紙の本
ニッポンの無関心
2021/11/14 21:14
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドキュメンタリー映画監督による一冊。「熱狂なきファシズム」という表現は、現在の日本の病理を的確に表していると思います。興味深い論考が多いのですが、特に最後の「永遠の0」についての一節を面白く読みました。
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憲法改定、集団的自衛権、秘密保護法、原発再稼働……
ずるずるじわじわコソコソと進むファシズムに抗うために。
『選挙』『精神』等の“観察映画"で日本を見つめる著者による、初・評論集。
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「選挙」や「精神」で知られるドキュメンタリー映像作家(本人は観察映画と呼んでいる)による評論集。宇都宮健児氏や平田オリザ氏との対談も収録。
「熱狂なきファシズム」という言葉は著者による造語であるが、今の日本をとてもよく表現した言葉だと思う。ファシズムという言葉には熱狂というイメージが伴うが、ファシズムに熱狂は必要ない。むしろ、「低温火傷のごとくじわじわと静かに進行する」方が怖い。まったく同感である。
自らの作品「選挙」の上映会をめぐる体験から導かれた言葉、「つくづく憲法とは、立派な文面があるだけでは不十分であり、使わなければ意味がない」に、わが身を正される思いがする。
憲法第十二条に、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあるように、国民が憲法を使っていかなければ、憲法は宝の持ち腐れになってしまう。
この国を覆う恐るべき無関心と闘うには、「日々の生活の中で、自分にできることをやり続けていく。自分に拾えるゴミを拾い続けていく」「わーわー騒ぐ」ことに尽きると、著者は言う。上に挙げた憲法第十二条にあるように。
他に面白かったところは、僕も観たドキュメンタリー映画「アルマジロ」や「アクト・オブ・キリング」についての、映像作家ならではの視点からの文章。最後の「永遠の0」論も良かったけれども、これについては原作は読んだものの映画については観ていないのでコメントは避し控えたい。
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14/10/03。
14/10/25読了。皮相の裏の皮相。『永遠の0』批評については、このような言葉使いは少しの違和感あり。
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凄い!読んでよかった。何と無く感じる、最近の日本社会に対する違和感を、想田さんは誰にでもわかるように分析している。この違和感の分析は観察映画で我々が映像をみて自分なりのバイアスに左右されながらも映像の中で起こっていることを、 分析し、理解するまでの手法そのものである気がする。そう思うと、なおさら凄いな、この本は。しかし、もしかしてもしかするとこの本が発禁になる日も来るのかもしれない…。
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マザーテレサさんの言葉でしたね
「愛」の反対の言葉は「無関心」である
その「無関心」が 今のニッポンでは 「自分たちの暮らし」そのものに向かっていると、警鐘を鳴らしていると、さまざまな具体的な「例」を挙げて、考察されている。それも 今まさに この場で起こっているものばかり。
そのなれの果て(!)を考えていくと…
怖ろしい としか 言いようがない
もし この一冊がまだ入っていない近所の図書館があるのならば ぜひ リクエスト図書にしましょう
追記
この夏に『永遠の0』を見る機会があった。いつもなら、話題になりすぎているモノには極力近づかないようにしているのでるが、このときはひょんなことから観ることになってしまった。まぁ、最後まで観てしまったのであるが、観ている途中も、見終わった後も、なんだかしっくりとこないシコリのようなものが残っていた。今回、この本の「あとがきのような…」を読んで、あぁ、これだったんだなぁ、と改めて気付かされたような気がする。
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あれ?っと思うようなことが少しずつ増えているように思っていた、まさにこのことが書かれている。
政治的なこと、反原発…思っていても、口にするとなんだか違うものと一緒くたにされそうだったけれど、まさにそれこそがあの人たちの思うつぼ、じゃないか。
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想田和弘『熱狂なきファシズム』河出書房新社、読了。ファシズムに必然するのが狂気的熱狂だ。しかし著者は今日のファシズムを「じわじわと民主主義を壊していく」低温火傷という。「ニッポンの無関心を観察する」(副題)と、憲法改正、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認への現在が浮かび上がる。
気がついたときには手遅れになるのがファシズムの特徴だが、内向きなナショナリズムに喝采し、ヘイトスピーチが公然とまかり通り、貧困と格差が増す現在日本は、もはや「平時」ではない。反知性主義の勢いは民主主義を窒息させようとしている。
「僕は、私たちの一人ひとりが普段から目の前の現実をよく観て、よく聴くことこそが、巡り巡って『熱狂なきファシズム』への解毒剤になりうるのではないかと考えている。なぜなら虚心坦懐で能動的な『観察』は無関心を克服」するからだ。
