紙の本
哲学者、長谷川三千子氏の戦後世代の大東亜戦争論として論壇に衝撃を与えた書です!
2020/09/13 12:48
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『バベルの謎―ヤハウィストの冒険』、『正義の喪失―反時代的考察』、『民主主義とは何なのか』、『長谷川三千子の思想相談室』、『日本語の哲学へ』などの著作で知られる哲学者で、評論家の長谷川三千子氏の作品です。同書は、「<日本人であること>を探究する第一歩とは…」という出だしから始まり、日本人の内にあり、必然的に我々本来の在り方を見失わせるものとは何かを考察した貴重な一冊です。本居宣長氏が「からごころ」と呼んだ機構の究明を通して、日本精神を問い直そうとした内容で、戦後世代の大東亜戦争論として、論壇に衝撃を与えた初期論考を含む、鋭く深い思索の軌跡です。
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「からごころ」をはじめ、五編の論考を収録しています。
本居宣長と小林秀雄の議論を読み解く著者は、宣長を「「日本人であること」といふ問題を発見してしまつた人、そしてそのことによつて自らは日本の内からはみ出してしまつた人」と規定します。宣長が見ようとした「やまとごころ」は、「漢意」を玉ねぎの皮のように剥がしていくことで後に残されるようなものではありません。彼が見いだしたのは、意識的な中国崇拝ではなく、善悪是非の判断のような普遍的な原理として、知らず「漢意」を取り入れてしまっている、「漢意」を「漢意」として知ることのない、日本人の盲目ぶりでした。そして著者は、日本人が発明した訓読において、漢文が中国語であることは無視されてしまっており、しかも無視していることさえ意識に上らないほど徹底的に無視しきっていることに注目し、「漢意」と「やまとごころ」がメビウスの輪のように結びついていることが、日本文化の構造なのだと指摘します。
また本書に収められた他の論考では、谷崎潤一郎の『細雪』や井伏鱒二の『黒い雨』について論じ、小説が「客観的描写」であることをやめて、文章に描き出された時間を歩ませるものと、文章それ自体を歩ませるものとがひとつになるような「時」が現われ出てくることを論じています。
本書のサブタイトルは「日本精神の逆説」となっていますが、著者が論じている「日本精神」は、中国や西欧から日本を区別するようなメルクマールなどではありません。「事上げ」されることのない日本精神は、そのような仕方で「論うこと」はできません。それはただ、われわれがそのなかで生き、そのなかで考えることしかできないものです。それゆえ、本書の議論にのっとって「日本精神」と「ヨーロッパ精神」の違いを論うことほど、本書の精神から離れることはないというべきでしょう。森有正は、パリで出会った頑固なまでの強靭さをもつ「ヨーロッパ精神」が、西欧人がそのなかで生き、そのなかで考えるほかないものであると論じていましたが、著者もまた、森とは反対の方向から、おなじテーマにアプローチを試みているように思い得ます。
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自分の理解力がないのか、理解できませんでした。海外から入っている知識や習慣などを何も考えずに受け入れてしまうことに関して警鐘を鳴らしていると思いますが、日本人はうまく意図せず、海外の文化、知識、情報を日本文化になじませてしまう特性があり、それが海外のものとわからないようにしてしまう。それが問題なのか?問題ではないのか?どうすべきなのかも、自分で考えなさいと言われているのか?結論が分からなかった。