紙の本
恐らく本筋とは無関係な部分にぐっときてしまって
2021/05/22 18:41
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者が英国の有名伝統寄宿学校で
苦労する話です。
忘れ難いくだりは、
ほぼ英語運用力皆無で渡航入学した
若き日の著者が、教師から指を
口に突っ込まれてながら発音を
正されるところですね。
著者はその件について恨み辛みを
一切述べてないところがまた凄い。
余談ですが、確か阿川弘之さんが、
岩波の図書の特集記事で
本書をオススメしていた記憶があります。
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"自由"とはなんだろう?
人間が自由を見つけて幾年も経ち、その自由の本質が大きく変化してきた。この本は、自由の定義を教えてくれるはず。
自由とありますが、教育関連の本です。1963年の出版ですが、なにも古いことはありません。まさに教育が揺れている今、再生会議と呼ばれる機構に集められている何も知らない愚人どもが読むべき本です。
結局、教育関連書籍の中では、この本の質が最も高かったと思う。ただ知名度が低いのが残念。岩波は新書セールを開いて、この本を全面的に売り出すべき。
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'08.1/5
規律を前提にした自由の為、
規律を徹底的に叩き込むパブリックスクールに関する本。
それにしてもところどころで出てくる日本の学生の姿が60年たった今でも変わらない。。。
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イギリスの私立学校(パブリックスクール)における「自由の精神が厳格な規律の中で見事に育まれていく教育システム」(紹介文より)について、著者の過ごしたリース・スクールの体験談を交えながら紹介するとても面白い本。イギリス紳士がいかにして育てられるか、そしてその紳士としての振る舞い、精神とはどのようなものかということを知ることができる。昨日『ガウェイン』とか読んでたので、スポーツマンシップの話とか、試験で絶対不正行為をしない云々の話なんか、騎士みたいだな、と思う。寮生活や校長、プリーフェクトの話なんか、ハリー・ポッターみたいだなーとか思うミーハーな俺。数ある面白いエピソードの中でも「L先生」の話は笑える。大学3年のときにゼミの先生がチラッと言ってたのを覚えていたので昨日105円で買ったが、かなり得した感じ。(07/06/12)
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昭和24年に書かれた本なのに、現在と本質的な問題が変わっていないことに驚き。
論理的な議論よりも面子とかの方が勝ってしまうのは、日本人の変わらない特性なのか?
自由の前提には規律があるという考え方は、うちの社員にも理解させたい。
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イギリスのパブリックスクールで育まれる、自由と規律の精神について。
自由には規律がつきもの。規律を守ってこそ自由は与えられる、その原則について書かれています。
ともすれば、自由だけを求めがちですが、規律を厳格に守る重要性が理解されます。
固いです。
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書かれたのは戦前。印象に残っている箇所3つ。?ロンドンの街頭には子供がおらず、その理由は、多くの子供は田舎の学校で寄宿生活を送っているからだという。そうえいば、オックスフォードもケンブリッジも郊外に位置しているというのは聞いたことがある。理由は多々あるが。それも含めて学校は基本的に郊外に位置しているのだろうと思う。?イギリスでは1,2年の遅速を神経質に争う風がないとのこと。たまたま試験に合格しても実力に充分の自信が持てないものが上級の学校に入っても意味がないとか。試験に通っても原校に止まってその課目の勉強に身を入れようということはする者が多いとのこと。驚く。教育制度そのものというか、教育の考え方というか、根本から異なっているとしか言いようがない。どちらがいいかと言われればわからないが、日本の教育の矛盾点を感じるとこういう制度も選択肢の一つだと思う。?規律とは、その行為自体の善悪が問題なのではない。ある特定の条件にある特定の人間が、ある行為をして善いか悪いかはすでに決まっていて、好む好まないを問わずその人間をしてこの決定に服せしめる力が規律である。すべての規律には、これを作る人間と守る人間があり、規律を守る人間がその是非を論ずることは許さないのである。押し付け論と捉えられなくもないが、この考え方には是である。社会というのは秩序の上に成り立っている。だから、規律が規律たりえないと秩序は形成されないと感じるからである。日本は守らなければいけない暗黙のルールみたいなのが多すぎると思ったりしていたが、イギリスのこれを読むと日本ばかりではないのだなと感じる。また、暗黙のルールというのはマナーであったりするわけで、むしろ日本よりも他の国の方がうるさかったりするのだなと感じる。
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戦前のパブリックスクールに関する本を、翻訳でない自然な日本語で読めることが何より嬉しいなぁ。古い本なので文体がとっつきづらかったり所々漢字が読めなかったりするんだけど、パブリックスクールの硬派な教育と相俟って、それがかえっていい味出してます。古きよき教養主義の香りに憧れる。
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ハリー・ポッターやらサークル・オブ・マジックやらコダマの谷やら、とにかく今まで読んだあらゆる西洋ファンタジー学校ものを思い出しつつ読んだ。教育制度や雰囲気など、今まであまりよく理解していなかった部分がこの本を読んでちょっとすっきり。
戦前のイギリスにおいてのエリート教育、ひいては当時のイギリスの教育全体についての内容。
現在はどういった雰囲気なのか気になる。
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英国のパブリック・スクールの生活を経験した数少ない日本人の一人である著者が、自らの経験を中心にその特殊な学校の姿を見事に描き出した名著
