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有名な表題の写真は1936年9月5日撮影とされている。実は撮影場所コルドバ近くのエスペホ村であると最近判明した。そして時刻は9月4日の午後4時30分頃だったとすると新しい真実が見えてくるとのこと。そこからこの写真が間違いなくキャパのものか、同僚の美人カメラマン・ゲルダ・タローのものか。そしてやらせでも、敵によるものではなく、実際に仲間の誤射により撃たれた場面であることを追求していく。興味深い謎解き。カメラ好きな人には堪えられない1冊だろう。「写真家には不可欠な鋭い観察力と、被写体への温かい共感の両面を持ち合わせていた。」とのゲルダへの評はカメラの奥深さを示す。
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スペイン内戦中に撮影された、世界的に著名な写真について、
・撮影地
・撮影時の状況
・撮影者
を2000年代以降の研究も踏まえて解説したエッセイ。
本書は、研究書の体裁を採っていますが、
感情的・文学的・抒情的な記述が多分にあるため、エッセイとみなします。
撮影地については、2007年に初公開された写真群の中に写っていた
山並みの稜線の形をもとに行われた研究を踏まえて、
これまで撮影地とされていた場所ではなく、
50キロほど離れた場所を撮影地であるとしています。
そして、場所が異なるため、被撮影者もこれまでの通説とは別人であるとしています。
この点については、現在の当地から同じ角度で撮影された写真に写る稜線を見ると、
「なるほど似ている」という気はします。
撮影時の状況については、撮影地とした場所では、撮影日とされる日の前後に
戦闘が行われた記録がないことから、「訓練中に味方の誤射によって死亡」
「付近で簡素に葬られただろうから、遺体の所在は不明」としています。
この点については、当時の民兵側の記録が散逸していて戦闘以外の状況は
不明になっているのが多いこと、
そのような意味だと解釈する前提で読むと、
そのような感じもしなくもないと思える程度の発言をキャパがしていること、
被撮影者が死亡していることの根拠を、
正体不明の「鑑識経験を持つテネシー州警察の主任警部」の発言のみに頼っている
(医学面や人間工学面などからの考察はされていない)こと、
などの弱い根拠によるもので、誤射説を積極的に認める根拠はありません。
むしろ、「被撮影者は実際に撃たれている」という結論から、
ありそうな状況を創作した感じを受けます。
撮影者については、
撮影されたカメラは、キャパに同行していたゲルダ・タローのものであろうとしながら、
「タローは演出の指示を行っていて、タローのカメラでキャパが撮影した」
としています。
これは、
タローはフランス語が話せた
↓
ならば簡単なスペイン語くらいはすぐに話せるようになるだろう
↓
ならば演出の指示をしたのはタローだろう
↓
ならば、上からのぞき込む形での撮影となるため、
声を伝えにくいタローのカメラを演出中はタローは使わなかっただろう
↓
ならば、タローのカメラでキャパが撮影したものである
という、「タローはフランス語が話せた」という事実から
何段階もの憶測を経た結論であり、根拠は弱いです。
著者は写真畑の人で、キャパの親族やキャパの信奉者たちとも関係があるようなので、
・被撮影者は演技しており、撃たれてはいない
・写真を撮影したのはタロー
と言うことはできないため、誤射説を持ち出し、
「二人は事実上チームなのだから、どちらが撮影したかに意味はない」旨の
ことを書かなければならなかったのだろうか。
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こちらはかなり研究史の概説に近く、ほぼ同時期に疑問を持った2人の研究者がそれぞれの方向から検証、みたいな流れが熱くてよかったです。沢木耕太郎の主張した説の検証もしていて、「実はあの場には3台目のカメラが」みたいな話が出てきたのは完全にミステリの展開だった。