投稿元:
レビューを見る
飄々としたキャラクターと滅多に作品を描かないことから、「仙人」と呼ばれた画家、熊谷守一さんのエッセイ。最初は緻密な作風だったのが、次第に人柄を象徴するようなシンプルでのびやかな作風に変化しているのが、面白いです。
投稿元:
レビューを見る
日本経済新聞の「私の履歴書」に連載された熊谷守一の自伝。画家という存在の特異さをこれほど忠実に生きた人は稀だろう。「その絵筆はあっさりとしたものだけど、そこに至るまでの綿密なまなざしの、気の遠くなるほどの長い時間があるのだろう。」と、赤瀬川原平が解説で書いている。まさに、「気の遠くなるほどの長い時間」に耐える力こそが天才なのだ。すさまじい人生を飄々と生きた偉大な日本人の記録。
投稿元:
レビューを見る
熊谷守一の自伝をたどっても、飄々とした画家独特の雰囲気が漂い、題名の“へたも絵のうち”といった印象的な言葉を味わうことができます。
投稿元:
レビューを見る
熊谷守一の随筆
とろとろと、
思い出を紡ぎながら文章を書いてるかんじがほほえましいです
最後の方の絵についての一文が素敵だし本質
投稿元:
レビューを見る
少しばかり肩の荷が降りたような。
何が人のためになってるってやっぱりわからない。
そう思ってしてることがそうなってないことが往々にあって、
だったら熊谷守一のような、
悠々自適な生き方だって良いんじゃないか。
少なくとも、先日訪れた美術館の作品との対面と、
この淡々とした自伝があることで、
僕は救われている。
流れ流れて、結果的にそうなり、
作品もそうなんように生まれた、
気負いもなく、欲もなく、
あるのは「その場しのぎ」の対処法。
それでもなんとかなってしまったのは、
いのちと心に生きたご褒美なんだろうなぁ。
「いま何がしたいか、何が望みかと良く聞かれますが、別に望みというようなものはありません。だがしいて言えば、「いのち」でしょうか」
「絵はますます好きになっていましたが、私は人のように一生懸命にやるということはしません」
「世間の偉い人は、こどもが病気でも平気で仕事をするという。私には出来ないことです」
「ぜひ素晴らしい芸術を描こうという気もない」
「何度も言うようですが、あの頃はとても売る絵はかけなかったのです」
「わたしは上手とか下手ということで絵をみません」
「絵を売ることを覚えたわけです。馬車引きになりそこなったので、絵で商売をしようときめたわけで、こういう運びとなりました」
「無理に頼まれて書いても、本人が喜んで描いたように見えておかしいそうです」
「絵に自分を賭けていない」
投稿元:
レビューを見る
(2000.07.18読了)(2000.07.12購入)
(「BOOK」データベースより)amazon
朝起きて奥さんと碁を打ち昼寝して絵を描いて寝る―。こんな日課がもう何十年も続く。その絵が「天狗の落とし礼」と呼ばれた超俗の画家から紡ぎ出された思い出の数々。やわらかさのなかに鋭く光る、物の核心を見つめる確かな眼差し。
投稿元:
レビューを見る
著者は画家なので絵はもちろんのこと、「書」が良い、「人」が素晴らしいというファンの声も多い。本文は、日本経済新聞の「私の履歴書」に掲載されたもの。緩やかなようでただ甘いだけではない著者の人生に触れ、作品も人柄も永く敬愛されてきた理由がわかる気がする。秋の夜長にゆっくり読みたい一冊。
投稿元:
レビューを見る
読書の意義の1つはユニークな人物との出会えることだと思います。「こんな人がいたのか」と思える本です。
投稿元:
レビューを見る
一般的に、ことばというのはものを正確に伝えることはできません。絵なら、一本の線でも一つの色でも、描いて仕舞えばそれで決まってしまいます。青色はだれが見ても青色です。しかしことばの文章となると、「青」と書いても、どんな感じの青か正確にはわからない。いくら詳しく説明してもだめです。私は、ほんとうは文章というものは信用していません。(p.83)
いつか誰かが「絵は才能ですか」と訊いたら「いや経験ですよ」と熊谷さんは答えたという。経験とは普段の探求の蓄積である。それは志賀直哉さんのいう「普段の意志」をもつことによって初めて生きるものである。その生きた経験を熊谷さんが尊重するのに不思議はない。そしてそれはまたそのまま熊谷さんが永遠の探求者だということである。(pp.180-181)
そういう、見て、見て、見て、それをぎりぎりの形と色とにしぼりあげる作業を、熊谷さんは、毎日勤勉に画布や画板に向う仕事によらないで、昼寝や日向ボッコや、猫や草や花や蟻やガマや蠅と遊ぶ生活の中で自然に会得する。その蓄積と醗酵の時間の長さに比べて、熊谷さんの制作の時間は極めて短い。そこで作品は即興的とも習作的ともいえるものになりがちで、そこには力の籠もった重さはない。しかし小さいながらに、しっかりと骨太に、静かに沈んで、清らかに輝いた、生きた絵とそれはなるのである。(p.185)
投稿元:
レビューを見る
生誕140周年 熊谷守一展 わたしはわたし
伊丹市立美術館
「Assemble -集積する技法と身体-」展
伊丹市立工芸センター
青木千絵 田中雅文 釣光穂 中村弘峰 宮田彩加
投稿元:
レビューを見る
「へたな絵も認めよ」という熊谷先生。へたな人はへたな絵を、ばかな人はばかな絵をとのこと。結局表現とはその人自身から湧き上がってくるもので、変に違うことしても良いものにはならないという。