投稿元:
レビューを見る
抱朴子が抄訳なのが玉に瑕。山海経の図版はいつ見ても興奮する。それとこの本、今は亡き志木駅のららぽーとで買ったんだけど、買うときレジの店員に笑われたんだよなあ…なんでだろ?
投稿元:
レビューを見る
東洋医学に「治未病」という言葉あります。
大きな病気になる前に養生するという考えです。
昔から人は不老不死を夢みていたようで、
この本には仙人になる方法が書かれていると知り、
僕はたまたま京都の寺町通りにある古本屋で見つけました。
仙人は山に入って丹薬を飲んで、
みたいなイメージがあるのですが、
『老子』にも「小隠は山野に隠れ、大隠は市井に隠れる」
とおり本当の仙人は市井にいらっしゃるのかもしれません。
僕も何人か知ってますが。(笑)
投稿元:
レビューを見る
当然のことだが、この本を隅々まで読んで批評する能力は、私にはない。ただ言いたいのは、小野不由美「十二国記」の読者に対し、こういう世界もあるよ、と紹介したくて紐解いたのである。
十二国世界では、蓬莱(日本)や崑崙(中国)とは虚海によって隔てられ、自国には、うじゃうじゃと不老不死の神仙や仙人(仙籍を持つ者)そして妖魔がいるのではあるが、少なくとも晋・漢代(3ー4世紀)の学者の中では、仙人たちの名前が具体的に且つ生き生きと蠢いていたことに驚いた。
葛洪(284-363)著作の「抱朴子」「神仙伝」、前漢の劉向「列仙伝」は、それでもわりと最近の著作だ。「山海経」は晋時代に解説が書かれているが、その原点は不明である。一説には周・禹(中国古代伝説時代)に遡る。武帝や司馬遷の時代に張騫がシルクロードを旅したが、「(伝説の)崑崙は見つけることが出来なかった」と報告したのは有名な話である。見つけさえすれば、不老不死の秘密がわかると思ったのだろうか。この本を読むのではなく、見ていると、やはり最もインスピレーションが湧くのは妖魔百科ともいえる「山海経」である。動物や鳥や魚が、妖魔化していて、人間の創造力此処に極めれりと思う。(←いや、創造力ではなく、実際に見たのかもしれないが^_^)
曰く(抄)。
(難字はひらがな、又はカタカナにする)
南山経のはじめはジャク山という。そのはじめを招瑤の山といい、西海のほとりに臨む。桂が多く金・玉が多い。草がある。その形は韮の如く、青い花、その名は祝餘。これを食らうと飢える事がない。木がある。その形はコウゾの如くで黒いキハダ、その花は四方を照らす。その名は迷穀。これをおびると道に迷わない。獣がいる。その形はサルの如くで白い耳、伏して歩き人のように走る、その名はショウジョウ。これを食らうとよく走る。
更には、腹の病を防ぐ魚、水玉(水晶)の河、赤金や白金多い山、帯びると子宝に恵まれる動物、ツンボを防ぎ手足タコが治る亀などが出てくる。もちろん今紹介したのは、おそらく山海経の1/1000にも当たらないし、散逸したホントの山海経はその何倍もあるというのだ。しかも、今回の山海経登場生物が、図鑑宜しく、なんと巻末に図入りで載っている。鳥の顔の亀や、馬の顔に虎の身体など、極めて具体的で、きちんと名前が付いているのである。この不思議な動植物が産まれる世界を私は既に知っている。十二国記である。
驚くのは、これらの文献上の怪物たちのほとんどが、「十二国記」では援用されていないのである(キチンと読んでないので見落としていたらごめんなさい)。当然小野不由美は、この本は熟読しているはずだ。つまり、そのまま姿形や性格や設定を借りることはしなかったと言うわけだ。もっとも、西王母は意外なところで登場した。解説を書いた東晋の学者は「周時代の穆王が西王母にまみえて素晴らしい玉や絹を献上した」と書いている。山海経の中の中心にいる神仙としての西王母の登場だ。正に十二国記の世界ではある。鳳や麒麟は見当たらなかったが、もちろん古代中国のスターだから他の所に出没しているのだろう。
海に囲まれ��東西南北の山と中山について描き、それを囲む四海について描いている。十二国そのままではないが、よく似た世界である。だとすれば、この「山海経」の、正に「異本」が十二国を創り出した、と見てもあまり矛盾は起きないのではないかと思うのである。
私は、私の想像を膨らませる。