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受験期によく耳にしたパラダイムってやつがよくわかった。
読んで絶対に損はない一冊。
科学に限らず、この本の中で言われている話はあらゆる事柄の根底に流れているように思います。
ただ文系には、例示された科学史をよく理解できない気も。
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科学におけるパラダイムの重要性を説いた古典的名著。クーン以前の論調を知らないので、どれくらい革命的な論だったかは推察するしかないのだけれど。科学畑出身だけあって、実相を良くわかっているとは思う。でも科学の深化・進化を簡略化しすぎのきらいもあるかな。
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科学のことをつらつら書いていて、一見難しそうだけどいいたいことは、それまでの科学の常識に危機が訪れると、科学は変わる。これを科学革命というらしい。何やらかんやら難しいし、かなり昔の本なので日本語自体も古めかしい。あまりお勧めできない。正直。
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科学史より思考の枠組みとしてのパラダイムを提唱した歴史的名著。活字は古いものの内容は読みやすい本である。
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http://ameblo.jp/norun3sisters/entry-10015922448.html
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難解、、
訳が悪い。(←偉そうですみません)
amazonレビューによれば、村上陽一郎氏による解説本を読んだ方がわかりやすいのだそう。そっち読めばよかった。
しかし、本書のエッセンスだけは読み取れました。
・特定のパラダイムが正しいことを証明するために、「通常科学」により、さまざまな検証がなされる。その検証の過程で生じた「変則性」は意識的/無意識的に多くの場合見過ごされる。しかしその「変則性」に気付き、それの周辺を広く探索することによって、「新理論」にたどり着く場合があり、そういったプロセスを経てパラダイムの転換が起こる。
というのがエッセンス。
自分に当てはめて考えれば、
・特定の思い込みが正しいことを証明するために、「日々の体験、経験」により、さまざまな検証がなされる。その検証の過程で生じた「変則性」は多くの場合意識的/無意識的に見過ごされる(人間は自分が見たいものだけを見ようとし、聞きたいことだけを聞こうとする)。しかしその「変則性」に気付き、それの周辺を広く探索することによって、「新理論」にたどり着く場合があり、そういったプロセスを経て思い込みが壊れる。
よって固定観念を打破するために、必要なことは
・頭の中にあるパラダイム(固定観念、思い込み)は相対的なものであると認識する
・「変則性」(あれ?おや?)にアンテナを立てる。敏感になる。
・「変則性」を深堀りする
・パラダイムシフトを歓迎する(自分の思い込みに固執しない)
ということだろうと思います。
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2010 5/3読了。図書館情報学図書館で借りて読んだ。
博士課程に進んだんだから古典を学び直そうシリーズ第何段か。
「パラダイム」という言葉自体はたびたび聞き、教科書的あるいは辞書的な意味では定義も知っていたが、本書を読んでやっとどういう概念であるか腑に落ちた感じがする(まだ「感じがする」にとどまっているあたり我ながら・・・)。
と、同時に自然科学以外の分野で「パラダイム」という言葉を用いることの問題点がたびたび指摘されてきた理由もやっと理解できた。
少なくとも図書館情報学分野で使うべきではない、という見解がある理由は理解できたし、自分もそう思った。
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概念や理論の展開期に生じるパラダイムの創世と転換について具体例を交え分かりやすく解説。
パラダイム転換期における人間は自らの経験に頼らず新たな価値観を受け入れまた創造していかなければならない という点にとても納得した。
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一時期に一斉を風靡したパラダイム概念の産みの書。
科学が社会的な物である、真理を追うようなものではないと解き明かした、当時大きなインパクトを与えた書である。
パラダイム概念がなぜ今日でも読むに値するのか。この本を読んでなにを思うか。
これを読んで現代を俯瞰してみると、教育などによって齎されるパラダイムどころか、あらゆる科学というものが果たして科学的なるものか、それがどれだけ権力、経済、私利私欲に左右されるものであるかがわかる。放射線の被爆量云々の議論をとってみても、あれだけ国費を投入して全世界で研究がなされているのに、被爆量の基準はまったく明確な「科学的根拠に基づいて」、しかし政治的に決められてしまうものなのだ。それが科学的に正しくとも、我々にとってそれが正しいのかどうかは別の問題である。
