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(2010.11.24読了)(2000.07.08購入)
二人の若き日の往復書簡集「若き日の友情」(辻邦生・北杜夫著)を読んだついでに、積読から引っ張り出してきて読みました。
単行本は、1970年に出版されたものです。40年前ですが、そんなにたったのかなという感じです。
1969年に、トーマス・マンの没後15年を記念して、「トーマス・マンを語る」を雑誌に発表後、若い人向けの対談を二日分加えて一冊にした、とのことです。
構成は、「若き日を回想しながら」「トーマス・マンを語る」「いささか人生論風に」となっています。「若き日を回想しながら」は、「若き日の友情」と重なる部分になります。
テーマに沿った話をするのが、辻さんで、思いついたことを自由奔放に脱線しながら語るのが北さんといった形になっています。
●出会い(10頁)
辻:君と初めて会ったのは、昭和20年の5月ぐらいだったかな?
北:終戦の年の6月だ。
辻:君は日にちまで憶えているはずだね。ぼくは忘れちゃった。
北:これだけは、生命からがらだったから、奇蹟的に憶えてる。ぼくの家が焼けたのが5月25日で、行くところがなくなっちゃって、6月何日かに松本高校の思誠寮に転がり込んだんだ。
●戦争中(15頁)
北:君は立派に生き延びようとしていたけれども、ぼくは、玉砕するつもりで、死にたくてうずうずしていた。本土上陸が始まったら、ぼく、ほんとに蛸壺に爆裂弾抱いて入るつもりでいたんだよ。ただ、教練下手だったろ。それに、敵と刺し違えに死ぬという衝動的精神に溢れていたんだけれども、反面おっかないんだ、軍隊が。
●信州の自然(25頁)
辻:ぼくの場合は、文学から信州の自然に惹かれて、松本に行った。北信では、堀辰雄の軽井沢とか追分とか、それから藤村の佐久とか小諸とか、あるいは赤彦の諏訪とか、左千夫のああいう一連の歌とか、そういうものに惹かれて行った。ぼくには、まず信州の自然の美しさが、心の中にあった。
●本を書く(33頁)
辻:ぼくは子どもの頃、赤坂に住んでいて、近所の小学校の児童図書館にある本を片っ端からむさぼり読んだ。夏休みなんかは、そこに行って読むと、日が暮れるのが惜しくってね、昼飯なんか食べないで読んだ。そうすると、こんな楽しいものが世の中にあるなら、おれもこういうものを書く人間になりたいと、つくづく思ったわけだ。
●ロシア文学(39頁)
北:ぼくは、ドストイェフスキイを、もう少したったら、また読みなおそうと思うけれども、いまのところは怕くて…。あれ、高校生の時だったから、読んで感心した程度ですんだんだけれども、いまうっかりあれを読んだら、小説なんてものを書こうという気がなくなっちゃいそうな惧れがあるな。トルストイのほうがまだ、がっしりした構成や技巧なんかをもっていて、意識的に作られているでしょう。だから、ものすごく巨大だけれども、やはり人間技で、完全に圧倒されて、いやあ参ったとは、逆に思わないわけ。ドストイェフスキイは、化け物のようで、怕いよ。
●マンの発言(76頁)
北:北大西洋条約の時のマンの発言は、まったくカッコよく、重々しかった。ロシアという国は、トルストイやドストイェフスキ���を生んだ国である。政治形態とは別に、その人間たちを私は信ずる、という意の発言をしている。それからだんだんアメリカに居づらくなっちゃった。
●フランスとドイツ(112頁)
辻:一つの社会が発展して、それが封建体制というような枠を取っ払って、その結果、市民が自分たちの生活を充実させてゆくのが、歴史の一般的発展の形だとすると、フランスのブルジョワジーの場合が、その典型的型だね。ところがドイツの場合には、ナポレオンが攻めてきて、小候連立的な封建体制が、外から壊されていった。これを評価してナポレオンを賛美した人々がいたわけで、これがヘーゲルやゲーテだった。
●死を恐れるな(132頁)
辻:エピクロス派の哲学者たちは、「死」について恐れる人たちに向かって、単純に「死」を恐れる必要はない、と説く。なぜならば、生きている間は死なないんだし、死んだ瞬間にはもう死は分からないんだから、というような言い方をする。
●ヒトラー(150頁)
北:ヒトラーの限界というのものは、負けてきてからですよ。あの人のいろんな性格の中には、ヒステリーが相当あるんだ。ヒステリーというのは、状況が満たされていると、自分の能力以上のことができる。ところが、いよいよ完全に負けてきて、自分の意志が通らないとなると、惨めな、ヒステリー性格の悪い点ばかり出てきたようだ。
●人間(190頁)
辻:「人間」という観念は、マックス・ウェーバーによると、むかし中国ではなかった、と言うんだね。もちろん、日本にもなかった。いま言ったように儒教では、親とか、子とか、近隣の人とか、妻とかいう観念はある。だから、親に考とか、君に忠とか、夫婦相和すとかいう美徳は、ある。ところが抽象的な「人間」と言う観念はないから、それに対してわれわれは忠誠でなければならないとか、愛をもたなければならないという考え方も、ないのだと言う。
●生命とは歓喜(204頁)
辻:私たちがこの「対談」の中で、多少とも何かを語りえたとすれば、それは、生命とは歓喜であり、文学はそれを自覚させる手段だ、ということであろう。
☆関連図書(既読)
「若き日の友情」辻邦生・北杜夫著、新潮社、2010.07.29
(2010年12月8日・記)