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キルケゴールの著作11冊の内容を簡潔に紹介している本。キルケゴールの思想は、審美的生、倫理的生、宗教的生と深まっていく質的弁証法として理解することができる。本書では、キルケゴール自身の規定に沿って、各著作を重点やスタイルに応じて「審美的著作」「倫理的著作」「宗教的著作」の3種類に分類している。
「倫理的著作」に関する章では、ヘーゲルよりソクラテスに、ソクラテスよりイエスに学ぶべきだというキルケゴールの実存哲学的立場が解説されている。ヘーゲル哲学では、論理的な体系の中で存在の必然的な移行が語られるが、これは「生成」を「存在」に取り込んでしまうことである。キルケゴールは、永遠的・普遍的な「本質」ではなく、自由による飛躍としての「生成」を重視する。こうした彼の立場から見ると、ソクラテスの「無知」も「知」を前提している。すべての人間は永遠の真理を自分自身の内に持っており、それを認識することができるということが、ソクラテスの「助産術」の前提となっている。
だが、イエスについては、人間の姿を持ったイエスが神であるということを、人間の知性は見分けることができないということが前提になっている。ここでは、教師は真理を認識するための機縁ではなく、教師と弟子との出会いそのものが決定的な意義を持つことになる。
そして「宗教的著作」に関する章で、ふたたびソクラテスとイエスの対比がおこなわれている。ソクラテスは最後の希望として神を見いだしながら、みずからの自由意志によってその神から背き去った。これは「罪としての絶望」だとキルケゴールは言う。他方、罪人として殺された殉教のイエスは、神という至高の存在が卑賤な罪人として歴史の中に啓き示されたという矛盾を示している。ここには、イエスとの生の共同が価値あるものだということはまったく示されておらず、躓きのしるしだけが示されている。だがキルケゴールはここに、人間を自由なものとする神の深い愛を見るのである。