投稿元:
レビューを見る
『暗闇の思想を』を読んだあと、図書館で松下センセの名前を検索してみると、近所の図書館の書架ありの本のなかに、この『海を守るたたかい』があった。もしかして豊前火電阻止と関係あるかと棚を見にいくと、それは差し止め訴訟に「アハハハ…敗けた、敗けた」という、"敗けたたたかい"が記された本だったので、借りてきて読む。内容の一部は
『暗闇の思想を』とも重なる。
なつかしの、ちくま少年図書館の一冊。この松下センセの本のことは知らなかったけれど、むかしこの少年図書館の本はけっこう読んだ。
1979年8月31日、豊前火電の差し止め訴訟は、みごとに敗けた。満6年にわたって全力をつくしてきた裁判だったが、完敗だった。「環境権」を掲げてたたかった裁判は、審理をつくすどころか、門前払いされたのである。
その判決理由を一言でいえば、「原告が主張するような環境権という権利は、いまの法律のもとでは認められないから、原告たちにはこの裁判をおこす法的根拠がないということになる。したがって、この裁判はそもそも成り立たないものとして、却下する」(p.252)ということである。
審理をつくしたが、残念ながら原告のいうような公害発生はみとめられないから、あんたら敗けね、というのではない。6年もの間、多くの証人をよび、原告のいうような公害があるかないか、その判断のための審理を続けてきたはずが、こんな判決が出た。
そういう裁判があることを、そして裁判とは法律だけで裁かれているわけでは決してなく、世論や政治の動きと無縁ではないことを、松下センセはこの本で若い人たちに伝えようとしたのだろう。
公害裁判における、受忍限度論、つまりは、発電所や工場などの社会的有用性を考えれば、住民にちょっとくらい被害があってもそれはガマンすべきだという論理についても書かれている。
▼…あの四日市や水俣を見ればわかる。あれほどにおびただしい死者がつづいているのに、四日市コンビナートも止まらないし、チッソ水俣工場も操業をゆるされ続けているではないか。
…こういうおそるべき考え方が、この国を世界一の公害列島にしてしまったのだ。
こういう犠牲の上に、自由世界でGNP(国民総生産高)がアメリカにつぐ経済大国となったのだ。(p.181)
受忍限度論でいえば、よほどの被害が立証できないかぎりは、あるいはよほどの被害が出てからでなければ、公害裁判には勝てないのだ。だが、東電の原発事故のレベルでしても、現状では却下判決が出かねないと思えてならない。
1973年の提訴以来、6年にわたって審理しているフリを続けてきながら、最後に却下の判決が出たことの背景にある、時代の流れについて書いた松下センセの文章を読むと、そんな思いにかられる。衆院選で大いに期待されたのは「景気回復」だというからなおさらに。
▼なぜ、こういう異例の切り捨てとなったかを考えるとき、この6年間の時代の流れを見すごせない。
あれほどもりあがっていた反公害世論は、いまや冷えきっている。第一次、第二次という石油ショックによる不景気の深まりは、人びとに環���問題を考える余裕をうしなわせてしまった。契機の回復こそが願いであって、そのためには多少の環境破壊もやむをえないという声が、世論の底流となってきている。…
1973年の夏、訴状をつき返せなかったのは、裁判所がもりあがる反公害世論に牽制されていたからであり、1979年の夏、同じ裁判所がこの裁判を打ち切ったのは、反公害世論のしずまりを読んでのことなのだ。…(pp.253-254)
忘れてはならない、関心をうしなってはならないというのは、こういうことなのだと思う。
(12/12了)