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紙の本
より美しい生活のために。
2001/10/05 02:52
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投稿者:佐々宝砂 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和初期のほんのわずかな一時期に、ごく小さな舞台でのみ活躍し、23歳で夭折した少女小説家松田瓊子(けいこ)。作家野村胡堂の息女。
『紫苑の園/香澄』はその松田瓊子の代表作だ。ベタベタの少女小説で、舞台からして少女小説の定型どおりに寄宿舎、文体も情景描写もどこもかしこも甘やかで、どのページを繰っても薔薇と紅茶とお菓子の匂いがして、少女たちの嬌声がきこえる。中原淳一の絵がよく似合う。物語の背景にはキリスト教への憧れがある。そういうのが生理的にダメというヒトは、無理に読まなくってもいい。
悪人は一人も出てこない。みなやさしくて個性豊かだ。少女たちは、面白いこと、馬鹿馬鹿しいけど楽しいこと、すてきなこと、美しいこと、愛らしいこと、そういうものやできごとを日常生活に探して、もし見つからなければ自分たちで造り出してゆく。朝な夕なに歌を歌い、夜毎に自分の大好きな物語について語り合い、レースを編み、花を育て、そうやって生活を美しくしてゆく。こういうのが本当の意味での「勤勉」なのではないか、と私はふとおもう。
たとえば松田瓊子の『七つの蕾』という作品は、ただ単に美しい生活を描いただけの小説である。そのような小説は少女小説のひとつの定型だ。しかし『紫苑の園/香澄』は、それだけの小説ではない。プロテスタンティズムの薫り濃厚に、ひとりの少女の精神的な成長を描いている。良妻賢母的な成長ではない。そこにはひそやかな反逆を隠した意志的な力がある。だからこそ私は、このちいさな作品を愛惜してやまないのである。
よりよい生活、愛ある家庭を目指して何が悪かろう。平和とやさしさと清純と奉仕の精神に憧れて何が悪かろう。崇高なものを求めて何が悪かろう。大きな声で「それは悪いことだ」と言う人はいないけれども、こういった美しく小さく柔らかな芽は、吉屋信子というわずかな例外を除き、とうとう花開くことがなかった。それは踏みにじられたのだとおもう。戦争へと流れていった時代ゆえに、また、いつの時代にも訳知り顔で囁かれる「偽善」という言葉ゆえに。
私はこの小文を感傷的に書きすぎているかもしれぬ。しかしたまにはよいではないか、私とてかつてはこういうものに憧れる少女だったのである。それなのに私はほとんどこういうものに触れることができなかったのだ。セックス・バイオレンス小説だの、猟奇小説だの、純文学だの、そんなものならいくらでも読むことができたのに。松田瓊子の名前は私にとって本当に長いこと憧れだったけれど、実際に彼女の本を読んだのは、私がもう三十過ぎて結婚もして恋も憧れもどうでもよくなってしまってからのことだった。松田瓊子の本は瀟洒で高価な復刻の愛蔵版ばかりだったので、金のない田舎の少女には高嶺の花だったのである。
しかし、今なら文庫で安く買える。必要なときに必要な本を読むことができる今時の若いヤツらは、つくづく幸せだと思う。
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