投稿元:
レビューを見る
一気に読んでしまった。「作者の強調して言いたいこと」「言わんとしてること」「史実の中で埋もれてしまったかもしれないこと」という金脈を掘って掘って掘って探り当てるような感じはとてもおもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
1984年、丸谷才一の『忠臣蔵とは何か』(講談社)。文庫判もあり。
ただしこの本は2~3年たってから読んだように思う。
丸谷氏によると、忠臣蔵のような人気の出る芝居には7つの要素ありとか。
1、社会を縦断する書き方。殿様から足軽や町人まで、奥方様から遊女までが登場
2、二つの時代の重ね合せ。南北朝時代を描きながら上演された江戸時代を描く
3、「実は……」という作劇術。垣見五郎兵衛じつは大石など、貴種流離譚
4、儀式性。 勅使饗応に始まり、切腹、開城などの武家儀式への庶民の関心
5、地理、国ぼめ。関東と関西、京の遊郭や東海道の名所などが広範囲に描かれる
6、歳時記性。 桜の下の切腹から、雪の夜の討入りまで
7、呪術性、御霊信仰
以前ブログに書いたことがある。
投稿元:
レビューを見る
暮れには早いが、今年もどこかでやるだろう「忠臣蔵」劇。
あらすじは知っている「忠臣蔵」が、何だったのかとは考えたこともなかったが、この本はそれが狙いだ。
わたしは歌舞伎も映画もTVドラマも消極的だったのだけれど、積読本の一冊だからという理由で読み、目から鱗。がぜん興味がわいた。
1984年発行、当時は話題になった文学史的研究の書。丸谷才一の旧仮名遣いは有名で、名文なのだが構成や表現も少々読みにくいけど。
「忠臣蔵」が、単なる事件のお芝居ではなく何か、だったというこの研究文章の趣旨をわたしなりにまとめると
*****
元禄14年(1701年)に「刃傷沙汰・敵討ち」事件があって、その事件が「仮名手本忠臣蔵」という浄瑠璃、歌舞伎になったのが、約50年近くたった時(寛延元年1748年)である。
その人形浄瑠璃や歌舞伎の芝居が江戸時代になぜこんなに流行ったのか?続いたのか?その当時の日本人全体や3都(江戸・大阪・京都)の人々の思いを分析すれば、わかるという。
「忠臣蔵」事件のあった時代も天災(地震、大風、洪水、疫病...。あら、現代もそうだ!)が絶え間なくあり、江戸では大火事、加えて圧政(徳川綱吉時代「生類憐みの令」など)に苦しめられていた封建時代、反抗するなどもってのほかであった。
もともと太古の昔から人知の及ばないことは、呪術的に祈るしかない、神楽など芝居奉納はその一つであった。魂静めと同時に鬱屈した人々を慰めたのは、身代わりのような登場人物にお芝居させ、それを見て想像力をひらめかし、解消させた。
「忠臣蔵」事件はその素材にうってつけだった。
ひと時代前の歌舞伎の題材「曽我兄弟の敵討ち」の下地もあって、より芝居が洗練された。
両事件のパロディ芝居をやった(怨霊を鎮めるための奉納)後に、「曽我兄弟の敵討ち」は鎌倉の頼朝、「忠臣蔵」は綱吉という暴君の為政者が滅びる(偶然としても)経験をしたので、人々は密かに溜飲が下がって、加えて娯楽としても大いに流行ったのであった。
*****
まとめてしまうと、丸谷才一氏がたくさんの資料を読みこなして、したためた名文はどこへやらだが、なかなか読みごたえがあってかつ、その推理のような研究に満足した。
丸谷氏の研究は研究として、そんなことを頭に入れながら今年の暮は「忠臣蔵」観るかな。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりに図書館で本を借りた。もっと久しぶりに図書館で借りた本を読み切った。
5年ほど前に図書館の近くに引っ越した。退職したら、晴耕雨読。朝、弁当をもって家を出て、晴れの日はウォーキングに精を出し、雨が降ったら図書館通いが理想の老後と考えて。そうゆうたら家内は「弁当はだれが作るのか」と突っ込みをいれる。弁当ぐらい自分で作れるわい。
そして、昨年、サラリーマン生活から片足ぐらい抜け出した。年金も頂けるようになったが、稼ぎはぐんと減ったから前みたいにめったやたらと本は買えない。「読みもせんくせに」と厳しい批評を家内から頂いていた本たちはこれから爺の毎日の伴侶となるのだけれど、あの本もこの本も読んでみたいのが本好きの本性。
年末から年始にかけて河谷史夫さんの『読んだ、知った、考えた』を読んだ。面白かった。少しは本を読んでるつもりでいたが、まだまだ上には上がいる。これに出てくる本、ああこの本も読みたい、これも読まなくてはと、そして、俺も考えなくてはと、強く思ったりしたが、年金生活者はもうそんなに無駄遣いはできないのだったりする。
そこで、思い出した、老骨に鞭打ってここに引っ越してきた理由の一つは図書館ではないかと。
それで、久しぶりに図書館で本を借りて読むことにあいなりました。
1984年に出た本。40年も前の本だが、こんな解釈もあるのかと面白く読めた。忠臣蔵に関心が無ければそれまでだけれど