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●構成
第八話 宿敵トルコ
第九話 聖地巡礼パック旅行
第十話 大航海時代の挑戦
第十一話 二大帝国の谷間で
第十二話 地中海最後の砦
第十三話 ヴィヴァルディの世紀
第十四話 ヴェネツィアの死
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本巻は、ヴェネツィア共和国の絶頂期から衰退し滅亡するまでを描く。なんとか従来の中立路線を守り抜いてきたヴェネツィアは、時代の流れによって少しずつしかも着実に衰退していく。オスマンの進行、西洋諸国との間の関係性の変容、大航海時代到来による交易の世界と交易から国内産業への転換など、様々な諸要素が、否が応でもヴェネツィア共和国を足元の砂を削り取って行く。
ぎりぎりのところで保ってた政体がとうとう崩れることになったのは、フランス革命から始まる、フランス対欧州連合の戦争であった。既に勢いを弱めていたヴェネツィアは、外交の場で徐々に交代を迫られる。決定打は1793年5月のプロヴァンス伯(後のルイ18世)のヴェネツィアへの亡命であった。ここから絶対中立という政治方針の崩壊が始まるのである。以後ヴェネツィアはオーストリア対フランスの戦争に巻き込まれ、疲弊する。
1797年5月、ヴェネツィアは滅亡した。
歴史の流れを、濃淡書き分けて味わうことが出来た。最終章は一息で読みすすめた。過不足なく満足できる物語である。
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塩野七生が描く、ヴェネツィア共和国の歴史、『海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年』の続編。
実際にはこの続編も含めて、上下巻となります。
ヴェニツィア共和国全盛期の繁栄と、その頃の難問、忍び寄る衰退の影、そして滅亡への長い道のり。
一作目と同様、経済活動という視点から描いています。
宿敵トルコとの戦い、聖地巡礼パック旅行の企画、大航海時代の幕開けによる東地中海貿易への影響、ローマ法王庁や神聖ローマ帝国との関係、相次ぐ地中海各地の拠点の陥落、末期の文化の成熟、そしてナポレオンによるトドメ!
海を拠り所とし、海に生きた人々が、護り抜いた「海の都」の終焉。
のちの著作『十字軍物語』では善人集団に描かれていた聖ヨハネ騎士団が、ロードス騎士団となってからは残虐な海賊として極悪非道に描かれていますw
聖地巡礼パック旅行では、実際に利用した人の日記を基にしているので詳しく描写されていて面白いです(^O^)
英雄・ナポレオンの輝かしい覇業も、被害者の側から見ると随分悪辣ですね(;^_^A
ニン、トン♪
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「ヴェネツィア共和国は、レオナルド・ダ・ヴィンチもマキアヴェッリも生まなかったかもれしない。だが、この国がその長い歴史を通じて示し続けた、人間が人間たりうる第一のもの、個人の自由を尊重する一貫した姿勢は、著作を残さなかった偉大な思想家に似てはいないであろうか」P316より
ヴェネツィアという国に惚れ込みましたよ。
資源を持たないが故に徹底的に合理化をはかり、流通で利益を得る。そのためには「安全・安心」が何より大切であると知っていて、商売上の不正は徹底的に排除され、遠隔地を軍事力ではなく善政で支配する。
権力の集中をとことん嫌うアンチ・ヒーローの国であり、その結果が共和制や、徹底した政教分離。キリスト教徒である以前にヴェネツィア人だという自覚を持つ国民性。だから、国民が忠誠を誓う相手は英雄や教皇ではなく、ヴェネツィアという国そのものだ。
中世に地中海地方で興った都市国家のうち、ヴェネツィア共和国は寿命が最長かつ、もっとも栄えた。697年に初代元首を選出し1797年にナポレオンに降伏するまでの1100年間だ。
栄えた理由は言うまでもなく高度な通商・交渉術。地中海の東半分を掌握することで、ヨーロッパとアジアの流通の要を押さえることができた。また、当時流行したエルサレムへの「聖地巡礼パック」の至れり尽くせりぶりは現代のパック旅行と変わらないレベルの高さ。
やがて大航海時代が始まり、地中海貿易の利が薄くなる。一時はピンチに陥るものの、そこて゜ヴェネツィアは、イタリア半島に得た領土で農業や工業を推進することにして、やがてはそれらが中心産業となる。が、長い目で見れば、それがヴェネツィアの衰退の始まりだった。
どういうことかというと、ヴェネツィアの強みは「量より質」、少ない資源を効果的に活用する(商う事も含めて)智恵であり、それはつまり人の質だったということ。土地や物資は失っても、人材さえ残っていれば国の再建はきくし、本拠地は潟(ラグーナ)に浮かぶ難攻不落の町だった。また、その事実がヴェネツィア人の自信となっていた。
ところが、時代が進んで大陸のスペイン、フランス、オーストリアなどの大国が強くなってくると、「質より量」の時代になる。安い二流品が幅をきかせるようになるのだ。この状況は、ヴェネツィアのような、人の知恵や技能、あるいはサービスのクオリティが財産である国にとっては不利だった。
一番のダメージはイタリア半島に土地を持つ貴族が増えたことだ。ヴェネツィアにおいては、貴族=政治に関わることを義務づけられた階級であり、彼らが国の操縦桿を握る。ナポレオンがイタリアの領土を踏みにじりながら迫ってきたとき、有効な手だてが打てなかったのは、いざ戦争の危機がせまった場合、自分の土地を放棄してもいいからヴェネツィア本国内に閉じこもり、海上で抗戦しようと考える貴族がほとんどいなかったからだ。もし、それを実行していれば降伏しなくてすむ可能性はあったというのに。
こうしてヴェネツィアという国の栄枯盛衰を眺めてみると、「持たないこと」が自由と強さの条件なんだろうか、と思わされる。