世の中の変化のスピードが加速する現在は同時に忘却の速度が加速化している時代。だからこそ「現在」をよく観る必要があろう。著者が「観察映画」で追求してきた「能動的な存在としての観客と、互いに尊重し啓発し合う対等な関係」の構築こそ現在の課題だ。
“『永遠の0』が興行的に大成功した最大の秘密は、それが表面上「反戦映画」の体裁をとったことにある” 「あとがきのような『永遠の0』論」で締めくくられるが、こうした戦術と下支えする心情が「熱狂なきファシズム」を加速させる、警戒せよ。
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時代の正体(29)熱狂なきファシズム(上):神奈川新聞
http://www.kanaloco.jp/article/78063/cms_id/103021
時代の正体(30)熱狂なきファシズム(下) 有権者の無関心、なぜ:神奈川新聞
http://www.kanaloco.jp/article/78115/cms_id/103191
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この本のまえがきは、新聞記者のインタビューを受けて「歴史的な低投票率の中、安部晋三総裁率いる自民党が圧勝した国政選挙の結果について見解を述べていたとき」(p.6)に、本のタイトルにもなった「熱狂なきファシズム」という造語を思いついた、と始まる。2年前、自民の議席数だけで過半数を上回り、「自民大勝、民主惨敗」と言われた2012年12月の衆院選のことだ。戦後最低の投票率を更新した選挙でもあった。このたびの12月の選挙はその最低をまたも更新して、有権者のほぼ半数が棄権という状態になった。
ファシズムという語にはある種の「熱狂」が伴うようなイメージがあると、想田はヒトラーやムッソリーニや昭和天皇のような祭り上げられた指導者とそれを熱狂的に支持する国民のイメージをあげる。しかし、安倍首相を熱狂的に支持する人は一部の「ネトウヨ」を除けばあまりいないし、おまけに投票率も低い、自民党の得票率があがったわけでもない…とグルグル考えていて、想田はひらめく。
▼むしろ現代的なファシズムは、現代的な植民地支配のごとく、目に見えにくいし、実感しにくい。人々の無関心と「否認」の中、みんなに気づかれないうちに、低温火傷のごとくじわじわと閑かに進行するものなのではないか。(p.7)
実際、権力を握った安倍政権のやり口は、立憲主義や民主制の解体作業を「主権者には見えにくい形で【コソコソと】進行させている」(p.7、【】は本文では傍点)というものだ。その例として、想田は、2013年秋の臨時国会が始まる際に、所信表明演説で秘密保護法について全く触れなかった安倍首相が、突然法案を国会に提出し、野党の反対を押し切って強行採決したことをあげる。その秘密保護法は、選挙だ選挙だという報道に隠れるように、12月10日施行された。
このたびの選挙の告示前に読んだ本を、図書館へ返すまえに、ちらちらと読みなおす。やはり2年前、2012年の12月におこなわれた東京都知事選に出た宇都宮健児と想田との対談の、こんなところが印象的だった。
▼【宇都宮】 …(略)… 市民運動の広がりの弱さと同様に、リベラルな政策を掲げる政党の支持率が上がっていません。正しい政策と正しい情勢分析があれば、自然に運動が広がると考える傾向があるようです。政党間で、当面の政策が共通しているのに、共闘するなどして選挙を有利にするような動きが出てこないのも疑問です。どうすれば無党派層などに関心をもってもらえるのか、その方法や考え方を議論する中で運動が活性化するようなことを目指したほうがよいのではないでしょうか。
【想田】 「正しい」という自己認識に問題があるように思います。自分たちが正しいと考えれば、自己改革しようとする意思も生まれません。むしろ、正しい自分たちを理解しない人がおかしい、という思考構造になってしまいます。リベラル派の運動が、常に陥りやすい問題です。僕自身もそうですが、こうした意識を変えていくことも大切です。(p.94)
私はこの想田の書いた本はいくつか読んでいるが、"観察映画"と称している想田の映像はまだ見たことがない。ないけれども、「台本や定型、先入観を捨て、できるだけまっさらな目で、この世界を改めてよく観て描く」(p.162)ことを表現者の本分だといい、「ドキュメンタリーは作り手の体験を描く体験記」(p.202)と考えている想田の映画は、私自身もこういう本で読んだことなどは、いったん忘れて、なるべくまっさらな目と感覚で見てみたいと思う。
巻末には、「あとがきのような『永遠の0』論」。ここで想田が書いているのは映画のほうで、「安倍首相のお友達で、ネトウヨのような問題発言を繰り返している百田氏原作の映画が、面白いわけがないと思ったから」(p.274)、そんなものに入場料を払うのも癪な気がして、観るのは気が進まなかったという。
だが、この本の編集者から「いまの日本社会を覆う空気を理解するうえで、この映画は観ておいた方がいい」(p.274)と背中を押されて、想田はニューヨークへ帰る直前に渋谷の映画館で観た。
私は映画も観ていないし、本読みの友に苦しいけど読んでみてほしいと言われていながら原作もまだ読んでいないが、想田はこのように指摘している。
▼…『永遠の0』は一見、立派な反戦映画に見える。少なくとも、「戦争で死ぬのなんて嫌だよね」という私たちの大部分が抱く一般的な価値観には、正面からは挑戦しない。…(略)…
僕はこの点が極めて重要だと思っている。社会の多数派から支持をうる、つまり作品を大ヒットさせるためには、社会の基本的な価値観に決して挑戦してはならない。『永遠の0』が興行的に大成功した最大の秘密は、それが表面上「反戦映画」の体裁をとったことにあるのだ。(pp.281-282)
