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小林秀雄から。
なんとも不思議な星のめぐり合はせの下に生きてきたひとだと感じた。音楽家の親の元に生れ、思ひ掛けず音楽の力に目覚め、彼にはもうそれしかできないといふのに、そのためだけに生きることは叶はず、たくさんの生活的なことで煩はせられる。
それでも彼は書くこと、音楽をすることをやめなかつた。彼は自分に与へられた力を疑はず、遺憾なくその力を発揮した。どんな生活の荒事も、彼の音楽をかき消すことはできなかつた。彼の音楽を止めることができたのは、病とそれによる死だけだつた。彼の抱いた自身の力に対する自覚は本当にさう感じられことなのだ。彼は自身の音楽にうそをつくことができない。
手紙の中でみせる轉げ廻つて流れていく様なことば。それ自体がまるで音楽のやうだ。きつと彼の肉声もさういふ音楽をもつたものだつたに違ひない。とても心地よく、それでいて、決して軽佻浮薄だといふことはない。確かにひとつのハーモニーをもつて届く声。友に哀願する時も、きつと音楽だつたやうな気がする。どこか斷りきれない、哀愁漂ふ歌唱。
何をどうしやうとも、彼のなすことはすべて音楽になつてしまふのだ。そして、ひとつの音楽が流れていくかと思へば、次の音楽がやつてきてしまふ。この流れてゆくものを書きとめることができるなら。それがはかなくも彼が書き続けることを望んだことなのかもしれない。
彼が時にみせるあの表情は、ここではない、音楽の世界への途方もない憧れと、その世界を知つてしまつたただひとりの人間のもつ渇き。
歴史にもしもなどといふことはあり得ないから、彼がもし生活に不自由なければ…といふ空想は不毛だ。彼はかういふ星のもとに生れ、そして、奏で続け、去つていつたのだ。それ以上のものもそれ以下のものもない。けれど、さういふ人間だからこそ、様々な尾ひれの伴ふドラマが絶えない。失つてはじめて、彼の声が届くとは誰が考へられただらう。
改めて彼の作品を聞くと、喜びも哀しみも流れてゆく、どうにもならない彼のイメージが立ち上る。