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☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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戦時中大きな反響を呼び、戦後批判に晒された、雑誌『文学界』昭和十七年九、十月号の論文集と座談会の再録。及び戦後それを再考した論文を収録。
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世相を感じることができる。
ヨーロッパ的近代は日本に文明開化以来様々な制度や理念をもたらしたが、その制度や理念は社会的矛盾を解決できていないというのが共通認識だったのだと個人的に思っている。おそらくだが、その失望は米国への宣戦布告の中の国際法遵守に関する一文が抜けていることと無縁ではない。
そして、ドイツやソ連など既存の近代概念とは異なる一党支配の国が力をつけるにつれ、日本も近代を脱皮して新たな制度や理念を構築しようとする。米国との開戦に興奮を覚えた知識人が多いのは、近代の超克が時代の雰囲気であったことの証明だと思う。
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【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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文体が古いので、一文読むのに倍くらい時間がかかる…ただ言ってることや論理展開自体は変ではないので分かる。日本浪漫派とかマルクス主義とか、もう少し時代背景や思想の前提知識があれば、理解が深まると思うが、80年以上前の時代の世相が当時の知識人たちの言葉を通じて生々しく伝わってきて、興味深かった。
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真珠湾攻撃の興奮覚めやらぬ時期に企画された悪名高き座談会である。これだけの面々を集めての大討論だ。議論が収斂しないのも致しかたない。だが、したり顔の批判者が言うように、ここで議論されたことがそう簡単に過去となったとは思えない。今も考えさせられる点は少なくない。巻末の竹内好の文章は各参加者のスタンスの大まかな見取図を提示しており参考になる。微妙な差異を度外視するなら、反近代を叫ぶ日本浪漫派(但し代表格の保田輿重郎は当日欠席)、ポスト近代を展望する京都学派(但し下村寅太郎を除く)、近代にこだわる文学界グループ(但し小林秀雄はむしろ日本浪漫派に近い)ということになろうか。 個人的には付け焼刃の近代批判に潜む無自覚な観念性を鋭くついた下村寅太郎と中村光夫に最も共感を覚えた。
「近代とは我々自身であり、近代の超克とは我々自身の超克である。・・・機械そのものは精神そのものの所産であり機械の形成そのものは一応精神の勝利を意味する。寧ろその勝利を究極的に徹底せしめることのみが問題ではないか。・・・現代の窮状は機械の破壊によって打開され得るか。加之、我々は果たして機械の破壊そのものを敢えて欲し得るであらうか。」(下村)
「彼等(ヨーロッパ人)が近代という人間精神上の或る秩序(または無秩序)を否定するとき、それは彼等自らがその秩序(または無秩序)を果てまで生きて見たといふ確信を前提としている。・・・僕等は「近代」といふものに対して、かういふいはば生活そのものに根ざした健康な絶望乃至自信を持ち得るであろうか。・・・僕等はかつて西洋を担いだと同じやうな調子で我国の古典を担いでいる。少くも一国民の文化的自覚といふような真剣な事業が、かうしたお手軽な精神の作業によって成しとげられるとは僕には信じられない」(中村)
戦後この二人の問いを誰がまともに継承したと言えるだろうか。「アジア主義」がその答だとも思わないが、次の竹内の言葉は重い。「敗戦によるアポリアの解消によって、思想の荒廃状態がそのまま凍結されている・・・今日の日本は「神話」が支配していることに問題があるのではなく、「神話」を克服できなかったエセ知性が「自力」でなく復権していることに問題があるのである。」