想田は、このような、多くの人が抱いている根本的な価値観に表面的には挑戦しない"戦略"は安倍首相にも共通するものだという。そして、この極めて巧妙な映画を、700万人もの人が映画館でお金を払って観たこと((DVDやテレビ放映で観るであろう人も含めれば、その数倍に及ぶ人数になるだろう)で、これが、現代日本における「戦争映画の決定版」のような存在になるのではと危惧する。そして、この戦争で死んでいった人たちを称揚する映画は、今後かなりの長期間にわたって、日本人の精神性に重大な影響を与えていくのではないかと述べる。
私はとりあえず原作の『永遠の0』を、よく観察しながら読んでみようと思う。
選挙明け、「熱狂なき選挙で、熱狂なき圧勝」と小泉進次郎のコメントが新聞に載っていた。
(11/28了)
※2014年12月14日の衆院選による各党の議席増減(公示前との比較)
共産党 +13
民主党 +11
公明党 +4
社民 ±0
維新 -1
生活 -3
自民党 -5
次世代 -17
※2014年12月14日の衆院選最終投票率は52.66%、小選挙区で投票を行った人は在外投票も含めて5474万3097人(14日当日の有権者数は、1億385万8441人)
戦後最低の投票率だった前回(2012年12月)の選挙の59.32%を下回って戦後最低を更新
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ファシズム=全体主義、今の日本は「政治的無関心」が束となって国民が形成され、それに便乗する姑息な政治家がのさばる状態になってしまった。
憲法条文の「不断の努力」、著者の言う通り試されている世の中かもしるない。
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今の日本の政治状況に対する著者の見方に強く共感した。第1章と「あとがきのような『永遠の0』論」は今、多くの人々に読まれるべきだろう。また第3章の「観ること」の権力性に関する指摘や、現代のすぐれた表現活動(ドキュメンタリ、演劇)やそこで生み出されている新たなものの見方について、教えられるところがたくさんあった。
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想田和弘さんについては、内田樹さんのアンソロジーにも寄稿されていたし、映画「演劇1」「演劇2」だけは見たし、何よりも、Facebookの中での発言をいつも見させていただいて、反-安倍、反-原発推進、民主主義擁護のスタンスにはほぼ常に共感させられている。
この本は始めの3分の1ほどが、自民党改憲草案への徹底的な批判、3.11後の「おかしな日本」についての分析に当てられており、あとは雑多な(しかしドキュメンタリー映画論中心の)エッセイ集となっている。
現在の日本の選挙制度についての疑問点にはなるほどと思った。想田さんの映画「選挙」「選挙2」も見てみたい。
また、想田さんの指摘によると、ヒトラー政権出現時の大衆の「熱狂」とは逆に、現在の日本が向かっているのは、無関心な静かさの中でのファシズム化である。日本の一般庶民の政治意識の低さは、今に始まったことではないというか、天地開闢以来、日本の市民が政治的意識が高かったことはないと思う。それでいて、言論・表現の自由などを好きなように満喫しているのが現在の日本人だ。そうした自由、個人の基本的人権、民主主義を明らかに蹂躙する意図を隠そうともしない自民党改憲案を、なぜ国民はろくに批判しようとも、調べようともしないのか。
日本のファシズムは、無関心に支えられて成長している。
一方で、この本に含まれている想田さんのドキュメンタリー映画「観察映画」のセオリーにも興味深いものがある。あらかじめ表現者側が用意した「台本」を排除して客体である人物や状況に接近し、先入観抜きで遭遇した「現実」が、映像により切り取られる。これはインチキ臭いTV番組とは一線を画するものであり、かつ、現代芸術の手法として有効だと思う。
むきだしの現実との出逢い、その体験が映画を作ることそのものでもあるのだ。
ただし、長時間にわたって撮影された映像は、映画としてのパッケージ化にあたって当然きりつめられ、編集される。その「編集」に際して、いかに(予定調和的、イデオロギー的、情動的な)自己を抑制できるか。そこがキモになってくるだろう。
本書は2014年夏に刊行されたもので、収録された文章はそれ以前のもの。安保法制強行採決とその際に生じた、若者達を中心とする巨大なデモについては当然書かれていない。
しかし原発事故をめぐる考察、自民党や橋下徹についての批判、映画「永遠の0」の危険性など、読むに値する文章がてんこ盛りである。
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7年前に出版された本ではあるけど、話題に古さは感じなかった。ここで書かれている政府について、および日本社会の水面下で静かに進む「ファシズム」については当時より進んでいることを感じるから、ため息をつきながら読んだ。声を挙げることに反感を買われ、黙っていることでそれを進めてしまっているということは、毎度の選挙の低投票率や政治的不祥事への反応でもう見えているが、本当に現状を変えたければ、やはり行動で示さないといけない…と言ってもそれが通じないのでジレンマとなる。現在開催中のアレに対する「始まってしまったから云々」という言葉やそれに対するマスやネットで見られる反応にも、決してこれと無関係ではない、とか言ってしまったら反感を買われそうだな。とまれ、ファシズムには精いっぱい抗いたいので、この秋の選挙は投票するし、せめて周囲には必死で訴えたい。