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紙の本

アナーキーの短い夏

2004/08/06 11:48

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本はある男と、彼にまつわる特異な歴史的状況を再構成しようと試みられている。

「その生活が再構成されるべき人物は、三五年前(註 本書初版は1972年)に死んでいるばかりか、遺したものがじつに局限されているのだ。「下着の着替え一回分、ピストル二、双眼鏡一、サングラス一。これが全財産だった」全集はない。故人はめったに文章表現をしていない。彼の生命は残りなく行動となった。この行動は政治的であり、大部分が非合法だった」

本書の原題は「アナーキーの短い夏 ブエナベントゥラ・ドゥルティの生と死 ロマン」、である。
スペインの革命、内戦期に、スペインアナーキズムを支持した大衆にとって、何よりも巨大なシンボル、アナーキズムそのものでもあったドゥルティその人が、本書での中心的案件となる。

私自身はスペインの内戦、革命やその後のフランコ政権についての知識もないし、そもそもスペインの内戦期にアナーキズムの大きな台頭があったということすら知らなかった。しかし、冒頭のドゥルティ葬送を見送る人々のアナーキーな騒乱の情景が印象的で、それはいかにドゥルティという人物がスペインの民衆たちに支持されていたか、ということを静かに物語っていた。

この本はそのドゥルティの葬儀の場面から始まり、彼の幾度もの亡命を含む多難な生涯と、彼が民衆とともに立ち上がり、ファシスト勢力を打ち破る一歩手前まで近づきながらもあえなく潰えさったスペインアナーキズムの運動とを追っていく。
そこで用いられている方法が、本書の最大の特色でもあるだろう。

本書の著者エンツェンスベルガーは、この本全体の分量のうちおそらく一割以下の文章しか書いていない。それ以外は、ドゥルティの友人知人夫人が書いたものやインタビューに始まり、当時の演説、新聞、声明、手紙、旅行記、自伝などの数多の断片を巧みにコラージュして作り上げられたものである。
それも肯定的なものばかりでなく、敵対勢力の断片やドゥルティに批判的な記事なども含まれており、大きなものから小さなものまで相互に食い違っていることが多い。

この特異なノンフィクションの手法についてはエンツェンスベルガー自身の注記「集団的フィクションとしての歴史について」を直接参照して欲しいのだが、「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というイリヤ・エレンブルグの発言から始まるこの文章は、歴史と物語について、そしてこの本の方法についてとても興味深い考察がなされている。

ドゥルティというスペインアナーキズムを体現した人物を追うことで、1930年代のスペインの状況をふだん省みられることのない視点(スペインの内戦について調べてみても、ドゥルティに言及する記事は少ない。かろうじて彼の所属していたCNTという団体が言及されるくらいだったりする)から再構成したこの本を読めば、ドゥルティのたぐいまれな人物像を印象づけられ、警察権力に反旗を翻し、労働をブルジョワから奪い返し、労働者自身が労働を管理する、そんなアナーキストになりたくなる、かも知れない。

歴史と物語をめぐるひとつの実験として面白いのだけれど、それだけでなく、この本が興味深いのは、ここで描き出された権力の本質や、資本制の問題などは今もって現代的な問題なのだということを知ることができるところにある。アナーキズムはいま、過去のものと思われているかも知れないが、国家、権力、資本を否定するアナーキズムの政治的ラディカルさからは、学べることはいまだ多いのではないか。たとえば酒井隆史「暴力の哲学」の文脈において、アナーキズム運動はいまだ刺激的な対象たり得ている。

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