紙の本
魔女狩りに関する基本的な知識を得るための入門書・概説書として見れば手頃な文献
2000/11/06 23:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しぇふ - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学のレポートなどで魔女狩りをテーマにした人ならば、まず一番に手にするであろう文献。初版は1970年とあって、さすがに古さを感じずにはいられない。しかし、対象としている年代および地域は広範囲に渡っており、具体的な裁判方法や魔女の特徴についても詳細に触れられているので、魔女狩りに関する基本的な知識を得るための入門書・概説書として見れば手頃な文献であるといえる。
本書は4章立ての構成となっており、古くは魔女(的な存在)に対して寛容であったキリスト教会の態度が、異端審問の成立およびその発展に伴い厳しくなっていく過程が第一章から第二章で説明されている。第三章では魔女裁判に見られる魔女像およびその具体的な裁判方法が詳細に述べられ、第四章では裁判後の状況について言及されている。
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中世キリスト教徒が犯した、残酷な歴史の史実を知るための一冊。マルティン・ルターが提唱した宗教改革自体は、彼なりの信条から発せられたものであり、初期は伝統を重んじるカトリック派が「異端思想」として抗争を繰り広げていたものの、やがてそれは人としての行動とは思えない虐殺劇に発展してゆく。禁欲生活の反動から、金儲けのために罪無き村人の大量虐殺が正当化され、悪魔的としか言えない地獄の時代が訪れる。この一冊でキリスト教がこういうものだと誤解して欲しくは無いが、ここに描かれていることは史実であり事実である。残酷描写が苦手な人は読まなくていい。これを読んで、キリスト教を学び始めた人の多くは絶望すると思う。ただ、それを踏まえて真実とは何か、をそれでも探したい人だけは、一度読んでみると良い。衝撃と絶望をいつか、乗り超える勇気があるのならば。
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中世キリスト教国の異端審問の歴史における「魔女裁判」について記述されている。「世界国家」統轄のために作った異端審問制度により、いつしか魔女は異端者であるものとされ、「魔女裁判」にて残虐な拷問・処刑を執行されるまでになった。衝撃的だったのは、「ヒューマニズムと実証主義のルネッサンス時代は、一方では残虐と迷信の時代であった」との記述である。ルネッサンス時代は近代科学の始まりであり、多くの著名な科学者がいるが、彼らまでもが「魔女裁判」肯定派であったとは信じがたいことであった。また、1)知識はその所有者次第で最高の悪徳となる、2)狂信と政治が結びついたときの恐ろしさを認識すべし、3)科学の敵は宗教でなく神学的ドグマである を歴史的教訓として理解できたことはよかったと思う。
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中世ヨーロッパの黒歴史である魔女狩り。教会の権力体制を磐石とする為に始まった[異端審問]は妄信と財産目当ての堕落によって[魔女裁判]そして[拷問と大虐殺]へとエスカレートしていく。その中心者は聖職者であり知識階層であった。人間の残虐さ、権力と宗教、組織の堕落。その怖さを忘れない為にも読み続けてほしい一冊。
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中学時代なぜこの本を夢中になって読んだのだろうか?
今思うと、宗教への妄信と人間の残酷性が結びついて
起こる倫理の崩壊に惹かれたのかもしれない…
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深い知識に裏付けられた、理解しやすい文体です。それと同時に、人間の負の部分が正の形式を持って実行されるやるせなさが十分に表現されています。「正しさ」という衣を着ることで、冷徹に無残なことをする人間。単に形式的な「正しさ」で満足する人間。このような人間は中世において絶滅したと考えるのは、少し楽観的にすぎるでしょう。人間というものを知る上で、非常に参考になった一冊だと、私は考えています。
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魔女はファンタジーで扱われることが多いが、歴史的な位置付けを知りたかったために購入した
ひたすら狂気を感じる
疑心暗鬼、謀略、保身、ほんとうにこわいのは人間だ
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他国からすれば信じられないような文化である魔女狩りを深い知識を伴って解説している本である。
あまりにもかけ離れた考えであるため、しっくり理解できたとは言えないが、なんとなーく理解出来た気になる本だ。
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過去の事実であると思っていた「魔女狩りに」について、
漠然と持っていた雑学のほとんどが誤りであることを痛感させる一冊。
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[ 内容 ]
西欧キリスト教国を「魔女狩り」が荒れ狂ったのは、ルネサンスの華ひらく十五‐十七世紀のことであった。
密告、拷問、強いられた自白、まことしやかな証拠、残酷な処刑。
しかもこれを煽り立てたのが法皇・国王・貴族および大学者・文化人であった。
狂信と政治が結びついたときに現出する世にも恐ろしい光景をここに見る。
[ 目次 ]
1 平穏だった「古い魔女」の時代(魔女の歴史 寛容な魔女対策)
2 険悪な「新しい魔女」の時代(ローマ・カトリック教会と異端運動 異端審問制の成立とその発展 ほか)
3 魔女裁判(魔女は何をしたのか 救いなき暗黒裁判 ほか)
4 裁判のあとで(魔女の「真実の自白」 「新しい錬金術」―財産没収 ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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今回の地震も魔女のせいにされたのだろう。当時ならば。
