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イザベラ・バードは明治11年に横浜に上陸し、東京から東北地方を縦断、北海道まで旅を続けた英国人女性です。彼女の足跡を追うNHK仙台制作の番組に感化され、今一番読みたい本の一つです(読んでなくてすみません)。
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この本を知ったのはJALの機内誌で紹介されてたから名前をメモってきて購入。明治時代の日本の田舎ってこんなのだったんだと素直にびっくり。外人からみたらなおさらびっくりしたということがこの本から感じ取れます。
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(2006.02.13読了)(2005.12.25購入)
宮本常一著の「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」という本を読んだのですが、本家はまだ読んでいなかったので、神さんに頼んでクリスマスプレゼントとして買ってもらいました。宮本さんの本もかなり興味深い内容でしたが、この本も、明治初めの頃の東北地方の状況が書いてありますので、貴重な記録といえます。
芭蕉の「奥の細道」と同様、同じ道をたどってみたい気が起こります。但し、この本には地図か付いていませんので、自分の地理の知識では、大雑把な道筋しか分かりません。
東京から日光に向かい、さらに会津の辺りを通り、新潟に抜け、山形、秋田、青森と辿り、函館に渡り、室蘭、苫小牧、長万部などを訪れたようです。北海道では、アイヌ部落で、生活したようです。
「本書は、私が旅先から、私の妹や、私の親しい友人たちにあてた手紙が主体となっている」(18頁)(郵便制度というのは凄いです。)
●横浜駅(36頁)
切符切り《これは中国人》、車掌と機関手《これは英国人》、その他の駅員は、洋服を着た日本人である。
●中国人(43頁)
横浜に一日でも滞在すれば、小柄で薄着のいつも貧相の日本人とは全く違った種類の東洋人を見ずにはいられない。日本に居住する二千五百人の中国人の中で、千百人以上が横浜にいる。もし突然彼らを追い払うようなことがあれば、横浜の商業活動は直ちに停止するであろう。
商館で何か尋ねたり、金貨を札に換えたり、汽車や汽船の切符を買ったり、店で釣銭をもらったりするときには、中国人が必ず姿を見せる。街頭では、何か用事のある顔つきで元気よく人のそばを通り過ぎる。彼は生真面目で信頼できる。彼は雇い主からお金を盗み取るのではなく、お金を絞り取ることで満足する。人生の唯一の目的が金銭なのである。このために中国人は勤勉であり忠実であり克己心が強い。だから当然の報酬を受ける。
●日光、入町村の学校(118頁)
学校の器具はたいそうよい。壁には、立派な地図がかけてある。先生は、二十五歳ばかりの男で、黒板を自由自在に使用しながら、非常に素早く生徒たちに質問していた。英国の場合と同じように、最良の答えを出したものがクラスの首席となる。従順は日本社会秩序の基礎である。子供たちは家庭において黙って従うことに慣れているから、教師は苦労をしないで、生徒を、静かに、よく聞く、おとなしい子にしておくことができる。
●子供をかわいがる(130頁)
子供たちは両親と同じように遅くまで起きていて、親たちのすべての話の仲間に入っている。私は、これほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない。子供を抱いたり、背負ったり、歩く時には手をとり、子供の遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れてゆき、子供がいないといつもつまらなそうである。他人の子供に対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。父も母も、自分の子に誇りを持っている。
●「外人が来た!」(168頁)
外国人がほとんど訪れることもないこの地方(猪苗代湖辺り)では、町のはずれで初めて人に出会うと、その男は必ず町の中に駆け戻り、「外人が来た!」と大声で���ぶ。するとまもなく、老人も若者も、着物を着た者も裸の者も、目の見えない人までも集まってくる。
●日本の子供(312頁)
私は日本の子供たちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子供がうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。
私は、子供たちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、色々な遊戯の規則を覚えることである。子供たちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。
私はいつも菓子を持っていて、それを子供たちに与える。しかし彼らは、まず父か母の許しを得てからでないと、受け取るものは一人もいない。許しを得ると、彼らはにっこりして頭を深く下げ、自分で食べる前に、そこにいる他の子供たちに菓子を手渡す。
著者 イザベラ・バード
1831年10月15日 イギリス生まれ
1854年 医者に航海を勧められアメリカとカナダを訪れる
1878年(明治11年) アメリカを経由し上海へ。さらに横浜へ。東北、北海道を旅行
1880年 「日本奥地紀行」出版
1894年 朝鮮旅行
1898年 「朝鮮とその隣国」出版
1904年10月7日 死亡、享年72歳
(「MARC」データベースより)amazon
文明開化期の日本…。イザベラは北へ旅立つ。本当の日本を求めて。東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい漁村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。73年刊東洋文庫の再刊。
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中島京子の『イトウの恋』を読んで読みたくなった本。
あまり期待せずに読み始めたのに
イトウの恋を先に読んでいたせいもあったのか
意外ののめり込んでしまった。。
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明治時代に、東北から北海道を旅した、イギリスの女性探検家の紀行文。
若干の優越意識はありそうだけど、でも、日本を見る目がすごく素直でかつ鋭い。好奇心といい、描写力といい、視点の確かさといい、この著者は、私にとって「尊敬する女性」のひとりだなぁ…。
寺子屋で教材にしていたという「いろは歌」の訳し方(これはいい訳だ!)とか、「子どもにこんなクラい歌を教えるのがよくわからん」という感想とか、非常に面白いです。
日光に行ったあたりで、著者は「将来ホテルを経営したいという夢を持ってる金谷さん」のおうちにお世話になっています。のちのあの金谷ホテル! 夢をかなえたんですね、すごーい!!
