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主人公とその父親との和解までの道のりを描いた作品。古き時代の威厳ある父との対立に、冷戦のように張りつめた空気を彼らの家族同様ひしひしと感じ取る事が出来る。周りは気を遣いながら、何とか和解を望む。けれど主人公はそれに苛立ち、自らの子が亡くなった時も、子を和解に利用しようとしたと周囲の人間に怒りすら覚える。古き時代を反映した情景だが、主人公が妻の出産に立ち会い、涙する姿は今なお感動出来る。命を通して見直していく家族、そして親子の関係。相手を理解して初めて和解は成立する。和解への道のりは、単純ではない。けれど、そこへ辿りついた時彼らはもう多くの言葉を掛け合う必要は無かった。
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そのまんま、志賀本人と父の、冷戦からデタントに至るお話。「完全に自分のためじゃん」という本ですが。タンタンと描かれる二人の関係。。。これを書くことで、ひとつの区切りをつけたかったんだろうなぁもしそれができたならよかったねって思った。この人の表現はこねくりまわさずに、素直な文章ってかんじがしていやされます
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やはり志賀直哉の小説には人を惹きつける力があると、この作品を読んで改めて感じた。この作品のハイライトは一番目の子どもが亡くなる場面と、父親との和解が行われる場面であると思うが、その光景は自分の目の前で展開されているかのような臨場感がある。またこの父子の和解が「暗夜行路」の構想に変化を与えたということもあとがきから知った。その「暗夜行路」をいつか読みたいと思う。2008-2-14
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「われわれは簡単に調和して差し支えないことを妙にヒネクレることから起こさずにすむ悲劇を起こして苦しむ」
この作品は私小説である。志賀直哉と父親の仲の悪さを描いているのがリアルである。
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形は違えどどの時代にもあるだろう父と息子の微妙な関係と距離感、ここで描かれている作者とその父もまたしかり
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「如是我聞」を読んだら、志賀直哉を読んでみたくなるのは当然で。いくつかの短編は読んだことあるけれど、そしてそれはそれで良い味わいだと思っていたけれど、この「和解」はどうも。気付いたら和解してた、というか。そのわりに勿体振りすぎじゃないか、と思うのです。…というのは「和解」しか読んでないからで、「暗夜行路」とか読めば、また感想も変わるんだろう。
…たぶん太宰の影響だろうと。
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「死」の扱い方にすごく惹かれる。
志賀氏、結構好きです。
まだ暗夜行路読んでないからはよ読みたい。
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日常の些事が、あたかも意味深げなものに思えてくるのは、志賀の文章の巧さなのでしょう。
あまり巧さについてどう巧いかを説明できないのだが、読んでいて不快感や違和感や読みづらさを感じさせないという点では、ずば抜けていると思う。
よく言われる「無駄のない文章」のおかげで、すらすらと読んでいける。
それから、「和解」の中で武者小路実篤が志賀の作品を評する件があって、そのときの武者小路(友人M)の発言がいかにも武者小路が言いそうなことで面白い。
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小説の神様の、小説の神様たるゆえんの小説。
むずかしいことはさておいて、なんで志賀直哉が神様なのか、という点だけピックアップすると、主人公順吉と作者志賀直哉が完全にシンクロできるからで、普通の作者(人間)であれば躊躇するであろう"同一感"が、やはり人間離れしていると思った。
この話、なんでか父親と仲たがいしている主人公(順吉)が、順吉の娘の死によってなんとなく心境の変化があって父親と和解したら親族がみんなして喜んだ、という手合いの話なのですが、この、娘が死ぬまでの順吉の肉眼は、平成の世の中ででも十分に通用するスリリングと悲壮感を兼ね備えております。
これで実際にちいさな娘さんのあるかたならば、よりもっと気が気ではないことでしょう。逆を言えばこの「すごさ」を超えないからこそ、まだ志賀直哉がもてはやされたりするということなんですが。
一度は読んでおいていいです。比較的短いものですから。
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和解は子供ができたらわかる作品とか言われているので比較のために今のうちに読んでおくかと思って読んでみたが、元々あんまり根に持たない性格なので確執自体そもそも理解できなかった。
とはいえ自分の母方の家庭内もこんな確執がある。病床の祖父にまで迷惑をかけて、本当に年だけ食ってこいつら馬鹿なんだなと思った。
素直にならないからこうやってこじれていく。怒るだけで、落ち着いて自分の気持ちを語り合わないからさらに頑固になっていく。
本人たちにしか分からない確執もあるのかもしれないけれど、感情だけに任せず考えに考え続ければ、仮に殺されかけた相手でさえ許すことができると思う。意固地になっていることは、結局は自分も苦しいだけである。
家族は赤の他人ではないからこそ分かりあわなきゃという焦りもあるのかもしれないが、血が繋がってるというだけで、単なる人と人でもある。
だからこそ簡単に縁を切ることもできないため余計に思い悩むのかもしれないが、そんな時こそ感情をまじえないほうが相手を理解することができると思う。
あと、何かとすぐ泣く妻がうざい。
しかし醜い筈の出産シーンが、全てにおいて美しいと感じるという描写。
これは男性にしか味わえない感覚なのだと思うとうらやましくてたまらない。
2016.12.3
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自我にめざめ個人が自由に行動するのは、明治の昔、簡単ではない。
西欧的思想の個我にめざめ、作家を志し自由結婚を望めば、昔気質の父には認められないことだ。
そして強い個性の似たような親子はぶつかって、もう好い加減に許そうと思ってもおのおのなかなか出来ない。
周りの家族に助けられ、状況の変化に引っ張られて「和解」にたどり着く。でも決して理解しあったのではなく、親子の情がゆるむような「和解」。
やはり小説の神様は小説がうまかった。堪能。
さて、親子の確執は現代でも続いている。ブログでも見受けるし、自分も無いとは言えない。しかしその内容は名作とは違う。
現代ではそれこそ「個人の自由選択」は法律でも保証されている。そのように社会もなっているようだが、本当の意味で西欧の言う「自我」を確立しているかどうか。
堕落かもしれない。未発達なのかもしれない。
もたれあい、あまえあい、きずをなめあう、風土は依然としてあるから。
「パラサイト」許し難い。 過保護もってのほか。
そこに親子の確執が起こるとどうなるのか?
最悪は親殺し、子殺し事件のニュース。
でも、いちばんわかってくれるのも親。子も親は捨てられない。
願わくは、お互いの自立。