紙の本
科学史家として知られた吉田光邦氏による錬金術師たちの物語です。
2020/09/13 12:29
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『日本科学史』、『日本技術史研究』、『錬金術―仙術と科学の間』、『日本美の探求―その背後にあるもの』、『江戸の科学者たち』などの名著で知られる科学史家の吉田光邦氏の作品です。同書は、鉛や錫などから黄金を創り出そうと試みた錬金術師たちの物語です。見果てぬ夢を追い続けた彼らの探究を、現代人は単なる愚行の歴史として一笑に付すことができるだろうかと著者は問います。奇想天外なエピソードを交えつつ、東西の錬金術の諸相を紹介し、そこに見出される魔術的思考と近代科学精神の萌芽を検討していく内容となっています。初刊から半世紀が経過しますが、またまだ有用な先駆的名著です。
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東洋(中国)と西洋で行われた錬金術の歴史を解説した1冊。
錬金術というと西洋のものが大半で、東洋やイスラムに触れている本は珍しい。また、錬金術のみならず、東西の考え方の違いや方向性の比較も興味深かった。
錬金術の歴史としても、東洋・西洋の文明比較としても読める。面白かった。
……因みに錬金術は、残念ながら(?)本邦では流行らなかったらしいw
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錬金術というと怪しげな呪術めいた雰囲気が漂う。
卑金属から貴金属を創り出そうとする錬金術師らの試みは、もちろん、成功はしなかった。
けれども熱心な探究の中から、後世に残る副産物が生まれた。中には詐欺師的な人々はいたが、大半の錬金術師は「真面目に」自然を探究しようとしていた。そこには少なくとも幾ばくか、近代科学の精神の萌芽のようなものはあったと思われる。
一方で、錬金術といえば中世欧州が思い浮かぶが、中国にも錬金術に相当するようなものの系譜が見られる。洋の東西を問わず、ありふれたものを貴重なものに変換しようとする試みはあったのだ。
本書ではそうした錬金術の歴史をざっと追い、近代科学との関連を見ていく。
本書は「古典的名著」が文庫化されたものであり、初版は中公新書として1963年に出ている。新発見が盛り込まれているというわけではないが、日本ではそう多くは出ていない錬金術の一般向けの本として意味があり、また他書であまり触れられていない中国の錬金術についてかなりのページが割かれているのが特徴である。
一般に、西洋では金を求め、東洋では薬を求めたと言われる。概して、西洋では富を得るために「錬金」、東洋では不老不死を得る仙薬を生み出す「錬丹」が盛んに行われていたとされる。しかし実は中国では「錬金」と「錬丹」が平行して行われていた。
不老長寿を手にするとは、ある意味、仙人になることであり、このための薬を仙薬という。仙薬を作る要となるのが水銀と黄金である。「正しく」調合した薬を摂取し続けることで、人ではないものに置き換わるというわけだ。陰陽道やら易やら道教やらが組み合わされて、魔術やら呪術やら哲学やらが渾然一体となった思想から、「通常でない」ものになるための薬が考案され、調合される。
人に適用すれば錬丹だが、卑金属に当てはめれば錬金であり、両者の違いはそう大きいものではない。
仙薬には歴代の権力者も魅了されたが、だがしかし、水銀を主体とする金属成分を含むようなものを摂取し続けて体によいわけがない。多くが中毒症状を示し、命を落とした者も少なくなかったと思われる。
西洋錬金術の根源はアリストテレスであるとされる。万物の根源は火・空気・水・土の4つの元素からなるという考えに基づけば、卑金属に何らかの力を加えて貴金属にすることが可能であると考えるのはそう無理な話ではない。
中世以降、実験室が作られてさまざまな実験がなされていくが、もちろん、錬金術に熱中したのは富裕層だった。庶民には、基礎知識もないし、そうした設備に金を出す財力もない。
錬金術師たちはパトロンの元に集い、研究に励んだ。時の為政者が金を必要とすれば、錬金術師たちは優遇され、金が潤沢であれば錬金が禁止されることもあった。同じことをしていても賞賛されたり非難されたりするというのも皮肉なことだが、これは錬金術に限ったことではないかもしれない。
時代が下り、近代科学の発展とともに、錬金術は廃れていく。息の根を止めたのは、17世紀、ロバート・ボイルによる原子論の確立であった。原理的に、錬金術の手法で金を生み出すことは不可能であると���されたわけだ(今日では、原子核反応を用い、採算を度外視すれば不可能とは言えない。だが錬金術師らが用いていたような手法では無理だ)。
錬金術にまつわるさまざまなエピソードが紹介されており、雑学的な楽しさもある。
中国の錬金術との絡みから、日本でも実は意外にその影を見ることができるというのもおもしろいところである。
タイトルは「錬金術」であるが、もう少し広く深く、その背景を見据えて、「錬金術的な精神」が共通しているものを拾っている感がある。
混沌とした中から何に興味を持ち、どこに関心を惹かれるのか、読む人が異なり、また読むときが異なるとさまざまであろう。こじつけてしまえば、この本もるつぼのようなものであり、「錬金術的な精神」の具現であると言ってもよいのかもしれない。
*錬金術と近代科学はもう少し接点というか連続性があるのかと思っていたのですが、この本を読んだ限りでは、あまり密接な関係があるようには見えないですねぇ。錬金術が後世(特に近代科学に)残したものは、「副産物」的なもの(金属精錬や化学合成法等)が主なようです。
まぁほんとにきっちり知りたかったら科学史の本とかに当たるべきなのかも。
*ニュートンは一時期、錬金術に傾倒していたそうですが、金属を扱うという意味では、造幣局責任者として働き、貨幣偽造犯と対決したのも、どこかでつながっているんですかねぇ・・・?(『ニュートンと贋金づくり』)。錬金術の歴史の中で、金に別の元素を混ぜて「増やす」というものがありますが、現代の18金や10金も要はこれと同じです。金の比率は減っているわけですが、ぱっと見たくらいではわかりません。そういう金属の性質(比重とか硬度とか?)に対する興味がニュートンの中で錬金術と貨幣鋳造をつなげていたらおもしろいな、と思うのですが。そんな単純なものではないのかな。
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ブログに書きました。
『錬金術 仙術と科学の間』吉田光邦 (06/22)
http://rimaroom.jugem.jp/?eid=2458
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・ウィスキーは、日本の焼酎と同じように蒸留酒である。香水もまた良いものは自然の花の芳香成分を蒸留によってとり出したものだ。どちらも蒸留という化学的な操作によって、そのなかに含まれているエッセンスをとり出したものであることに変わりはない。それだからこそウィスキーも香水も、人間にとってふしぎな魔力を発揮するのだろう。いわば蒸留という技術の発見が、現代まですべての男女に大きな恩恵をもたらしたといえる。ところがこの蒸留技術の完成者が、実はあの愚劣な過去の錬金術師たちであった。