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言わずと知れた、世阿弥が亡父の観阿弥の遺訓を元に書き記した能楽書。その中身は能だけの世界ではなく、芸術においても、はたまたビジネスにおいても、現代で重宝される人生論といっても差し支えない本になっている。そしてタイトルが良い。非常に美しい。
この岩波文庫は現代訳がついていないのだが、ゆっくり読めば書いてあることは分かる。何より、本書の文章は読んでいて気持ちが良い。滔々と綴られる能芸論は、それこそ花を見るかのように安心感がある。
なるほどと思った箇所は、「誠の花、時分の花」。誠の花とは稽古と工夫を極めたところに成立する、散ることのない花。時分の花とは若い時に現れ、年齢が過ぎれば散っていく花。つまり稽古と工夫を積み重ねなければ、20歳過ぎれば只の人ということだ。当然これは能だけではなくて、自分の現在の分野においても誠の花を咲かせられるように稽古と工夫をしよう。
名声の得かたについても面白いことが書かれている。目利きに対してだけではなく、目利かず(ものを見る目のない人)に対しても面白いと思わせなければならない。この工夫と達者を極めた人が、花を極めたと言える。この位になると、年をとっても若き花に劣ることはない。つまり、道を極めた人は、その分野に精通していないに対しても面白さを与えることが出来なくてはいけないということだ。行うのは非常に難しいが、確かにそれが出来れば名は広まる。
有名な一説である「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」は奥が深い言葉だ。簡単に解釈すると、見た人を驚かせるには、これから驚くことしますよと言ったり思わせたりしてはいけない。全て心の内で閉まっておき、見ている人には心の内さえも感じさせずに驚かせる、となる。ただ難しいのは先の一説の後に「この分け目を知ること、肝要の花なり」と続く。何を秘するのか、その人にとっての花は何かで変わる非常に難しい奥義となる。
最後の別紙口伝では、花を知り、花を失う。「人々心々の花なり。いづれを誠にせんや。ただ、時に用ゆるをもて、花と知るべし」。良き悪しきは、何を持って定めるのか。用足るものを良きものとし、用足らぬものを悪しきものとする。その時の好みによって、花は代わり、それが良い花となる。
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有名な本なので読んでみたが意味を理解出来なかった。
これは、私の古文の理解力の問題だと思うので
口語訳してあるものを今後読んでみたい。
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風姿花伝(岩波文庫)
著作者:世阿弥
岩波書店
タイムライン
https://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
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ビジネスとアートの世界をどう両立させるのかについての示唆が得られる。
いわゆる素人ウケと玄人ウケをどう両立させ、
時流に乗るのかについてなど現代にも通づる
「見せ方」を学べた。
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とても短いが、要点が簡潔にまとめられており、その言葉の言い回しも、歯切れがよく美しい文章が多い。この本には、「花」という言葉が多く登場する。能の要点というのは、この「花」という一点に尽きて、ただひたすらにそれを、あらゆる言葉を用いて説明しようとしている書なのだと思った。
「花」というのは、気やオーラのような、目に見えない、言葉では表現しにくいものであるけれども、世阿弥はそれを極めて客観的に、論理的な文章で説明している。
この(12、3歳の頃の)花は、誠の花にはあらず。ただ、時分の花なり。されば、この時分の稽古、すべてやすきなり。さるほどに、一期の能の定めにはなるまじきものなり。この頃の稽古、やすき所を花にあてて、技を大事にすべし。(p.14)
秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知る事、肝要の花なり。そもそも、一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。しかれば、秘事ということを顕わせば、させる事にてもなきものなり。これをさせる事にてもなしと云う人は、未だ、秘事と云う事の大用を知らぬが故なり。(p.103)
この別紙口伝、当芸において、家の大事、一代一人の相伝なり。たとえ、一子たりと云うとも、無器量の者には伝うべからず。「家、家にあらず。次ぐをもって家とす。人、人にあらず。知るをもって人とす」と云えり。(p.110)
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戦国炒飯テレビという番組のYoutube版でking能というユニットが歌う『風姿花伝』を聞いて気になって、購入してみました。もちろんKing Gnuのパロディです(https://youtu.be/DnvDpAwNgpA)。
非常にざっくり言えば、前半はどういう年齢でどういう稽古、心持ちをすべきなのか、後半はどの場面でどのような芸を披露すべきかといった論評になっています。大成した芸=「まことの花」はその時その時に場面に応じてたち現れるべきものであり、常にどの場面でも「これが最高の演目だ」と言えるようなものはないのだというのです。確かに、仕事をしていても、どんな些細な場面にも最高のスペックを求める人などあり、それが原因で反感を買ったり、逆に非効率になったりしていますね。
