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1970年代初頭にアメリカへ研究調査で2年間滞在した元検察官の報告書だが、日米の刑事司法のありかたの比較から見えてくる文化的差異は、驚くほど大きく、深く、それから30年以上たった現在も、ほとんど変わっていないように思える。だから、この本は比較文化論として読んでもすこぶる興味深い。
<人間主義の日本から、個人主義原理に貫かれるアメリカへ行けば、その社会は殺伐たるものであり、その刑事司法はいわば「ロールだけの裁判」であって非人間的であるという印象を受けることを免れがたい。…… 私は、アメリカ人とくにプアー・ホワイトの顔に刻まれた深いしわと不安な眼付きに、しばしば「非情な個人主義」の落とす影を見た。>
日本の司法理念の根幹をなしている「実体的真実主義」はその背後を「裁判国事主義」によって支えられている。裁判は国家の重要な機能のひとつであり、裁判による正義の実現が国家の任務のひとつだとする考え方である。
いっぽうアメリカの司法の「形式的真実ないし手続上事実主義」というべき原則は、その背後に「裁判当事者主義」が控えている。そこでは、裁判は国事などではなく、私的な裁判所外の喧嘩、闘争の代用物なのだ。
さらに驚くべき事にはアメリカの刑事裁判の9割以上が、当事者間の取引によって量刑が決まる「有罪答弁」で処理されているという。