神の名の下、教会の名の下、また法王の名の下で行われた残虐行為。
ダビンチコードはフィクションだが、なるほどなんとなくあの作品が伝いたいとしている事はわかった気がした。
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「新書」なるものを初めて読んだ本。
その当時、「魔女狩りは日本でも起きている。。」と思ったものだ。
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中世のキリスト教の不寛容さが、いかに魔女狩りの狂気に走らせたのかをすごく明快に解説されています。
有罪ありきの裁判、死の方がマシと思わせるひどい拷問の数々、財産没収目当ての告発、、、人間が人間にこんな酷いことが出来るのかと、読んでいて胸が痛い。。
本書からの引用。
『人間は宗教的信念(Conscience)をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行うことはない。』
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15~17世紀の中世ヨーロッパで、「魔女狩り」の嵐が吹き荒れた。
それは、異端審問(inquisitio pravitatis hereticae)ともっともらしく呼ばれながらも、実のところ「狩り」というのがふさわしい、野蛮で残酷な狂気の沙汰であった。
「魔女」と見なされたのは、女性ばかりではない。男性も「魔女」として裁かれることがあった。年齢も問わず、幼児から老人まで、まさに老若男女、さまざまな人々が「魔女」の疑いをかけられた。身分階層も関係なく、昨日は学識ある紳士・純潔な乙女と呼ばれても、今日「魔女」にされることもあった。彼らの多くは、いやすべてと言ってよいのだろうが、もちろん「魔女」ではなかった。得てして「神」に背く気などさらさらない善良な人々が「魔女」として捉えられ、猛火に焼かれた。
記録も不十分なことから、いったいどれほどの人がその犠牲になったかは定かではないが、数十万から数百万の無実の人々が処刑されたと見られている。
なぜそのようなことが起こりえたのか。
1つの背景として、当時、「魔女はいる」ことは大前提であった。教会の大きな権威の元、神に背く「魔女」が必ずどこかに潜んでいるとなれば、人々はそれを探そうと躍起になるだろう。少しでも怪しいことがあれば、「あれは魔女だ」と告発される。よしんばそれに疑いを抱く者があっても「お前は神を疑うのか、魔女をかばうのか、お前も魔女なのか」と言われかねないのなら口をつぐんでしまうだろう。
「魔女」と目されたものは連行され、尋問される。尋問と言っても、裸にして鞭打ったり、指を木ねじで締めつけたり(時には骨も砕ける)、体を横たえて四肢を四方に引っ張ったり、と身体的苦痛を与えるものである。これはすでに拷問だろうと思うわけだが、「公式」にはこれは「予備尋問」であって拷問とは呼ばれなかった。この段階で「自白」が得られれば、「拷問なしに自白した」ことになる。
これでも自白しない場合には(魔女ではないのだから、普通に考えれば「自白」などできないわけなのだが)、本格的な拷問が待っている。体を吊り上げ、吊り落とし、水責めにし、ありとあらゆる残酷な方法が取られる。
「魔女」ではなく、「自白」しようもない事柄を、無実の人々はどうやって自白したのだろうか。
当時は明確な「魔女像」があった。秘密の集会に行く。悪魔との淫行にふける。体のどこかに魔女のあざを持つ。黒犬にまたがって夜空を飛ぶ。
拷問を受けながら、「お前は魔女だろう、これをやっただろう」と言われれば、苦痛のあまりに、身に覚えのないことであっても「自白」してしまうだろう。
魔女狩りに遭った人々は、いずれにしろ「魔女」だと決めつけられているので、どのみち逃げ道はない。「自白」するまで拷問されるか、拷問の果てに死んでしまうかということになる。自白をしない場合には、唆す悪魔の力が強いということになるのだ。酷い例では、手足を縛って池に投げ込むという「判別法」がある。浮かべば魔女の証明となり処刑される。沈めば魔女ではないが結局のところは溺れ死んでしまう。酷い話である。
尋問では、「共犯者」についてもしつこく聴かれる。拷問の厳���さから、心ならずも友人・知人の名前を挙げてしまう。後悔して取り消そうとしても一度口から出たものは取り返しがつかない。それらの人々も連行されて処刑される。
処刑される前に自白を取り消す例もなくはなかったが、多くはなかった。
大抵の処刑は火刑である。だが自白した場合には、火刑の前に絞殺されるのが常であった。生きながら焼かれるよりはましと絞殺を選ぶ者が多かったのである。
審問の際にかかった費用(拷問の費用や、裁判官・処刑人の日当、火刑の薪代等も含む)は、魔女本人が支払うべきものとされた。処刑の後、財産が没収されてその費用に充てられた。「魔女」が裕福であれば、得られる財産も多い。
宗教の名のもとに行われた魔女裁判だが、「金になる」側面が隆盛を助長した面も否定はできないだろう。
いやはや、怖ろしいことである。
パスカルは
人間は宗教的信念をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行なうことはない(「パンセ」)
と言ったという。
自らが「正しい」と信じたとき、それが「権威」と結びついたとき、どれほどのことが起こるのか、心に留めておくべきだろう。
魔女狩りの歴史をコンパクトにまとめた啓蒙の書、一読の価値ありである。
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中世ヨーロッパの異端審問から派生した魔女狩りについてまとめられた本。
今の価値観で言うところの「善良な人」なんてひとりもいそうにない中世ヨーロッパは魅力的だ。
爪をはがすのは「予備拷問」で、記録としては「拷問なし」に区分されることにいささかショックを受ける。「ひぐらし」なんて拷問にもなってないじゃないか。
興味のツボにピンポイントで、得るところのおおい読書だった。魔女狩りに興味のある人が概要を知るための本として、絶対的におすすめ。