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自由とは規律の上に成り立つもの。
これが正解かはわからないけど、賛同。
日本ってあまり規律がない様に感じる。
見えないものに甘えて、なあなあになることをよくみかける。
みんなでやれば怖くない、みたいな。
幼少の日々を過ごしたアジアにもはっきりとした規律はなかったと思う。
ただ、人間関係の中にある種見えないルールがとても強かった。
それも一種の自由だったのかな。
話はケンプリッジとオックスフォードの英国的紳士修行について。
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今回『自由と規律』を読み、その感想としてまず抱いたことは次の通りである。つまり、私は高校時代に真なる自由というものを謳歌できているのかという疑問である。なぜならば、私が3年間を過ごした熊谷高校は、その校訓の一つとして「自由と自治」というものを掲げているからだ。その高校では一般の高校と違い、制服が存在しない。学生は各々自由な格好で通学することができる。休み時間の過ごし方も自由である。たとえば、昼休みに抜け出し、近所のコンビニや駄菓子屋、レストランへ行くことも可能である。授業においても担当教員が不在の場合は、その時間は各自図書館学習(通称カクト)と呼ばれるものになる。その時間は勉強している学生もいれば、友達と麻雀に興じる学生、はたまた近所のレストランに行く学生などがいた。いうなれば、その時間は何をしようが自由なのである。高校時代私は、このような自由な校風の下自由気ままな学生生活を送っていた。しかし、ここで一つ疑問なのは、私は自由の裏に必ず存在する責任というものを意識していたかどうかという点である。「自由=無秩序」と考え、自由をはき違えていたのではないかという疑問である。そのことを示唆するエピソードを紹介したい。
私の母校熊谷高校の最寄駅、熊谷駅前には源平合戦で活躍し、熊谷市の名前のゆらいにもなった熊谷次郎直実の銅像が鎮座している。毎年熊谷市では、うちわ祭りという祭りが夏に開かれるのだが、それが開催されるたびに我々学生はその銅像に登るという悪習が存在している。その銅像は重要文化財に指定されており、登ことはおろか触ることさえ法律で禁止されている。しかし、我々はその法律を無視し登ってしまった。我々の言い分としてはこれが伝統だから、自由だからなどが当時はあったと記憶している。今思うと非常に恥ずかしいことであるが、直実像に登った際私の先輩の一人が警察に捕まってしまった。この後警察、学校関係者に怒られたのは言うまでもないが、ここで問題なのは自分たちの蛮行に対する後始末を人任せにしてしまった点である。つまり、祭りの実行委員会、周辺住民、警察などの関係諸機関に対する説明責任を我々は負わなかった。謝罪にさえ行った記憶がない。すべて校長先生をはじめとする、先生方に任せてしまったのだ。高校入学時の担任から「自由ということばの裏には必ず責任ということばがついてまわるのだよ。」と言われていたにも関わらず、我々は自分たちの蛮行に対する責任を放棄してしまった。確かに中心となって扇動した応援団は謹慎し、それなりの責任を果たしたと言えるが、自分の蛮行に対する責任を人任せにしてしまった点は今でも申し訳ないと思う。
このエピソードに見られるように、私は高校時代「自由」ということばをはき違え、それに対する責任を負わなかったように感じる。「自由=無秩序」という考え方が私の中にはびこっているように感じる。真なる自由とは規律によって担保されるという本書の主張は、私に衝撃を与えた。仮に「自由=無秩序」、つまり規律が存在しない状態だと我々人間はどのように行動するのか。おそらく自由の名のもとに暴走してしまうであろう。自分の利益のみを追い求め、数多くの蛮行を働くに違いない。なるほど、自由経済の世界においてもその自由を規制する法律、諸機関があることもうなずける。
我々の自由に対して規律が必要なことは理解した。では、その規律を守らせるには、その規律を教え込むにはどうしたらよいのか。その方法はひとえに正解とは言えないが、私が思うのは次のようである。つまり、自由の裏に必ず責任ということばが付きまとうことを理解させるほかない。思うに日本の事なかれ主義においては、先生、親など規律を教えなければならない人が非常に過保護である。子供が悪さをすれば親同伴で謝罪に来る。自分が好き勝手にやったことに対して自分で責任を負う。この点がもうすこし強調されてもいいと思う。自分の行動の後始末を自分でつけることで、やってはいけないことを学ぶのではないかというのが私見である。
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「パプリックスクール」とは何か。著者自身の経験をふまえ、その根底を貫く精神のありようを問いかける。「自由と規律」を体現し得る世界を追体験してほしい。 (2010: 村松晋先生推薦)
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パブリックスクールでは、夜食が出ず、耐乏生活を過ごす。
しかし、この経験を積んだ父兄の多くが、身に沁みてその苦痛を知る反面、かつ多大な効果を信じるがゆえに敢えて再びその子弟にこの道を踏ましうるであろう。
長い将来についての利害をおもんばかって、一時の憐憫を捨てる、強く逞しい愛情をいうのである。
愛児のために、かりそめの安易を捨てうる心構えを持つものは、国家再建のためには、たとい如何に過酷なものがあるにせよ、いっときの物質的欠乏には耐えうるはずだからである。
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[ 内容 ]
ケンブリッジ、オックスフォードの両大学は、英国型紳士修業と結びついて世界的に有名だが、あまり知られていないその前過程のパブリック・スクールこそ、イギリス人の性格形成に基本的な重要性をもっている。
若き日をそこに学んだ著者は、自由の精神が厳格な規律の中で見事に育くまれてゆく教育システムを、体験を通して興味深く描く。
[ 目次 ]
パブリック・スクールの本質と起源
その制度
その生活(寮 校長 ハウスマスターと教員 学課 運動競技)
スポーツマンシップということ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]