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1985年の本なのでこの頃は確かに「終わっていない」のかもしれないが、果たして21世紀の今は終わったのか終わっていないのか気になる。
これは高度経済成長期に、いかに大企業が環境や地域住民をいに介さず、発展優先で邁進していたか、そして政や官が企業に寄り添っていたか、その弊害が「公害」という形になったかの記録である。
そして、その有様はなんと今の時代にもマッチしていることか。つまり、原発政策である。
水銀による健康被害であることは、かなり初期段階からわかっていたにも関わらず安心だ安全だただちに健康に影響はないなどと言って被害を深刻なものにしていった。これと全く同じようなことを昨今耳にしている。公害から何も学んでいないのである。
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1950-60年代に大きな問題となった水俣病を間近で観察してきた原田氏の本。水俣病に関したプレゼンテーションをする必要があって読んだ。
本書のはじめに、病気の発見からその後の経過が順序立てて説明されている。水俣病に関する前知識はほとんど無かったが、この部分を読むことで概要がつかめた(と思う)。
筆者は水俣病患者を「認定」する制度についての問題点を強調しており、中盤から後半に渡って、認定制度をめぐる行政の動き、患者の裁判などを繰り返し記述している。少し時系列が交錯しているように感じたが、裁判そのものが多様なのと、この本が書かれた時代はまだ決着がついていない裁判が多く残っていることもあって、そうなってしまうのは仕方がないのかもしれない。まさに「水俣病は終っていない」という感じだった。
たぶん、プレゼンテーションという機会が与えられなければ読まない本だったと思う。
非常に興味深かった。知らない日本がまだまだあると思った。
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岩波新書の古典とも言えるものを再収集しています.水俣病関連の書籍は本当に考えさせられるものが多いです.
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水俣病を診断した医師、原田正純の著作。
水俣病は、熊本・新潟だけではなく世界にも症例があると初めって知った。途中、石牟礼道子さんの著作が引用されていて、読むのが楽しみになった。
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(2016.10.16読了)(2016.10.12借入)
同じ著者の「水俣病」を読みました。
「水俣病」原田正純著、岩波新書、1972.11.22
その後、石牟礼さんの『苦海浄土』三部作を読みました。
「新装版苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、2004.07.15
「天の魚 続・苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、1980.04.15
「苦海浄土 池澤夏樹=個人編集世界文学全集」石牟礼道子著、河出書房新社、2011.01.30
水俣病事件の被害者の証言を集めた本も読みました。
「証言水俣病」栗原彬編、岩波新書、2000.02.18
ついでにということで、図書館にこの本があったので借りてきて読みました。
「水俣病」の出版は、1972年、『苦海浄土』の第三部『天の魚』が1974年の出版なので、その後の事件の様子がわからないのですが、この「水俣病は終っていない」を読むと、その辺のことがわかります。
結論としては、水俣病事件の全容が解明されないまま、幕引きが行われた、ということになります。全容を解明すると、国もチッソも支出するお金が増えるばかりなので、やりたくないということになります。不知火海に面する地域の住民は、少なからず影響を受けているはずなのですが、水俣病に認定されたのは、2263人、です。認定申請者は、12606人です。
認定申請をしていない人を含めると、水俣病の症状が出ている人は、3万人とか4万人いるのではないでしょうか。
水俣病と同じ事件は、新潟でも起きているし、世界の各地で起きているので、有機水銀中毒の影響がどのように出るのかという情報を蓄積しておくことは今後のためになる事と思われます。
