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アウシュビッツには行ったことがあります。「最終的解決」されていった人々の義足や眼鏡の山は痛ましいものではありましたが、思ったほど心に迫らなかったことも告白します。著者のレーヴィが戦後アウシュビッツを訪れた時に「だがそれは博物館だった」と述べているのを読んで、得心がいったところもありますが、本書を読んで、それ以前にアウシュビッツの事実に関する知識があまりにもないことにも由来していたのだと思います。人間が尊厳を奪われる、と文字で書くことは容易いですが、実際にそれはどのように行われ、どのような結果を生むのかを、本書は読者に知らしめてくれます。家畜と同じように焼印を入れられ、番号で管理され、すべての所持品を奪われ、人間関係を奪われた状態では、それまで常識と信じていたものは何も役に立たないという事実を。
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アウシュヴィッツは終わらない/プリーモ・レーヴィ 読
無駄に叙情的なところがなく大変読みやすかった。
著者自身が体験したものだけを記録して、戦後、メディア等で知ったことは一切交えなかったという。
これは著者と同じ化学者である小松真一が戦地で書いた「虜人日記」と同じだ。
私はアウシュビッツがポーランドにあることも、ヨーロッパ中いろんな国の人々が収容されていることも知らなかった。
被収容者同士でお互いの言葉がわからなかったり、看守からドイツ語で何か言われても意味がわからなかったりする。
収容所内はすさまじい物不足で常に盗まれないよう注意しなくてはならず、人種や能力によって経済格差ができてしまうなど興味が尽きない。
中でも最終章の「10日間の物語」が興味深い。ロシア軍がすぐそこまで迫ってる中、1945年1月11日に著者は猩紅熱にかかり伝染病室に収容される。
ドイツ人が姿を消しタガが外れた収容所で1月18日、体が動く2万人の収容者が逃避行に出発し病人800人が残ったという。
彼のイタリア人の親友や、同室のハンガリー人の少年二人(この少年達は破れた靴を履いていたため、著者が狂気の沙汰だと説得したが聞かなかった)なども
出発したがその殆どが死ぬ。
1月27日、同室の1名がロシア軍の到着直前に息絶え、著者と同室のフランス人で外に亡骸を運び出しているところにロシア軍が到着する。
そして帰郷後、同室の生き残った二人のフランス人と連絡を取り合ってるという話で本は終わる。
病気じゃなかったら著者も出発していただろうが、なぜ皆ロシア軍の到着を待たなかったのかが不思議だった。
しかし同室の生き残った10人の内5人までが、ロシア軍が立てた仮設病院で亡くなっている。
またこれは今読み始めてる次作の「休戦」の最初に書いてあったが、残った病人800人のうち500人までがロシア軍到着前に病気と飢えと寒さで死に、
そして200人が治療を受けたにもかかわらず到着直後に死んだという。
それほどまでに収容所内は切迫していたということか。
なぜ今まで読んでなかったのか不思議なくらいで、座右に置くべき書だった。(了)
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「狂信的国家主義と理性の放棄から始まった道がどれだけ危険か」
「理性以外の手段を用いて信じさせようとするものに、カリスマ的な頭領に、不信の目を向ける必要がある。」
「近道をしようなどとは考えずに、研究と、討論と、理性的な議論を重ねることで、少しずつ、苦労して獲得されるような真実、確認でき、証明できるような真実で満足すべきなのだ。」
従順な者ほど死に近づくという、アウシュヴィッツでの常識は、ファシズム・ナチズムの危うさを逆説的に示している気がする。ヒットラーの独裁に従順な者が招いた、人間の死であると思う。