どれだけ明晰な科学であろうとも、それはあるパラダイムの採用に過ぎない。科学だから正しいのではなくて、あるパラダイムのなかでその科学は正しいのだ。そのパラダイムを作り出しているものをしっかり見極めることが、科学との正しい付き合い方である。
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『だまされない議論力』吉岡友治 の巻末の読書案内に出ていたもの。そのうち読む予定。-「科学についての神話にまどわされないで現実を直視する姿勢がすがすがしい」
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パラダイムという概念を提唱した本。
ただし、これは科学革命の場面のみで、後年の社会全体を対象にしたものではない。
しかし、世界は普通に、パラダイムも、パラダイムシフトも言葉として使うようになってしまったけれど。
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科学哲学の本というか、科学史の本というか、そんな感じ。科学という営みをメタな観点から論じています。「パラダイムシフト」というのもこの人が提唱した概念です。読んでると色々発想が発散していきました。言語ゲームに絡めると面白いんじゃないか?とか。
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(AMAZONレビューより)
ハーバード大での人文科学系の学生向けの講義を基礎としたこの著作を読んでからは、自然科学というものに対する感想が一変した。時代精神とでも呼ぶべき科学に対する世界観に基づいてのみ、初めて科学としての活動が可能だということが説明されているからである。その時代特有の科学者の世界観をパラダイムと呼び、そのほつれが目立ち始めると、やがて新しい世界観を再構築しようと試みる。これをパラダイムの変換と呼び、科学革命と呼んでいる。ほとんど、相対主義的歴史学と同じような内容である。
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理系知識がないとそれなりにつらい本だった。ただ科学の面白さはちょいと感じたり。しかし、意味不明。いつか再読したい。以下参考になったアマゾンのレビュー。
本書では,科学革命のプロセスが,「従来のパラダイムによっては説明ができない状態の出現」→「学問の危機に対する自覚」→「若い学者,または,新たにその分野に参入した学者による新しいパラダイムの発想」→「新しいパラダイムに対する少数の賛同者の出現」→「従来のパラダイムの信奉者からの攻撃と反論」→「若い学者の新しいパラダイムへの改宗」→「新しいパラダイムによる教育の開始」→「科学革命の実現」という図式によって,詳しく説明されている。
本書は,科学史に革命を起こすものとなりました。しかも,以上のように,科学革命の歴史から,科学革命を起こす方法を明らかにしている点に本書の第3の特色があります。
本書を読めば,科学革命は,一人でも起こすことが可能であり,科学革命を起こそうと思うのであれば,革命後に,新しいパラダイムがどのように教育されるかを念頭において戦略を立てる必要があることが理解できます。
もしも,現在の学問が危機的な状況にあると感じている人があれば,学問の変革は一人では何もできないとあきらめ,その状況を放置すべきではありません。愚痴をこぼしていても何も始まりません。何よりも,まず,現在の危機的な状況を打開するための新しいパラダイムの発見に努めるべきです。そして,そのような新しいパラダイムを発見したら,その賛同者を得るために,そのパラダイムに関する論文を執筆しつつ,新しいパラダイムが勝利を得たときの状況に思いをいたすべきです。
その時には,「すべての専門家が再び1つの今や全く異なったパラダイムの下に仕事を始め」(179頁)ていることでしょう。そのときに,必要とされるものは,次代を担う学生に,「例題とペンと鉛筆で,あるいは実験室の中で行なうこと」によって,新しいパラダイムを理解させるための適切な「例題を伴った教科書」の執筆でしょう。
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現在の学問に飽き足りない点を感じている人,現在の学問に対して危機感を感じている人は,本書を読めば,科学革命は不可能でないし,人任せにすべきではないことが解るでしょう。
本書を,現在の学問に不満を持ちながらも,改革に踏み出すことをためらっているすべての人に薦めたいと思います。
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科学の構造を捉える。
補章で弁解はなされているものの、たしかにパラダイムの定義に難点あり。
しかし、本書で「通常科学」とされるものがとる構造、科学的進歩についての考察、および科学者集団としての在り方を考える上で重要な著書であることは間違いないだろう。