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紙の本
「一番好きな作家は?」と問われて、「島尾敏雄」と答えていた頃が確実にあった。
2003/12/04 20:02
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投稿者:本格派 - この投稿者のレビュー一覧を見る
島尾敏雄との出会いは、高校の国語の教科書だ。
角川書店の現代国語の1年生用の教科書だ。
「春の日のかげり」という短編が掲載されていた。
主人公と他者との距離感の危うさが、16歳のボクの波長に共鳴して、大きなうねりが生じた。
見かけは陽気にふるまい、友人達の輪(柔道部)の中心ではないが、少なくとも内側にはいると、信じて生きていた高校生が、キャプテンの小さないたずらに引っかかって、みんなに笑われてしまう。それだけではない、そのいたずらは、その柔道部の集団とはまったく無関係の少女を巻き添えにしてしまった。主人公の心は乱れ、震え、怯える。しかし、主人公は、懸命に陽気を装う。そして、主人公は、その少女に……。
──島尾敏雄
初めて見た名だ。それから、貪るように島尾を読んだ。全集は奨学金で買った。彼の作品は、どれも裏切らなかった。作品と言うより、彼の文章は、といった方が、感覚的に近い。
この現前する過酷な眼前の光景に、ひたすら畏れおののく、ひたすら繊細な神経を持った主人公、ただそれだけを描き続けている。
奥野健男ら、多くの評論家は、島尾文学には4つの系列があるという。
「単独旅行者」や「贋学生」に代表される、〈旅の系列〉。
「出孤島記」や「出発は遂に訪れず」に代表される、〈戦争もの〉。
「死の棘」に代表される、〈病妻もの〉。
「夢の中での日常」や「鬼剥げ」に代表される、〈夢の系列〉。
以上の4つの系列で語られる。
しかし、そうではない。それは単に、作品の道具立てで分類したにすぎない。
島尾文学はひとつだ。
「死の棘」を読んだ奥野健男が、「なぜ、この題材を夢の手法で書かなかったのか」と慨嘆する評論を書いている。しかし、それはナンセンスだ。
島尾という小説装置は、甲羅も鎧も衣類も布も皮膚も細胞膜もない、むき出しの神経そのものなのだ。通常、驚くことも怯えることもなく、見過ごして、あるいは、適宜処理して日常を送ることのできるような些事にさえ、その装置は、怯え、震え、哀しみ、苦しむ。そんな敏感な装置に、「震洋」という人間魚雷ボートに乗って敵艦に体当たりすることを義務付けられ、発進命令を待つ、という現実が突付けられたら、どうなるだろう。そんな敏感な装置に、自らの浮気によって、妻が発狂し、幼いふたりの子を巻き込んで家庭が崩壊してしまうという現実が立ちはだかったら、どうなるだろう。その繊細な装置は、日常から逸脱した「旅」という空間にさえ、畏れおののく。また、「夢」でさえ、彼にはおぼろげなものではなく、過酷に現前する驚異として写るのだ。
島尾の特異性は、そこにあり、それはそのまま、日本文学のある極点を示しているには違いない。小賢しい論評よ去れ、読者はただ、島尾と同化すればよい。
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