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紙の本
オレンジの灯火
2000/12/04 01:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:宏人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前から漠然とは感じていたのだが、今はっきりしたことが一つある。それは服部まゆみが全体の作家だということだ。もちろん文章はあくまで薫り高く、いみじくも、かの皆川博子女史が評したように“薔薇の香油のような”孤高の頂きに達している。しかし、それは単語、センテンス、フレーズ等における鋭さや輝きに対しての表現ではなく全体、つまり読中や読後に感じる幻想的雰囲気に対しての形容なのである。その点において牧野修とは対極に位置する幻視者だと言えるだろう。
牧野は断片における鋭さを積み重ねることで大傑作「MOUSE」をものにした。牧野は一瞬で飛翔する。いわば、ガラスの破片で創られたモザイク画といえるだろう。それに対して服部まゆみは油筆で丹念に、幾重にも重ね描かれた抽象画に例えられよう。一つひとつの細部にはさほどの意味は感じられない。むろん時間を忘れるほど心地良くいつまでも留まっていたいと思わせるのだが、はっと全体を見渡せばいつのまにか知らない場所に一人で放り出されている。
全体の4分の3、242ページまで読み終えた。そう、いつだって楽園は崩壊する。それは予感と呼ぶにはすでに遅い。心地良かった世界は徐々に不協和音に蝕まれてゆく。無垢の天使が世俗にまみれようとしている。それでもおそらく彼は己を貫くだろう。だが、服部まゆみがミステリ作家と認知されている限り世界は反転するだろう。それは本格ミステリより壮大な地響きを立てて顕れるに違いない。
もちろん私はそれを望んでいる。しかし、それと同時に畏れてもいるのだ。この幻想は解体される宿命にあるのかもしれないけれど、あまりに惜しい。鼻孔をくすぐる廃頽の薫りが失われてしまう。とはいえ、女史はページという時間軸に支配される小説という分野において幻想と解体が並列に存在する奇跡の作品「この光と闇」を創り上げた才能だ。心して読み進めるとしよう。
(以下は未読の方は読まないで下さい)
服部まゆみはついに殻を破った。確かに楽園は崩壊した。だが、幻想は解体されるのではなく完成されたのだ。何たる眼差しの夢幻なることか。物語は二人の視点だけで交互に語られる。二元論に支配された作品世界は一方のみが真実であり、曖昧な第三者の入り込む余地はない。幻想とは観察者にとってのみ幻想であり、それ自体は現実である。そして、幻想は現実を凌駕しなければならない。故に、観察者は身を引きルシは死に世界は閉ざされ彼は永遠に墜ち続けなければならない。
読後に疑問に感じたのが第三章のタイトル「ナジェージダとナジャ」である。これは何を意味しているのか。ナジェージダはロシア語で希望、ナジァは希望という言葉の始まりである。だがここに描かれているのは希望ではなく絶望だけではないか。いや、本当にそうだろうか。観察者はルシが墜ちることを望んだではないか。幻想が完成することを、世界が閉ざされることを望んだではないか。ならばルシの死は希望であり、また始まりでもある。彼の死の瞬間から観察者は無限の世界の住人となり甘美な廃頽の花園で過ごすだろう。閉じた瞬間から世界は再び始まり、決して終わろうとはしないだろう。
この読後感は何なのだろう。ここに描かれていたのは日常と非日常の狭間で揺らめくひとひらの華だったのか。それとも、光と影の終わり無き戦いの物語だったのだろうか。華は散り、影は闇となり、それでも残る仄かな光。このオレンジの灯こそこの作品の本質であり、そしてそれは「この光と闇」と対を成していると言えるのではないだろうか。決して混じり合うことのなかった光と闇が本作に至り僅かではあるが融合したのではないか。
服部まゆみはミステリの枠組みから抜け出した。今後どのような作品を創り出してゆくのか見当もつかないが、ただシメールを上質のシメールを、と望まずにはいられない。
紙の本
シメールを心に
2002/04/20 08:01
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:真 - この投稿者のレビュー一覧を見る
服部まゆみといえば、評判になった「この闇と光」(確か直木賞候補にもなったんだっけ?)のような、トリッキーな耽美ミステリを思い浮かべるが、本来は純粋な幻想小説の書き手だった。それは「和製ゴシック・ロマン」と称される通り、作品内で甘美な幻想世界が構築されるのだが、その世界の美しさには息を呑む。麻薬的とでも言いたいほど、作者の作り出す世界にするすると引き込まれるのだ。
本書で注目すべきは、やはりエレガントな格調高い文章にあると思う。舞台は日本だし、なんか庶民的だし、一歩間違えれば陳腐な話になってしまいそうな話なんだけど、そう感じさせないのはやはり作者の筆力によるところが大きい。特に注目したいのが心理描写。屈折した人物の心理をここまで見事に書いた作品は珍しい。
そして最大の見せ場であるラスト。この幕切れには不満のある人も多いと思うが、僕はこの終わり方しかないと思う。あのラストでしか「幻想世界」は完結できない。
服部まゆみの作品を読んだことのない方は、ぜひ一度お試しあれ。病みつきになるから。
紙の本
幻想とその破局。
2002/04/28 00:29
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投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
男と美少年が出て来る。この手を好む女性は多いが、服部まゆみ氏もそうなのだろうか。女のいやらしさも描かれていて、溜息をつかされる。
とにかく、とことんまで美しい世界を創り上げている。服部まゆみ氏はRPGゲームがお好きだそうだが、本書を読めば納得する。創り上げられた非現実の世界は、美しい破局をもって終焉した。
紙の本
幻想世界
2002/07/03 21:56
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投稿者:TAIRA - この投稿者のレビュー一覧を見る
空想、幻想、妄想という意味の「シメール」の題名通り、これは一人の男のシメールから始まる物語。
ある日、彼は今まで空想でしかなかった自分のシメールを桜の樹の下で見つけてしまう。それは少年の姿をしていた。名前は翔。大学時代の同級生の息子だった。
現実世界を拒否する、夢見るような翔という少年と、彼を手に入れるために様々な手段を講じる男の妄想が絡まりあい、物語は幻想的な雰囲気に包まれている。
アムネジア、シメール、ナジェージダとナジャの章の名前や、花蟷螂、鸚鵡貝、桜などの小道具が、それに拍車をかけている。
幻想的かつ艶のある文章は魅力的だが、誰も救われない最後は少し悲しい。