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S太朗4歳9カ月出会った本。幼稚園の年中組みになって、毎月1冊絵本を持って帰るようになりました。その月、先生が読んでくれたものを月末に持ち帰り、またお母さんと読んでね、ということらしい。昔話って、本当に読んでいない…そういう意味でも貴重なのかもしれない。
ねたろうは天狗になりすまして、隣のお金持ちをだまし、その娘とまんまと結婚する。ずっと寝てすごしてたぐうたらな男が、そこから一生懸命働くようになった…不思議だ~~!
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超共感する(というかうらやましい)3年寝太郎
あらためて読んだら「あれ・・?こんな話なの?」ってかんじでした。
働いても働いても暮らし向き楽にならず、
おなかいっぱい米が食べたかったといってお母さんが死んじゃって
3年寝た寝太郎は
隣の村の川から水をひっぱってくるため溝を掘りだして
とうとう完成させてしまった!ねたろうえらい!
寝てたこととはあんまり関係ないのかな
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【経緯】
どんなんだっけと思って
【書き出し】
とんとむかしであったそうな。
あるところに、年がら年中寝てばかりおる、お百姓の若者がおった。
【感想】
「寝ることでしか逃れられない農民の苦しみ」が主題だったのね!
呑気な絵とタイトルからは想像がつかなかったけど、ハッとさせられました。
これ、サラリーマンに置き換えて現代風に読むこともできるわー。
【引用】
「ああ、おら 働いても働いてもだめなんやなあ」といった。
それからふらんふらんとして帰ってきよると、まるで魂が抜けたみたいになって寝た。
【不可解】
川から水ひこうって思い立ったのが急すぎて。神のお告げ的なものだったのん?
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子どもの頃、学校が休みの日には寝坊ばかりしていて、「さんねんねたろうだ」なんて祖母か母に言われた記憶がある。
そのわりに、私はおはなしの内容を知らなかったと思う。
図書館で見かけたので、気になって借りた。
若者は病気の母親のために懸命に働けど、母親は死んでしまい、生活は苦しいまま。母親が死んでしまった夏から若者は眠りつづけ、三年三月たって目を覚ますと……。
「ああ、おら はたらいても はたらいても、だめなんやなあ。」
このセリフがささる。
普通の小説だったら、無力感と絶望に泣いてしまうかも。
文を担当した大川さんの「三ねんねたろうのこと」によれば、「民話は現実の生活にねざしながら、それをのりこえようとするところでうみだされている」(吉沢和夫氏『民話の発見』)とのこと。
人の心をくんでいてユーモアもあるなんて、民話はすごい。
人は強さで民話をうみ、民話は人をより強くするのかもしれない。
ポプラ社のこの「むかしむかし絵本シリーズ」の違うおはなしも借りてみよう。
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働き者の若者が、母親が無くなった後、
「おら はたらいても はたらいても、だめなんやなぁ」と言って、
寝てしまいます。
子ども達がからかっても、お役人が取り立てに来ても、全然起きない。
日照りが続き、村が苦しんでいたある日、
むっくり起き上ったねたろうは、
遠くの川から水を引けばいいと言い、ひとり作業に没頭します。
はじめは相手にしなかった村人たちも、いつしか一緒に作業し、
灌漑が完成し、作物が豊かに実る村になったお話。
子ども達が、ねたろうをからかう歌も、テンポがあって面白い。
私独自の解釈ですが、
きっと、母親が生きている間は、
「母を楽にしてあげたい」という若者の気持ち(目標)があったんだと思います。
それが、母親が亡くなってしまうことで、急に目標を見失ってしまい、
「だめなんやなぁ」という虚脱感に襲われたのでしょう。
この後の、急に灌漑を始めるきっかけはわかりませんが、
きっと、寝てばかりに見えた若者の深層心理に、
行動につながる確信があったのでしょう。
目標を持った人間は、とても強い。
目標と確信があれば、周りが何と言おうと、やり遂げる力を削ぐことはできないんですね。
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「うちのむらには、ねたろがござる」とこどもらがうたった。しかし、そのねたろうが村のためにはたらくというお話。
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貧しい土地で働く青年が、母の死を堺に眠り続ける。なまけものになったのかと思いきや、ねむりながら想いをめぐらして考えていたのかな。起き上がると、村のために川から水をひきはじめる。その姿に村人も感化され、みんなが無理だとおもっていたことをなしとげるのがすばらしい。働き続けてもうまくいかないときがある。思いきって休んでしまうと、ねてるあいだに体も充電されて、新しい考えや活力がわいてくるのかもしれない。