日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
2009/11/18 13:41
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロングセラー『大学でいかに学ぶか』(講談社現代新書、1979)の著者によるヨーロッパ論。
私がこの本をはじめて読んだのは今から30年近く前もだが、今から10年前に読み返したときも、また今回読み返しても、内容をとくに大幅に修正する必要のない、もはや古典といっても言い過ぎでない本になっていることを実感した。
長く読み続けられてきた本に特有のオーラがあるのだ。
「ベルリンの壁」がまだ存在した冷戦時代に書かれた本だが、政治的に線引きされた国境にとらわれず、ヨーロッパを根本的に理解するための視点を提供してくれる。
著者の問題意識は、あくまでも日本人にとって「ヨーロッパとは何か」という探求姿勢にある。
この問いに対して、著者は地理的要因から説明を始める。これがきわめて重要なのである。
地理学者でかつ歴史学者であったフェルナン・ブローデルは「地中海世界」の全体史を描ききったが、これに対して著者は「アルプス以北」の世界の構造を明確化しようと試みる。
明治以降、西洋近代化への道を選択した日本に、文明レベルで大きな影響を与えたのは、アルプスより北に位置する西欧であった。 だから、日本人にとってのヨーロッパは、何よりもまず「アルプス以北」なのである。
西洋中世史を主たる研究テーマにしていた著者は、フランク王国を知らなければヨーロッパとは何かを知ることはできない、という。
フランス革命以降成立した「国民国家」という枠組みにとらわれていては、ほんとうのヨーロッパは見えてこないからだ。戦争のたびに国境線が引き直されてきたということだけをっしているのではない、「国民国家」成立以前は、国家意識も現代ほど明瞭ではなかったのである。
ある意味、同じく著者の代表作である『都市』(ちくま学芸文庫、1994)と同様、社会学的な問題意識をもってヨーロッパ研究に取り組んだ、「比較社会史」志向の歴史書といえる。
著者は狭い意味の専門家ではなく、歴史学を真の意味での実学として研究してきた人であった。
こういう本をきちんと読んでおくと、イデオロギーにとらわれないもの見方が身に付くはずだ。必読の基本書である。
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【ヨーロッパ文化を理解するための一助として】
図開架 S230:M424
ヨーロッパと一言で表現されても、その内容には違いがある。歴史学者が初心者にもわかりやすく解説している。
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私がヨーロッパ史を学ぶうえでベースにしている本
わかりやすいし、古本屋に結構出回ってるからおすすめ
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現在のヨーロッパが何であるのかを知るために、まず成立の過程を理解することから始まる。
明治時代に日本人がものすごい勢いで輸入したヨーロッパだが、見落とされた部分は多い。何世紀もかけてできあがったヨーロッパ意識もその一つ。その背景はどうであったのか。
著者は「ちょっと風変わりなヨーロッパ論である」とことわっているが、ヨーロッパがどのようにしてできたのか、またそれはどうしてか、をこれ以上なくわかりやすく解説している。
ローマ帝国が崩壊したから、ゲルマン民族が大移動したから、キリスト教が公認されたから、カール大帝が帝国を支配したから、封建制度ができたから、今日明日でヨーロッパができたわけではない。
著者の持論に、あぁなるほどとうなずける。
そうじゃないんだ、という驚きもいっぱい、
何度か読み返してもきっとためになるであろう。
ヨーロッパを歩くのがまた一段と楽しくなるすばらしい一冊。
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[ 内容 ]
ヨーロッパの思想や制度を熱心に受け入れることにより、驚異的ともいえる近代化を達成してきた日本。
それでいて、ヨーロッパとは何かについて、真に学問的な深さで洞察し、議論した書物は意外に少ない。
本書は、ヨーロッパの社会とその精神の成り立ちを明らかにし、その本質的性格に迫ろうとする「ヨーロッパ学入門」。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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明治以後の日本が範としたヨーロッパ社会の成立を、具体的・内在的に叙述した古典
[配架場所]2F展示 [請求記号]080/I-3 [資料番号]0000429356
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先輩にあたる祖父のゼミの教官であった増田四郎の著作。一橋西洋史学四傑の一人だそうな。(ちなみに残りは三浦新七、上原専禄、阿部謹也)。
