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紙の本
少年の夏の日の「苦み」を職人的な言葉づかいと絵画で表現した傑作絵本。「よい絵本」選定。
2001/03/27 14:33
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
舟崎靖子という童話作家は、ときどき恐ろしいような本を出す。たとえて言うならばシュールレアリズムの鬼才であるルイス・ブニュエルの映画のような感じである。舌の先にカミソリの刃を立てられ、すーっと引かれていくような感じ。
けれども、それが色濃く出ている本はあまり話題にならないでいつのまにやら絶版になってしまうのが残念。『おにいちゃん』なんていう小学校高学年向けのお話は、年上の男の子が年下の男の子に万引きを手ほどきするという内容で切なく良い本だった。児童書におけるタブーを議論するのにも面白かった本である。
再読してみたいが、手元に置いておかなかったのが失敗だ。
ユーモラスで楽しいお話の本の方は、消えずに残っている。
そういう意味でいくと、この『やいトカゲ』が絶版になっていないのは御慶である。「よい絵本」に選定された図書は、絶版にしないようにと学校図書館協議会の指導が入る。規制もやはり時としては、本来の目的どおりプラスに働く場合もあるのだ。
かぎをかけずにしばらく自転車を置いておいたら、自転車が消えてしまった。
「なくしたからって、すぐ あたらしいのを かってもらえると おもったら おおまちがいよ」
この母さんのセリフが既にもうカミソリの刃だ。
のぶちゃんが自転車に乗ってさそいにきたけれど、二人乗りは校則違反だし、歩いて一時間もかかる場所で野球をやるらしい。
−−一日は、やっと はんぶん おわったところなのに、
ぼくには じてんしゃが ない。
じてんしゃなしで あとの はんぶんを なにして
あそぼう。
こういう表現の仕方に、カミソリの刃が引かれ始めるのを感じてしまう。
ふと石の上を見ると、トカゲがいる。
「やい、じてんしゃを なくして いいきみだぞ」
とトカゲの横目が言っている気がして、少年はろう石を投げる。ナイスピッチングで石に当たったろう石は、バウンドしてトカゲに当たる。石の上に、トカゲのしっぽだけが残る。
しっぽを持ち上げたときの、夏の日中のあたりの静けさを表現する言葉が実に、いい。しゃーっとカミソリの刃が走る。
ここでは当然それを書き出すことはしない。
その静けさのなか、少年は自転車で遊んだ四季の日々を思い浮かべる。少年の自転車は発見される。そして、忘れたころに少年はトカゲに再会する。再会したトカゲには…。
こんなお話に、どんな絵がつけられるというのであろう。
絵を見てしまう前に、目を閉じて誰かに叙情詩のような美しい散文だけ読んでもらうといいと思う。具体的に形として描くことが可能な物の少なさに、絵本にすることができるのかと思わせられる。
それから目を開けて眺める。見事に描き出された少年の心の世界に足を踏み入れた心地がする。甘くも苦く、濁りながら澄んでいる、シンプルで複雑なその心のなかの絵。
私はこの美しい絵本を、好きな絵本の10指に数えている。
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