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紙の本
「忘れ川」に囲まれた館を舞台に繰り広げられる不思議な物語〜善と悪のせめぎあう人生の縮図が込められています。
2004/12/05 23:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
ガラス職人のアルべルトと妻のソフィアは、幼い二人の小さな子ども達と共に暮らしていました。アルベルトの作るガラス器は美しいけれど、売れません。貧しい暮らしをしていました。妻のソフィアは、ふと「彼はあたしよりガラスの方が好きなんだわ」と思って悲しくなりました。夫と妻のどこにでもあるような心のすれ違いから、ソフィアは、「子どもなんか話し相手にならない。邪魔なだけよ」ともらしてしまいます。
そして、街の市で忽然と姿を消してしまう二人の子どもたち。
子どもたちを連れ去ったのは、忘れ川の向こうの館に住む裕福な領主夫婦でした。「世界一美しく良い町」を作りたいと思っている領主、妻の願いを叶えてあげたいとひたすら思っている領主。領主から何でも与えられて欲しいものなどない妻、本当の自分を領主に知ってほしいとひたすら願っている妻。そんな二人と共に住むことになった幼い二人は、美しい洋服を着せられ、美味しい食べ物を与えられました。
領主の館に、未来を見通す占い師フラクサと不思議な片目の大ガラス、邪悪な子守女ナナがやってきます。
裕福な領主の夫婦、貧しいガラス職人を通して、幸せについて考えさせられました。占い師フラクサと邪悪な子守女ナナの戦いを通して、悪とは、本当にささいなことのすれ違いから生じ、人間の手に負えない存在となってゆくものだということを知らされました。善と悪、その両方をしかと見つめなくてはならないことを片目の大ガラスが教えてくれます。
くきやかな影絵のように登場人物の存在が感じられます。「忘れ川」に囲まれた館を舞台に繰り広げられる不思議な物語の中に、善と悪のせめぎあう人生の縮図が込められています。子どもから大人まで味わうことができる物語としてお勧めの一冊です。
紙の本
本当のしあわせがわかる大人たち
2002/10/30 21:06
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Yan - この投稿者のレビュー一覧を見る
忘れ川の中州の城に住む領主は、ありがとうという言葉が言えず、
夫人はその言葉を夫から聞きたがり、そのためには子どもを夫に贈ればいいのだと思っています。
ガラス職人の子どもたちクラースとクララが、領主によってさらわれ、忘れ川をこえたことで
自分たちの親のこと、ふるさとのことを忘れてしまいます。
子どもがさらわれる前、ふたりの母親が緑色の石のついた指輪を手に入れるのですが
それを手にしたとたん、物欲が芽生えて、子どもたちを邪魔に思うようになります。
指輪の元は、大ガラスの目。占いおんなのフラクサが飼っている物言う鳥の「夜の目」でした。
フラクサは、子どもたちがさらわれることを占って、父親に教えるのですが
愚かになってしまった母親はそのことがわからず、子どもから目を離したすきに
さらわれてしまいます。
忘れ川の城の中では、階段を山にみたてて遊ぶ子どもたち。
ガラス器が知らないうちに割れる。
心を病んだ領主夫人のすることはどれもおかしい。
ガラスを割るのがクラースだと知って家庭教師ナナをやとうのですが、
それがまた抑圧的な女で、一日中食べて寝るっを繰り返すという欲望の塊。
願い事をかなえるのが勤めだと思いこんでいる領主。
すぐかなえられる願い事ならしても仕方がないと考えて心を閉ざした夫人。
その心を解きほぐしたものは、「夏の雲、過去の自分」でした。
願い事をずっと持ちつづけることの素晴らしさを知ったのです。
領主もありがとうが言えるようになります。
フラクサは、ナナとの対決によって子どもたちを救い出します。
大ガラスの目は、指輪が母親からフラクサの手に戻ったことによって
物が正しく見えるようになります。
「昼の目」と「夜の目」、善と悪との両方を見つめることのできる者こそ賢い。
この教訓が満ちているお話でした。
紙の本
大きな子供たちは、小さい子供たちを前に、とまどう
2000/07/28 20:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:木村由利子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
グリーペの書くファンタジーは、とても静かだ。登場人物たちがどんなに騒がしい音をたてていても、ひっそりと重い空気が彼等の前におりていて、読者まで音が伝わらない。そして映画の無音の場面がしばしばそうであるように、彼等もスロウ・モーションで動いている。そんな気がする。静かな、そして多分セピア色の世界で、お話は始まる。
貧しい村のガラス職人夫婦には、幼い2人の子どもがいた。職人はガラス吹きの仕事に没頭し、若い妻はかまわれないことが寂しい。かわいいはずの子どもたちさえ、うとましく思ってしまう。そんな想いが、災いを呼んだのだろうか。ある日子どもたちは、街の市で忽然と姿を消してしまう。
子どもたちを連れ去ったのは、忘れ川の向こうの館に住む領主夫婦だった。不幸な夫人の慰めになるかと、領主が妻へのプレゼントにしたのだ。だが妻はいっこうに喜ばない。妻の願いごと捜しと慣れない子供に疲れ、領主は乳母を雇い、責任を逃れる。
登場人物はみな不幸だ。心満たされず、その気持ちを人にわかってもらいたくていらだっている。かまってほしくて、心の中でじだんだを踏む。そのくせ自分をわからせる行動に移らない。彼等は子供なのだ。だが、子供でない大人なんて、この世に何人いるというのだろう。大人は年をくった子供でしかない。そして物語の本物の子供は、もっと不幸だ。忘れ川を越えたために記憶をなくし、周囲の大人たちに心をあずけられない。しかも大人たち--育っただけの子供たち--は、彼等を力づくで支配する。支配された者たちは割り切れない気持ちを非生物にぶつけ、何章にもわたって、ガラスは割れる。大きな子供は、なすすべもなくそれを見ているだけだ。
結局この物語中唯一の大人ともいうべき魔女フラクサが、理屈も言葉も越えた幻術を使い、ほころびとねじれを元に戻す。そして大きな子供たちも、小さな子供たちも、前より少し幸せになる。時たま形にならない記憶がよみがえり、小さな子供たちはおびえる。夢なんだ、夢でしかない。と大きな子供たちは言い聞かせる。そう、夢だ、このお話の何もかもが。
でも忘れ川の向こうでは、今もセピア色の悪夢が、ストップモーションになって、つづくのかもしれない。
(木村由利子/翻訳家)
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