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先輩リケジョ がぶりえるさんのお勧め本です。
科学は何をもって科学と言うのか、なぜ科学の世界は淡々と進むこともあればひっくり返ることもあるのか、を考えさせられます。
科学というものにおいての哲学を自分なりに形作るのに役立ちました。科学者を目指す人間は必ず一読はせねばならない著書だと思います。
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対話や議論の見える化に携わる人には参考になることが多い本である。
科学における発見の意味について述べた本である。さらに言うといくら論理的に考えたとしても人同士は解り合えないということも述べている。
エンジニアという職業を選んだのはもともと理科や科学が好きだったということが理由である。理科や科学が好きだった理由は、科学的/論理的に理解できるということが性格にあっていたからである。ヒトは信用できないと思っていたというのも原因である。
社会にでてエンジニアとなる訳であるが、当然の様にヒトの問題が起こって苦労することになる。当時としてはそれが不可解だと思っていた。ホワイトボードにリアルタイムで書く、グラフィックレコード、ファシリテーションなどに進むキッカケにもなっている。
前置きが長かったがこの書籍からわかることは「科学」という一見ロジカルな世界でも科学者同士が解り合えないといういことである。特に科学史上の発見の際にそれが顕著になる。
結局のところそれぞれが信じている基盤、パラダイムが異なっていると他のパラダイムの主張は受け入れられない。科学の実験も精度の悪さは日々改善されているとしても、そもそもその現象を証明しているのかというところが分からないなかでやっていることもあって失敗することもあり、そこが論争になったりもする。
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自分はゴリゴリの理系で科学の信奉者である。
科学とは正しいしい事をコツコツと積み上げて、
長い年月をかけて作られたピラミッドのようなものだと捉えていた。
この本を読んで、その世界観が崩れたときの衝撃はとてつもない。
理系の人にこそ読んでその衝撃を味わってほしい。
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科学史の中で起こる科学革命のメカニズムをパラダイムという概念に基づいて分析した画期的古典。いわゆる「パラダイムシフト」ってやつのおおもとなのかな?歴史の中で累積的に科学が発展したというわけではなくて、パラダイムが変わることで世界の見方が変わってくるという。昔の理論が間違っているというわけではなくて、異質な世界の見方、解釈が生じることで通常科学の方向づけが行われる。
訳者後書にも書かれているように、抽象的すぎて結構解読が難しい!
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『#科学革命の構造』
ほぼ日書評 Day600
600回目の"ほぼ日"は、原著刊行から既に60年を経る名著。トーマス・クーンが、初めて「パラダイム」なる概念を世に問うたことで知られる。
「パラダイム」という言葉が、日常的に用いられる今日となっては、発刊当初、本書が激しい批判を受け、「パラダイム」を"disciplinary matrix"と言い換えることを試みた経緯も、想像を超えるものだが、ちょうどその半分、1990年代初頭には、まだまだ新鮮な、多くの人が初耳に近い概念であったという記憶もある(※新卒で入った会社で受けた研修でのエピソード)。
かくして、今日では一般用語として用いられるこの概念だが、クーンが「科学革命」の名のもとに定義したそれは、「破壊」的色彩の強いものだ。
それは、科学知識は、新たな発見や発明により、コツコツと積み上げられてきた、という一般的な常識をくつがえす。
新たな知見が「付け加えられる」のではなく、まったく新たな「ものの見方」が従来のそれに取って代わるものだからである。
そのレベル感は様々だ。大は、天動説と地動説、進化論、相対性理論。もう少し細かなものとしては、例えば天王星「発見」エピソードが上げられる(※複数の人が異なる恒星として観測、記録にとどめていたものが、ひとつの惑星と認識されることで、太陽系の枠組みが変わる)。
本編の記述も、ある程度、科学史に通じていないと「誰、これ?」的に迷子になることも多く、また、訳文・活字ともに時代を感じさせるため、決して読みやすい本ではないが、たまにはこういう教養書も魂の滋養になるというものだ。
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私は学生時代、理科系の科目、特に物理と化学が苦手だった。テストでは他の科目では見たことのないような酷い点数を取り、とにかく何とかして少しでも自分の視界から遠ざけたいと思っていたタイプの学生だった。
そんな私が漠然と持っている科学史観は、本書で指摘されている通り「直線的、累積的に発展するもの」であり、ある一つの真実に向かって歴史上の科学者たちが一つ、また一つと発見を積み重ねていくというものだった。
ところが本書は、科学者たちの現場で起こっていたことは違うと主張する。時として、大小問わず様々なパラダイムの変革が起こり、その前後で科学者たちは全く違った世界を生きることになる・・・科学という現場の特殊性から必然的に起こるこのような「科学革命」の構造を、科学史的な視点から詳細に論じている。
単純な「直線的、累積的」な科学史観しか持ち合わせていない私にとっては、科学者という「人間たち」が歴史の中でどう振る舞うのかを知ることができるという、いわばドキュメンタリー的な物語として本書を楽しむことはできた。しかし、最初に書いた通り私には科学的教養があまりにも不足しているため、科学的内容についてはほとんど理解できなかったことを告白したい。さらに、なぜ著者がこれほどまでの熱量を以て「実際の科学の歴史はこうだったんだ」と指摘せねばならなかったのかは分からない。それを理解するには、中学生の理科からやり直す必要がありそうだ。
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今から二十年以上前に、私の担当だった内田亮子先生が、科学論を私が受けていることを知り、第一回の講義でその講義の要旨が分からなかったことを馬鹿にしていた。教師としての素質があったかどうかはわからないが、しかし、今一つわかった。彼女はクーンが嫌いだったのだ。内田女史は進化人類学を専門とする科学者だった。クーンは科学者集団を対象として議論する。本来、ある対象を客観的に突き止めるのが科学者の仕事なのに、クーン以降、科学者自身がモルモットのような対象物となってしまったのだ。
それと、最近読んだ『知の考古学』にも類似していた。キーワードは「解釈」である。パラダイムは解釈によってお気に召すものではない、ということがあったが、『知の考古学』でも歴史と親和性があるので、自明なことかもしれないが、ここに記す。
それから、下條信輔さんが、ルネッサンスジェネレーションという企画で、パラダイムシフトは一瞬にして起こるから、気付かないと指摘していたが、クーンは少なくともこの著では、パラダイムシフトには幅があるとしていたのも気になった。