水俣病事件の被害者に対する補償金を決めるための審査会というのが作られていますが、審査会の判断で認定を却下された方々が、裁判を起こしています。判決を見ると、審査会の医師の判断よりは、裁判官の判断の方が世の常識にあっているように思われるのは、なぜなのでしょうか。病気の専門家の医師は、細かいところが気になって大局的な判断ができないのでしょうか。実際の被害者の診察には当たっていないせいでしょうか。
疑わしきは、却下なのか、救うなのかという、姿勢の問題もあると思います。
【目次】
Ⅰ章 水俣病のあゆみ
Ⅱ章 判決、その後
Ⅲ章 患者救済の門戸は開かれたか
Ⅳ章 水銀汚染を追って
Ⅴ章 裁かれるのは誰か
Ⅵ章 環境としての子宮
Ⅶ章 遅々として進まない救済
Ⅷ章 医学と裁判
Ⅸ章 世界のミナマタへ
Ⅹ章 胎動
Ⅺ章 水俣病は終わっていない‐あとがきにかえて‐
●漁業回復宣言(10頁)
1964年には、水俣魚協は水俣湾の〝漁業回復宣言〟まで行った。であるから、1973年に第三水俣病さわぎで再び漁獲禁止になるまで約十年間、人々はそこから再び魚貝類をとって食べていたのである。
水俣病が終わるためには、汚染源(チッソ)が水銀を一切流さなくなるか、魚貝類の水銀値が安全値まで下がるか、住民が汚染魚を一切口にしないか、のいずれかの条件が満たされなくてはならない。このとき、どの条件も満たされていなかった。
●環境汚染(14頁)
「水俣病は環境汚染の結果おこっ��有機水銀中毒である」とわかったのであるから、同様に汚染された10万人の住民がどうなっているのか、また、将来どうなっていくのか、その実態を明らかにする研究が必要であった。行政はもちろん、医学もまた、それを懈怠し続けたのである。
●病名としての水俣病(57頁)
政令におり込む病名として「水俣病」を採用するのが適当である。
有機水銀中毒、アルキル水銀中毒、メチール水銀中毒等は経気、経口、経皮等によっても惹起されるが、水俣病は魚貝類に蓄積された有機水銀を大量に経口摂取することにより起こる疾患であり、魚貝類への蓄積、その摂取という過程において公害的要素を含んでいる。このような過程は世界のどこにも見ないものである。この意味においても水俣病という病名の特異性が存在する。
●患者をみない(89頁)
患者をみたこともない人たちが、多数決で「シロ」と決めることは、きわめて異常なことである。
●抗議行動(107頁)
海を汚し、魚を殺し、人を殺した会社は罰されることなく、多くの漁民が迅速に罰せられた。
●業務上過失致死傷罪(118頁)
昭和51年5月4日、熊本地検はチッソの吉岡喜一元社長、西田栄一元工場長を業務上過失致死傷罪で起訴した。水俣病の発見から実に19年もたっている。
●ユージン・スミス(174頁)
「水俣」の国際性を示す人物に、ユージン・スミス(写真家)とその妻アイリーンが挙げられる。この夫妻は昭和47年頃、水俣に住みつき、住民の好奇心をそそった。彼の写真は水俣を世界に広める役割を果した。
☆関連図書(既読)
「新装版苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、2004.07.15
「天の魚 続・苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、1980.04.15
「苦海浄土 池澤夏樹=個人編集世界文学全集」石牟礼道子著、河出書房新社、2011.01.30
「石牟礼道子『苦海浄土』」若松英輔著、NHK出版、2016.09.01
「水俣病」原田正純著、岩波新書、1972.11.22
「証言水俣病」栗原彬編、岩波新書、2000.02.18
「水俣病の科学 増補版」西村肇・岡本達明著、日本評論社、2006.07.15
「谷中村滅亡史」荒畑寒村著、新泉社、1970.11.20
「辛酸」城山三郎著、中公文庫、1976.01.10
「田中正造の生涯」林竹二著、講談社現代新書、1976.07.20
「沈黙の春」カーソン著・青樹簗一訳、新潮文庫、1974.02.20
「奪われし未来」T.コルボーン・D.ダマノスキ著、翔泳社、1997.09.30
(2016年10月19日・記)
(本のカバーより)
「公害の原点」ともいわれる水俣病に関しては、いまだに未解決の問題が山積している。医師として水俣病を一貫して追求してきた著者は、今も続く患者の苦しみを語る一方、水俣に芽ぶく試行に希望をよせ、また自ら実地に確かめたカナダや中国など世界の水銀汚染の実情を述べて、この空前の公害が絶後のものとなるように訴える。