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転地療養のため明治の日本を訪れ、北海道までを旅したイギリス人女性による紀行文。病弱なはずなのにとんでもなく元気だ。当時の日本人の暮らしぶり、特に歴史の表舞台に立つ事の無かった東北や北海道の庶民の暮らし、あるいは既に迫害を受け始めていたアイヌの暮らしなど、外国人ならではの「外部の視線」で描かれているのが新鮮だった。
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20091218
イザベラ・バードさん。
身体が弱いので旅行でもしたら?で世界中回って紀行文書いて
旅行家扱いなお方。
明治初期の日本の関東~東北~北海道(アイヌ)の観察紀行記。
詳しく書いてあるので面白い。
昔の日本て古いところだったんだなあ。
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明治時代の東北北海道の風俗を知る貴重な旅行記
文明開化期の日本。イザベラは北へ旅立つ。本当の日本を求めて。東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい農村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」は是非読んでみたかった一冊です。東洋文庫は高価な2冊組みですが、平凡社ライブラリーでは安価で入手することができます。
イギリス人の女性が日本の東北北海道を一人旅するというのは、交通網が発達した今とは違って、当時はとても勇気の要ることだったと思います。それでも日本の奥地へ向かったのは、彼女の好奇心の強さによるもので、従者を一人だけ連れて何度も落馬したり危険な目にあって苦労しながらも北海道に向かいます。
途中の町で様々な日本人と交流し、その土地の風俗を手紙に書きとめて発信したものが、この記録の基になっています。
日本人にとって、当たり前の習慣は記録に残りにくいものですが、外国人の彼女の目からは、見るもの聞くものが風変わりで珍しいものに見えたのでしょう。
この本を読んでいくと、明治初期の日本の地方の姿がどのようなものであったか、よくわかります。
江戸や京都などの大都市を描いた外国人の著作は多いのですが、彼女のように地方を旅した人は少ないと思います。同じ日本でありながら全く違う習慣や風俗を見て、別の国を旅している気分になったかもしれません。
日本という国の多様性を知る意味でも大変貴重な記録だと思います。
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[ 内容 ]
文明開化期の日本…。
イザベラは北へ旅立つ。
本当の日本を求めて。
東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい農村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。
[ 目次 ]
初めて見る日本
富士山の姿
日本の小船
人力車
見苦しい乗車
紙幣
日本旅行の欠点
サー・ハリー・パークス
「大使の乗り物」
車引き〔ほか〕
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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今の日本に生きるぼくの視点は、明治時代の外国人であるイザベラ・バードの視点に近い。アイヌとの接触が興味深い。この人の旅はあまり楽しい感じはしないけど、なんで旅しているんだろう?
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明治11年(1878年)と言えば、明治の元勲と言われた大久保利通が紀尾井坂で暗殺されるがこの年、城山三郎著の「落日燃ゆ」のモデルになった広田弘毅(後に内閣総理大臣)が生まれた年でもあった。
イギリス人女性探検家:イザベラ・バードは18歳の通訳伊藤青年を伴い、6月10日東京を出発、日光~会津~新潟中条を経て山形小国に入り、米沢~赤湯~上山~山形~新庄~金山を抜け、秋田・青森・函館から船に乗って9月17日横浜に着く。
全行程1600km、約3ヶ月の北国の旅だった。
ゴム製の浴槽、旅行用寝台、折りたたみ椅子、空気枕、英和辞典などを携えて、徒歩+馬に乗っての旅だったと「日本奥地紀行」に記されている。
彼女は蚤や蚊に悩まされながらも”本当の日本”を求めて旅をし、小国の宇津峠からみた置賜盆地(米沢平野)を眺め「・・・南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉街の赤湯があり、まさにエデンの園である・・・」としたためてある。
小国町から飯豊町を通った道(と言えるか)には、13もの峠がありさぞかし大変な旅であったであろう・・・
この13峠を地元の黒沢峠保存会の皆さんが長い年月を掛けて整備してくれていると聞く。
http://www8.plala.or.jp/kurosawa-touge/
今回は山形県と新潟県が接する米坂線:越後片貝駅から13峠を越え、赤湯温泉までの約100kmの行程を徒歩+MTB+車で旅してみる。
小国で山岳ガイドをしているYさんにサポートして貰いながら、「エデンの園」と感嘆した米沢平野を宇津峠の頂上から眺めてみたい。
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スコットランド出身のイザベラ・バードの1878年(明治十一年)の6月から9月にかけての東北,北海道紀行の記録.交通機関は人力車と駄馬で,この馬にはそうとう困っていたようだ.
