紙の本
Martians, Go Home
2016/02/14 13:36
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投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルは当時日本などで叫ばれていた「ヤンキー・ゴーホーム」が元だそうです。
いつ読んでも古くない(米ソの対立などは別ですが)、SF小説のパロディであり、すばらしいSF小説です。
悪意あふれる火星人と作者がたまりません。
紙の本
火星人ゴーホーム
2002/03/20 12:20
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投稿者:シュジュギュイ - この投稿者のレビュー一覧を見る
SF? 火星人? 興味ない。そんな人が殆どだと思う。でも物語というのはジャンルで決まる訳ではない。
繰り返し読んでいる箇所がある。主人公が人生の岐路に立っていて途方にくれて(火星人はいるし)、喫茶店でサンドイッチを食べるシーンだ。これからどうしよう? と。誰もが経験あると思う。そんな共感を持って読んで欲しい。単純に面白いしね。
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ある日いきなり、緑色で小さい火星人が大量に地球に現れたらどうなるだろう。
緑色の火星人は見ること、話すことはできるのに、触れることはできない。
まるで何も存在してないかのように通り抜けてしまうのだ。
この火星人ははっきり言ってとんでもないヤツラだ。
人間が嫌がることを嬉々としてやって、迷惑この上ないのだ。
テレビやラジオに乱入し、野次を飛ばし、雑言罵言を吐き、邪魔をする。
人のプライバシーを暴き出し、人間の精神をずたずたにし、国家機密を吹聴し、経済が崩壊する。
人間はなんとか地球から出て行ってもらおうとありとあらゆる手を尽くすのだが…。
これがフレドリック・ブラウンの『火星人ゴーホーム』の世界だ。
このSFはどちらかというとスタンダードな部類に入るのだろうか。
書かれたのが1960年代ということだが、そんなに古臭く感じなかった。
そして、ただ迷惑この上ない火星人の引き起こす騒動の話に終わってない。
訳者あとがきにもあったが、どことなく哲学的ですらある。
狂っているのは自分なのか、みんななのか。
こんなこと実際にはありえないだろうが、もし、こんな火星人がいきなり現れたら…。
どうやって火星人と付き合っていけばいいのだろうか。
想像してみるとすこし、面白いかもしれない。
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ある日突然地球に大挙して火星人が現れて……。
地球を侵略するでなく、友好関係を結ぶでもなく、ただただ悪態をつき、嘲笑する火星人のウザさが絶妙。彼らの引き起こすドタバタや、そこに込められたシニカルな視線にニヤニヤさせられどおし。
モチーフとしては『発狂した宇宙』に近いものがあるのかな。
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続いて古典SF(1955年作品)
ある日突然地球上に10億人の火星人がやってきた。緑色でいたずら大好きな彼らは言葉をしゃべるが、地球人は触れることができず無視するしかない。
実はこのシチュエーションは、SF作家が作り上げた世界だった。前作と同じように「念じた世界が自分が存在する宇宙になる」ってこと。まったく面白くない。星新一氏はこれが傑作だという。令令令
私にとっては単なる駄作としてしか認識できなかった。この作者はもう読まないだろう。
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上から目線で大変申し訳ないが、読了直後の感想は、よく書けてるなー、だった
こう書かれてるけど、実はこうじゃないの?こうは考えられない?と思って読むと、それに対するフォローが大抵されている。
あとは火星人がうっとおしい! と思わせる筆力はさすがはフレドリック・ブラウン
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発狂した宇宙から続けてこっちも読む。
ドタバタっぷりや語り口は面白かったけど、発狂した宇宙のほうが好きだったかなぁ。
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●内容
・55年刊行のファーストコンタクトものの長編。
・SF作家のもとを火星人が訪れたのを皮切りに、全世界に”人間3人につきひとり”の火星人があふれ出る。
・いたずら好きの火星人たちにふりまわされる様子がコメディタッチで描かれる。
●コメント
・中盤で主人公の作家は火星人の存在を認知しなくなり、やがて考える「これは俺の創造の産物か?」。であれば、周囲の人間すらも創造の産物かもしれない。精神のギリギリでメタ認知の無限ループに陥っていく様子が読者を引き込む。もちろん、あとがきでこれを茶化すのも著者一流のジョークだろう。