あるいはジェンダー概念と結びつけた論評も面白いかもしれません。性というのは同様に、固定化されるものではなく、その時その時でときと場に合わせたち現れてくるものだからです。芸事と違うのはこちらからそれを提供すべきなのかどうかということでしょうか、政策で考えるといいのかもしれません。常に細かいジェンダー分類をもとにした施策を考えるのではなく、あるときは二元論、またあるときは多元論、またまたあるときは連続論など……
さて、まことの自分とは何なのでしょうか(特に深く考えずに書き散らしてしまいました)。
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完全にやらかした、岩波文庫が好きだから岩波で買ったが、現代訳がついてないタイプだった。
学術文庫のように丁寧な解説ついてないので要注意
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初心忘るるべからずや秘すれば花などあまりにも有名な花伝書。白洲正子が能や仏像について語るとき「初心な心」という言葉を使っていたので、手に取る。
何度も読んだことがあった本であったが、ダンスをしているのであるいはエンターテイナーとしてパフォーマーとしての心得や芸の道を真摯に極める厳しい戒めが人としてのあり方をも示唆していて学びが多い。
世阿弥が義満の庇護なきあと政争に巻き込まれ佐渡へ71歳で配流となり佐渡で能が盛んであることを知り、芸術家とパトロンの関係の難しさを、ニジンスキーとディアギレフについて思った。
まごうことなき名著だった。
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古文は高校を卒業していなかったから読むのが非常に困難だった。けれど内容は思っていたよりもずっと深く示唆的で、ものを作る人はぜひとも読むべき一冊であるように思える。おそらく古文に関する理解が浅いため、本来読み取れる内容の5割も理解できていないだろうから、そのうち実力をつけてもう一度読み返したい。
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なかなか読了まで時間がかかってしまった。
申楽の由来とか
神儀に曰くとからへんはスッと入ってきた。
インドでの言い伝え、日本での言い伝え。
能を鑑賞したい気持ちMAX!!!
日曜しか都合がつかない。
となると小学生の子どもがセット!
Youtubeで能をみせて興味をもたせようとするも
逆に「不気味。こわい。」と一蹴され
じゃあ勉強しておこうという思いで読みました
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講談社の花伝書を読んだ後に読んだ。全体の構成やどんなことが書いてあるのかをなんとなくでも知っていたため、読みやすく、また、内容も前回よりは理解できたと思う。
色々と参考になる所があった。
「上手は下手の手本、下手は上手の手本なりと工夫すべし。下手の良きところを取りて、上手の物数に入るること、無常至極の理なり。人のわろきところをみるだにも、我が手本なり。いはんや、良き所をや。「稽古は強かれ、情識はなかれ」とは、これなるべし。」(50ページ)るべき
「稽古に位を心がけんは、返す返すかなふまじ。くらいはいよいよ叶はで、あまつさえ、稽古しつる分も下がるべし」(52ページ)
「得たる上手なりたるシテも、身を憑み、名に化かされて、この故実なくて、徒らに、明眸よりは寿福かけたる人多き故に、これを嘆くなり」(76ページ)
「この寿福増長の嗜みと申せばとて、ひたすら、世間の理にかかりて、もし、欲心に住せば、これ、第一、道の廃るべき因縁なり。道のための嗜みには、寿福増長あるべし。寿福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば、寿福おのずから滅すべし。正直円明にして、世上万徳の妙花を開く因縁なりと嗜むべし」(78ページ)
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開始:2022/10/24
終了:2022/10/25
感想
めちゃくちゃ面白い。能の秘奥義を書いた深淵な書、であるがそれだけでない。能は客座の陰陽をも感じ取り花を咲かせる。珍しきを花とする。
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すみません、よく分かりませんでした…
こういう文章に慣れていないため、内容が入ってこなかった。自分には早すぎた...現代語訳版を見て再チャレンジしたい。
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能で有名な世阿弥の書
初心忘れるべからず
秘すれば花など記載されている
「初心」とは「始めた頃の気持ちや志」すなわち「初志」ではなく、「芸の未熟さ」、つまり「初心者の頃のみっともなさ」なのです。
初心者の頃のみっともなさ、未熟さを折にふれて思い出すことにより、「あのみじめな状態には戻りたくない」と思うことでさらに精進できるのだ、と彼は説いています。
「初心」は若いころの初心を表わしています。
しかしそれに続いて「時々の初心」「老後の初心」と言われている。