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●「G・Hの受難」
わたし(高級マンションに住む上流階級で洗練された女性であるG.H)とゴキブリを止揚して中性的なもの=至高=神へと超越するグロテスクな弁証法、といった感じのかなりぶっ飛んだ形而上小説。
●「家族の絆」
表題作を含む13篇からなる短篇集。いずれも平凡な日常を送る女性たちの胸中でふと何かがひび割れ、吐き気や錯乱に見舞われるも、結局あらたな生や希望を見いだすことなくもとの日常に囚われる。「ああ、しくじった人生への軽蔑。一体どうして!?」
●総じて『星の時』に増して不穏、薄幸、思弁的だった。
【ノーツ】
●「G・Hの受難」
・いま何が起こっているのか明されないまま、語るべきことが語られず、どうにももどかしいことばかりが語られる。物語の本質は先送り?
・「わたしは自分のことを話す時を延ばす。不安からなのだろうか?/それに言うべき言葉がないからだ。」
・心理学は人を突き刺す道具
・まさかのあの嫌われ者
・「眼の塩分」への想像力
・中性的とは?
・「生きる上で基本的な誤りはゴキブリに吐き気を感じることだと知っていた。」
・マナとしてのゴキブリ?
・母乳とゴキブリの白い塊が愛を媒介して結びつく
・「自殺者ではなく自分自身の暗殺者としての決意をもって一歩進んだ。」
・「わたしからわたしへの変身の最大の証拠はゴキブリの白い塊を口にすることだろうと考えたわたし。」
・「そして孤独とは必要性のない状態のことだ。必要性のない状態は人をまったくひとりに、すっかりひとりぼっちにする。」
道徳感覚。他人との関係での道徳問題は行動すべきように行動することにあり、自分自身に対する道徳問題は感じなければならないことを感じることができることだと考えるならば、単純すぎるだろうか? わたしはなすべきことをし、感じなければならないように感じる限りは道徳的だろうか?(70頁)
●「家族の絆」
・13篇
「ある女の夢想と酩酊」
「愛」
「めんどり」
「バラに倣いて」
「誕生日おめでとう」
「世界一の小女」
「夕食」
「貴重品」
「家族の絆」
「財産づくり」
「サン・クリストーヴァンの神秘」
「数学教師の罪」
「水牛」
・どの女も満たされていないが、そもそも満たされた人間というのは小説の登場人物たりえないのかも。なにかの拍子に心のどこかがひび割れると、そのすきまに真空の嵐が吹きすさび、心の割れ目をふさぐかのようにして物語を吸い寄せる。
火星から完全無欠な人が降りてきて、地球の人間がくたびれ、老けていくことを知ったなら、憐れみ驚くだろう。人間であること、疲労をおぼえること、毎日毎日失敗を重ねることのどこが良いのか理解できないだろう。こうした欠点の微妙な色合いや生の妙味がわかるのは悟りきった人たちだけだろう。(「バラに倣いて」182頁)