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あとがきのメタ的視点、解説に哲学としてのブラウンの小説とあるとおり、ユーモアSFながらも人間の認識について考えさせる点があった。こんな火星人がいたら嫌だ。
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とても面白い話ではあったのだが、終わり方が突拍子も無く、イマイチどころか全く納得できない終わり方であった。
火星人は何をしに来たのか、何をしたかったのか、何をしたから帰ったのか。作者の後書きによるとルークの想像だと言うが、ルークはこんな火星人を書こうとしていたのか。
ルークがマージィに出会った時に火星人をイメージすることに、火星人が出現した時との共通点は何だったのか。考えた通りにマージィは確かに来たが、そのタイミングでよかったのかよ!と突っ込みたくなった。
疑問ばかりが残ってしまい、面白かっただけに残念な終わり方であった。
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コメディSFの古典。「火星人」を名乗る,10億人の緑色の小人があらわれて世界中が大パニックになるという話。火星人の正体は結局謎のままなので,単純にパニックの様子を楽しむのがたぶん正しい読み方
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ユーモア小説。HGウェルズの「宇宙戦争」を元ネタとしている。一種のパロディ。解説にはフレドリック・ブラウンの小説は哲学的小説とある。本書では唯我論がそのテーマだと解説は言う。
私が見たところフレドリック・ブラウンの小説は非日常的な場面に放り込まれた人間の描写が本質である。本書も小うるさい火星人にプライバシーを侵害された人間の生活崩壊とパニックそのものがもっとも面白いところであり作者が関心のあるところではないのかと想像する。
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同著者の「発狂した宇宙」を読みあまりに面白かったので、他作品も読みたいと手に取りました。
物語は、突如地球に火星人が襲来するところから始まります。火星人達はテレポート(作中ではクイムと呼ぶ)や透視能力を駆使して、とにかく地球人を不愉快にする事を至上の喜びとしています。たちの悪い事に、彼らには実体が無く触れる事が出来ないので、地球人は全く手出しが出来ません。
そんな火星人に生活をめちゃくちゃにされた人類がどうなるのかというお話です。
これは移民問題等の文化的な摩擦のメタファーとも取れるし、話の通じない他人とどう折り合いをつけて行くのかという、もっと個人的な話という解釈もできるでしょう。
そんな普遍的な解釈ができる設定にも関わらず、火星人のキャラクターの掘り下げや、相互理解の話は少なく、ほとんど地球人が色々とこねくり回して失敗するというドタバタ劇の構造、これぞフレドリックブラウン節!!バンザイ!という感じです。
オチも結構気に入っているのですが、個人的には本一冊分このユーモア溢れる物語が読めるというだけでも、この小説は読む価値があると思います。
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http://blog.goo.ne.jp/shirokuma_2007/e/0ccf525e8b296e37bdaffc5928fbac27
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人間をいらだたせることが目的なのではないかと思われる、自称火星人が地球に現れる。その数は地球の人口30億人に対して10億人。しかし、火星人の声は聞こえ、姿は見えるが、触れることはできないという不思議なものだった。
SF作家のルーク・デヴァルウのもとにも一人の火星人が現れるが、その時、ドアをノックした。触れることのできない火星人がドアをノックできたのはなぜか?ルークは西部物の新作を書き始めるが、火星人の邪魔にあい発狂してしまう。そして、火星人の記憶だけを忘れ、火星人だけの声が聞こえず、姿が見えなくなる。精神科の医師はそんなルークをうらやましくさえ感じた。
ルークは自分以外のすべての人達に火星人が見えていることを知り、その原因を探る。火星人はSF小説を書こうとしたときに自分が創りだしたものではないかと考える。さらに、この世界すべてが自分の想像の産物だと考えた。そこで、彼はこの世界をもとに戻すべく、火星人に最初に出会った状況を再現する。同時にアメリカ人発明家が火星に向けて対地球圏外陽子超振動器を用い、アフリカのとある部族では火星人を追い払う儀式を行った。そのどれが功を奏したのかは不明だが、火星人達は全て消え去った。
ユーモアの強い作品として有名だが、そのあたりはあまり感じなかった。もっとも印象に残ったのは、ルークがこの世界すべてが自分の創りだしたものではないかと感じる瞬間で、そこまでの世界とそこからの世界のとらえ方がひっくり返される場面だ。