紙の本
社会言語学ことはじめ的な
2021/10/31 21:36
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本語以外の言葉をあれこれとかじるように
なってから、じきに手にとった本です。
特に興味深かったのは、社会において、
特定の言語の新しい語彙や発音が生まれ、
広まっていく時、それを受け入れる姿勢には
男女間で差があることを述べている部分。
古典中の古典という意味では、
専門家から見れば、やや古い本なのかも
しれませんが、内容の充実ぶりに加え
筆致が平易なこともあって、個人的には
強くおすすめしたい一冊です。
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社会言語学の入門書的な本。社会階級、民族、性、場面、国家、地理と項目を分けていたため、わかりやすかった。それぞれの項目の事例が詳しく、丁寧な記述だったが、音韻論における音声的な相違や、統語論における文法的な相違と社会的な相違についての説明がほとんどで、あらゆる言語が混在している欧米社会においては重要なテーマなのだろうとは感じたが、語彙や語用論といった、言葉が伝える意味の相違や、言外の意味や心理に関るものについては物足りない。語彙や語用論の問題は複雑だから、研究対象にしにくいのだろうか。
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第1章の「言語と社会」に始まって、「言語と社会階級」、「言語と民族」、「言語と性」、「言語と場面」、「言語と国家」、「言語と地理」の各章で構成されている。社会言語学の基礎的な考え方が、英語に限らず諸言語の豊富な例とともに紹介されており、興味深く読める。
この本の冒頭、「列車のコンパートメントに2人の知らない英国人が乗り合わせたら、まずこの2人は天気の話をするだろう」というのはあまりにも有名(らしい)。個人的には、少数民族の言語やピジンやクレオールを言語計画の点からどう捉えるかという話題が面白かったが、こういった話題は下記クリスタル著『消滅する言語』とも共通する。
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課題文献!なのにレポート書き終わってから読み終わるという^^
社会学特有の「なるほどーそういえばそうかも」を楽に味わえる一冊。
自分の言語について考えてみる。トラッドギルによれば「人は社会条件に合わせて言語を変える」とのこと。
一年の頃は新歓でモテるために多用、普段使わないような方言まで使ってた。モテる、つまり社会的な地位を得ようとするわけだから、「人は社会条件に合わせて言語を変える」というトラッドギルの理論に当てはまる行為。
男性が「男らしさ」を得るために方言を女性よりも多く使うという指摘もまたしかり。モテるためには仕方がない。でも最近は女性も「カワイイ方言」流行で多用する傾向に。なんにせよトラッドギルの理論に当てはまる!
最近なに意識せず方言出るようになったけど、なぜだ。山口県人とよく付き合うからか、人間関係が整ってきて安心してるからなのか。
方言流行のせいか、東京に地方人が多いせいか、もはやどこの方言を話してるのかよくわからない人種も生まれてるようで。(俗にそれを東京弁と言ったりするらしい)口下手な人で関西弁を使いたがる人が多いような気がするけど、メディアとかで「関西弁=おもろい」っていう社会条件が作られてるから、それで近道を行こうとする魂胆なのか。なんにせよおもろくないものはおもろくない!
一年の頃は気持ちが落ち込んでるときに方言の比率が高くなってたような気がするけど、無意識のホームシックだったんだろうか?
嗚呼トラットギル、日本語の研究もしてみたまえ。
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印象的だったのが、「言語が世界観を作る」という部分。なるほど、考えてみると日本人の僕らが認識している世界は、確かに僕らしか認識することのできない世界である。(外国人も日本語をマスターすれば可能だけど)前にいた大学で「文化人類学」という講義をとってたけどその中にアフリカやらインドネシア方面のある民族が出てきた。それで、その民族ってのが「虹」を3色だと認識していたのを覚えてる。向こうの言語では一色の言葉が有する色の幅がどうも広いらしい。僕らの見ている視界はどうも、透明な網の目が無限に張ってあるみたいだ。考えてみると多言語話者は、無数の網の目から世界を見ているのかもしれない。こう考えると言語を学ぶっていうのはどうも興味深いものだ。それとあともう一つ、大学の教授に限らず、専門家の人がよく「パラダイム」やら「ロジック」「レジーム」「レリヴァント」というふうに外国語の単語をぽつぽつと含ませてしゃべるのをよく見るけど、この現象は日本だけなんだろうなぁって勝手に思ってた僕はまだまだ無知な小僧なわけで。どうも他の国でもあるらしい。この本に実例が載ってました。知らないことが多すぎるってのは困ったもんです。
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社会言語学入門。
実例が豊富に示されていて、世界にはここまで多様な言語があったかと思わされる。
著者は繰り返し訴える。言語に優劣はなく、その違いは単に社会階級的・地理条件的な違いでしかない。もし「標準」とされる言語があるとすれば、それはたまたま社会的に権威を持った言語(方言)にすぎない。社会階級的・地理条件的にそちらに合わせることが有利である場合に、「標準」とされる言語(方言)へのシフトが起こる(ゆえにそれは多数の話者を持つ=「標準」となりえている)。
これらの主張が、言語の違いが人種の優劣にまで結び付けられていた(決してそんなことはないのに)、あるいっときの社会への批判とも受け取れる。
以下「第1章 社会言語学――言語と社会」から一節引用。
『言語というのは集団帰属意識、集団結束力、あるいは差異標示という点で非常に重要な要素となり得るものであり、もしその集団が外部から攻撃にさらされるようなことでもあれば、自分たちが他とは違うということを示すことがますます重要となり誇張されることになる』(1996、第24刷/P.15)
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英語を中心に、言語と社会、地理、性、民族、国家などとの関係を説いている。
英語についての知識がないと、やや難しい。
逆に、英語についての知識がないと、たいへん勉強になり、英語についての勉強の幅が広がるきっかけになるかもしれない。
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英語で書かれた原書と比べながら読むと理解が深まります。(改訂された現在の英語版にしかなくこちらの本には載っていない章もあるので注意が必要です。)翻訳されてから少し時間が経っているので言語状況は少し変わっているのかもしれませんが、それでも学ぶべきことの多い本でした。
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言語と社会の関係を研究する社会言語学の入門書とのことだが、日本語話者にとっては全くありきたりのことしか書かれてなくて、逆に英語の普遍性が強く印象づけられた。著者も日本語を研究対象にしたらもっと興味深い成果が得られるのに。
言語とは単にコミュニケーションのツールのみにあらず、集団への帰属意識を表明したり、共有したりする重要な手段である、との説明は腹に落ちた。この本を読んで、東京に出てきて何十年にもなるのに関西弁でまくし立てる会社の同僚、先輩の顔が思い浮かんだが、彼らは『関西人』と言う集団への帰属意識と誇りが他の地方出身者に比べて強いのがよく分かる。