を読むということではないのかと思い出させてくれた。
私にとって本を読むというのは、著書にもあるように、精神世界への門でしかなかったのだ。文字を目で追って、そこに書かれている文から意味を理解し、知識を得たり豊かな情緒を感じたりすることだけが本を読むということだといつのまにか勘違いしていた。違う。私は、本に書かれている文を読み、その文から自分の精神世界に浸るため読んでいたのだった。そう思い出すことができた。
本は本であること自体に意味があって、本は読まれるためだけに存在しているわけではない。色んな楽しみ方があって当たり前であり、読まないとなあ、と思う必要もないのだ。
この本のおかげで、私が感じていた負い目は少しだけ軽くなって、本が好きだと思い出させてくれた。
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筆者が、本は自由に読めばいいと心から思っているとわかるエッセイだった。それでいて、押し付けがましくなく、筆者の読書体験をもとに筆者が感じたことが素直に書かれていて読みやすかった。