この本の問題意識は、WW1後に起きたいわゆるヨーロッパの地盤沈下に際し、時代の過渡期における人々の生活がいかなるものであったかというものである。そこで、増田が注目したのは古代ローマ帝国末期から中世にかけての人々の生活である。時代の過渡期の先例を吟味することで、現代に対して示唆を与える。まさしく社会科学としての歴史学の代表的著作。
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マルクス主義に代表される発展段階説や各国別の歴史とは異なる、歴史学の新しい潮流を受け止めつつ、ヨーロッパとは何かという問題についての考察をおこなっている本です。
歴史学の新しい潮流としては、一方にシュペングラーやトインビーの文明史が念頭に置かれていますが、より重要なのはアナール学派に代表される新しい歴史学で、本書でも中世的世界の形成に関するそれらの業績が踏まえられています。ただし著者は、そうした新しい歴史学の成果をそのまま受け入れるのではなく、明治以来ヨーロッパの文物を取り入れてきた日本の立場から、改めて「ヨーロッパとは何か」と問いかけています。
具体的な内容としては、ローマ帝国の崩壊からゲルマン国家の形成に至る過程を詳しく検討しているのですが、個々の議論というよりも、本書が提出している問題の枠組みそのものに興味を覚えました。
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『西ヨーロッパはすでにローマの滅亡以来、今日に至るまで、いまだかつて一つの国に統合されたためしはないのである。これを裏がえしていえば、ヨーロッパを一色にぬりつぶそうとする企ては、いつでも失敗におわっているということである。さらに内容的にいえば、西ヨーロッパの歴史は、各地域の特性を発揮する力と、これをまとめようとする力との緊張関係の連続であった』
『画一化をあくまで嫌い、それぞれの地域性や国民性を生かした上での協力体制の確立、個性を生かした百花繚乱たるユニークな文化圏の統合、ヨーロッパはその方途を真剣に探っているのであり、将来もおそらくその努力をつづけるであろう。その意味で、EEC加盟がーイギリスの例をみてもわかるようにー容易に進捗しない』
うーん、Brexitももっと長い歴史のスパンから見れば、まぁヨーロッパそのものなんですなぁ。
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海という自然の国境に囲まれた島国に生き、日本語という絶対的な標準語があり、民族も単一(本当は違うが)である我々日本人には理解できない大陸国家の人たちのもつ国家観念について、示唆に富む話がわかりやすく書かれている。
-----以下要約-----
地中海というギリシア文化の影響をもろに受ける土地で着実に文明化したローマ人。そのローマ人の打ち立てたローマ帝国の実情は契約関係で結ばれた複数国家の集合体であった。それが東洋の領土国家観に影響を受け次第に皇帝が全てを統治する制度国家へと変貌するが、ローマ帝国の衰微に伴ってゲルマン民族が擡頭しはじめるとローマ帝国は東に移ってビザンツ帝国となり西にはゲルマン民族の一種フランク人によるフランク帝国が誕生する。しかし著者曰く「西ヨーロッパはすでにローマの滅亡以来、今日に至るまで、いまだかつて一つの国に統合されたためしはなかった」(p.134)。フランク帝国は現在の西ヨーロッパに広大な領土をもったが、それは結局のところ初期ローマ帝国内部の契約関係と似たものであり、つまりヨーロッパははなから統一体ではなかった。
言語的にみても錯綜はなはだしく、その言語に即して政治的分離独立することもできれば、またそれを超えて一つになることもできる。つまりヨーロッパとはそれだけ流動的な集合体である。EEC(発刊当時)が目指すのも画一化されたヨーロッパという一つの(日本人的発想による)国家的存在ではなく、各々の個性を打ち出しながらも緩くヨーロッパという枠組みの中でヨーロッパを守っていくことにある。
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ロシアのウクライナ侵攻を見て、ヨーロッパの歴史を少し勉強しようと思い、読んだ本。
「地政学」とは、もともとは「地理的諸条件を基軸におき、一国の政治的発展や膨張を合理化する国家戦略論」という意味であった。「地理的諸条件」というのは分かったような分からないような気がしていたが、この観点からこの本を読むと「なるほど」と思うことがいくつもあった。
例えば、
東からフン族(4-6世紀)のような騎馬民族が攻めてきた場合、地形が平坦な東ヨーロッパでは食い止めるのは困難で、西ヨーロッパの東の境のカルパチア山脈まで侵攻されてしまう。実はこの辺りがヨーロッパ文化の防衛線になり、結果として西ヨーロッパだけがヨーロッパ本体と考える考え方が潜在的に形成された。これは人種上や宗教上の問題とは異なるが、非常に大きな意味を持つ。