目次
密教の〈こころ〉
- 中村 公昭(著)
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まえがき
I
睦月の章 嬉しく楽しい言葉を発する
よい言葉はよい成就
読経の声に包まれて――護摩を修する
真言と不動明王
真言と経典のちから
経典の読誦とは
[コラム]真楽①「言葉は言霊」
如月の章 成就と「熏習」ということ
「このオールドマン(老人)のように」
五輪金メダリストの柔道家
「功徳力」「加持力」「法界力」――密教の「普供養三力偈」とは
鏑射寺復興――人力による道造り
熏習ということ――修行の日々
仏心の発露へ
弥生の章 密教の地鎮祭
「鎮土法」の修法――神道との違い
主役は「地天」
天子南面と「自身即仏」
証明師、八幡大菩薩
「鎮め物」とは
仏力を発揚する
[コラム]真楽②「経典の功徳とは」
卯月の章 心の焦点を合わせる
祈りを届ける
臨終結界、引導と六道輪廻
仏を自覚するために
溌溂と嬉しく読誦する
切っ掛けを掴む
「遍照尊居ます」
王陽明の親孝行
「迷悟、我にあれば」
II
皐月の章 「七福神は外に出られず」
「家を取り巻く貧乏神」
世界は「重重帝網」
心の眼を凝らす
大日如来と「自身太陽」
真実の宝とは
「心境冥会」ということ
[コラム]真楽③「八方塞がり・十方の智慧」
水無月の章 お墓参りは「自分参り」
知っていること・知らずにいること
お墓参りは誰のために
お墓と墓地は不穏な場所?
「因幡の白うさぎ」の思い出
お彼岸とは――此岸と彼岸
彼岸に住する
文月の章 「認知的不協和」をこえて
「絶対の応援団」――心をこめて幸せを願う
新型コロナウイルスを応援する?
「多様不二」の世界・懺悔する心
太田道灌の「山吹の花」
「認知的不協和」とは――知識を智慧に
「御朱印」の本当のこと
「仏壇」の誤解
[コラム]真楽④「厄年は役年」
葉月の章 護摩木を作る
「黎明仏教文化講座」
「よし、終わり!」――山田先生のあめ玉
「徹底」と「けじめ」と「こだわり」と
護摩木はハゼの木から
護摩木を作る
「命名」の依頼
「自身即仏」に思いをいたす
[コラム]真楽⑤「印・真言は仏さまとの共通認識」
III
長月の章 「自身即仏」の目覚め
百日紅の花
自身に内在するちから
満天の星空の下で
「仏さまと同体」――身・口・意の三密行
菩薩として生きる
聖徳太子の「十七条憲法」
「大空位を遊歩する」
[コラム]真楽⑥「いまを耀いて生きる」
神無月の章 あるがままに見る
漠然とした危機感――進歩と伝統をめぐって
「信念」ということ
「さざれ石」か「さされ石」か
仏教の「三性説」
「自浄其意」とは――「七仏通誡偈」から
池に住む鯉
「我」ではなく「吾」であるために
あるがままに見る――懺悔と感謝
霜月の章 悠々と生きる
「舞い散る落ち葉」とは
愛染さまのお祭り
わたしの中の「三蔵法師」と「三人のお供」
三毒を懺悔する
「我即大日」と「唯我独尊」
「分別智」と「無分別智」
「無分別智」の発露
悠々と生きる――「和顔愛語」と「後得無分別智」
[コラム]真楽⑦「六塵みな悉く文字なり」
師走の章 大空のように――「煩悩即菩提」のこころ
コロナ・マスクの功罪
「目は口ほどにものを言う」
心をどこに置いているか
心のスイッチをオンにする
「時間・空間を自在に操る」
「超能力の源泉」は煩悩?
「福智無辺誓願集」――密教の「四弘誓願」とは
「煩悩即菩提」のこころ