宿屋では外人女性を一目見ようと人々が群がり,プライバシーがなく,おまけに蚤,蚊,悪臭に始終つきまとわれている.さらに夜中の隣室の宴会によって,眠れないこともしばしばだったようだ.食事のひどさも相当だったらしく,肉への執着をしばしば口にしている.
多くの町はそのひどい様子をこき下ろされるのだが,山形県と秋田市(久保田)は非常にほめられているのが印象に残った.
(バードが通ったところで私がいちばん行ってみたいと思ったのは,青森県黒石.ねぷたが見てみたい.)
残念ながら,私は民族学的な興味はあまりないので,この本の価値はそういう記述にあるのだろうなと思いながらも,しばしば退屈に感じることがあった.500ページ以上あるので実際長いのだが,その長さを感じさせるページも少なくなかったということ.
それよりも私は実際にどのルートを通っていったかにとても興味があって,はじめは地図帳や google map で調べていただのが,これが意外に難しい.地名が使われなくなっていたり,バードが思い違いをしていたり,旧道がすたれてなくなっているからである.それで途中から,参考書を開きながらという読書になった.
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とても良い本でした。
ちょうど西郷隆盛の西南戦争が終わった翌年(1878年)に、著者であるバード女史が東北地方と蝦夷(北海道)を旅行し、その旅行の困難さや、それまで西洋に知られていなかったそれらの地方の風俗を描いた貴重なレポートです。
当時の東北地方農村部や蝦夷のアイヌなど、今の僕ら現代日本人でも想像がつかない彼らの実態を見せてもらえます。(これは僕の無知を曝け出すようで恐縮なのですが、アイヌが日本人と容姿や言語そして宗教まで全く異なる人たちであるということを、この本で初めて知りました。)
バード女史ですが、この旅行をしたのがなんと47歳の時!理由が健康回復のため(女史は若いころから体が弱かった)とのことなのですが、こんな旅行をすると、健康なひとでも身体を壊してしまうというくらいハードな旅行です。
資料として非常に貴重な紀行文なのですが、この本で僕が一番おもしろかったのは、バードさんの歯に衣着せぬ物言いでした。汚い住居や粗末な食事、愚かな原住民等々に対してのコメントが全く容赦ないです。(笑)
勿論、見るもの聞くこと全てに対してネガティブな反応をしている訳ではなく、例えば米沢平野の拓かれ方や北海道有珠(うす)地方の景色など、良いものは良いと激賞しています。
大体において紀行文というのは僕にとっては非常に退屈なものが多いのですが、バードさんのこの超辛口のコメントのお陰で最後まで面白く読み通せました。
ここで面白かったエピソードを2、3紹介します。
1.当時の日本の宿(住居)には蚤などの虫で一杯だった。
2.アイヌ(一部の部族だけかもしれない)は源義経を崇拝していた。
3.アイヌの大人の女性はみんな入れ墨をしていた。
興味を持たれた方は、是非読んで頂きたいと思います。
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山形を旅行したとき、米沢を「アジアの桃源郷である」と評した人がいることを知りました。
それが、イザベラ バードさんです。
明治の始め、田舎ではまだちょんまげの日本。
そこを旅したイギリス人の女性の視点に、案外、今の日本人は似ているのかも知れません。
少なくとも自分は沢山の共感を覚えました。
日本の田舎を旅するというよりかは、未開の地を走破するって感じですけど。
時代劇では分からない、当時の日本の臨場感たっぷりな模写が興味をそそります。
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日本人ってこんなに間抜けだったの?どこに行っても蚤だらけ?壁に耳あり、障子に目あり!明治初期に横浜から北海道までの道のりをイギリス人女性とその通訳、伊藤が旅した紀行文。明治といえば、文明開化でざんぎり頭がどうのこうのというのが中学生ぐらいで習って、そのまま大人まで持ってる日本国のイメージ。でも東京を離れれば、まだまだ貧しい日本の姿が!リアルな日本が伝わってきます。
文章は、イザベラが妹に宛てて書いた手紙の形式になっています。私も旅してリアルな日本を体験したい!
日光金谷ホテルのカウンターにイザベラ・バードの肖像がかかっていますよ。