紙の本
名著です。
2004/06/07 00:48
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:火星人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人々の衝突の原因が、コトバの持つ性質を理解していないがための不毛な議論や、言葉の行き違いにあるとしていて、それなら、コトバは一体どんな性質を持っているのか、なぜ人々はその使いかたを誤るのかが、例を用いて示されています。少し難しい(私はそう感じました)ので、語句を書き出すとか、章ごとにまとめるという読み方をお薦めします。書かれていることが理解できれば、報道や人の話の捉え方が120度くらい変わると思います。
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著者は「地図は現地では無い」で有名な一般意味論の創始者アルフレッド・コージブスキー直接の高弟。 コージブスキーの著作は日本語訳が無いので、一般意味論を学ぶにはこれが入り口となるだろう。手元にある本は1985年第4版29刷のもの。本の序章を読むと1951年11月となっている。かなり古い文献になるが、なるほどこれが一般意味論かと当面の理解が進む良書。
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2009/6/21図書館にて借りる
2009/
『戦後詩/寺山修司』の中に記述されていた本です。へたな文章啓発書より、はるかに実用的です。これ一冊あれば大学の論文も上手に書けると思います。手放せない一冊です。
第一部:言語の機能
1.
2.
3.ここは大事な事が書かれている。
3.1
言語的世界:読書
外在的世界:外出
3.2
報告は人々の同意を得ることのできるような事でなければならない。
4.
5.1
5.2
情報的内包
5.3
感化的内包
6.1
この部分に寺山修司の引用していた内容が記述されていた。
6.2
心理学者がよく使う手法として、話し相手との共通のお話をする(同意する)ことが書かれていた。
6.3
6.5
知的な人は、「人は思っていることと、言うことを一致させよ」というが、これは常に守ることはできない。
日常生活において、私たちはことばのそのものにはあまりこだわらない方がよい場合が多い。ことばの背景に意図しているものが、ことばそれ自身の表面の意義よりもはるかに賢明であり、わかりやすいことがある。
7.1
【言語の司令的用法】
7.2
8.3
8.4
直喩(simile)
直喩は感じの直接・無思考的な表出と報告との中間的段階であるが、表出の方に近い。
俗語は常に隠喩と直喩とを使う。
8.6
ここが大切!
【歴史と文学の学習は、実際的な人々が好んで思いたがるように、単に社会的教養のためのムダな知識ではなく、他人とのコミュニケーションの能率を高めるための、また他の人々がわれわれに伝達しようとしていることの理解を増すための、必要な手段なのである。】
9.9
アーネスト・ヘミングウェーの散文は、この正反対の技法の古典的な典型で――言うまでもなく、高度な技法である。外在的・観察可能の事実をむき出しの報告で伝え、その報告された事実が読み手に感銘を与える。
第二部:言語と思想
10.2
われわれの経験の「対象」は「物自体」ではなくて、われわれの神経系とその外側のなにかとの相互作用である。これは我々がたとえばCDを買うという経験をするときに、その対象となるものはCDそのものではなくて、CDを買ったということが経験の対象となる。
10.4
定義は言語についての叙述、と理解するべきである。
抽象のハシゴ(p173参照)をより高いレベルの通称に上ってしまう定義は役に立たない。
例:「赤という語はどんな意味でしょう?」「それは色だよ」「色ってなんですか?」「それはモノのひとつの性質さ」「性質って何ですか?」「いったい、それを聞いてどうしようって言うんだ?」
これと反対に、語の意味を聞かれた時にわれわれが常に抽象のハシゴをより低いレベルの抽象に下れば、言語の迷路に迷わなくて済む。
例:「赤という語はどんな意味でしょう?」「交差点で自動車が止まっている時に、前方の信号機をみたまえ。消防署に行って消防自動車がどんなぐあいに塗っ���あるか見てもよい」
11.
12.
13.分類
14.二値的考え方
二値的考え方という言葉はアルフレッド・コーズィブスキーが作った言葉です。
15.多値的考え方
16.詩と広告
p279
詩人は感覚と知性の新しい方法を創造することによって、変わりゆく世界に我々を適応させてくれる新しい思考方法の創造に寄与する。
p280
これらの差し迫った現実を実感させる新しいイメージを詩人が与えてくれなかったら、それをわれわれの知性ばかりでなく感性にも、どうやって取り入れたらよいのだろうか?
17.ジューク・ボックスの中の10セント硬貨
平凡で切れ目なく話す習慣は、値的欠陥のしるしである。/ウォルター・バジョット
舌は、人体の中で最も動かしやすい器官である/ウェンデル・ジョンンソン
17.2
多くの人々は、まさに不断の悪循環の中にいる。内在的考え方のゆえに彼らは言語過剰であり、言語過剰からかれらは内在的考え方をさらに強める。こうした人々はジューク・ボックスのように自動的にしゃべり始める。10セント入れれば歌いだすのだ。こうした習慣を持っていると、われわれはしゃべりすぎて常識を逸した態度を示すようになることもある。
17.4
学問的語彙は二つの機能を持っている。ひとつは、それは観念(重要な、難しい、深遠な観念を含む)に表現を与えるという伝達的機能を持っている。もう一つには、そういう語彙は社会的機能を持っており、これはその使用者に威厳を与え、それを理解しない人々には尊敬と恐れの念を起させる(きっと彼は頭がいいに違いない、私は彼の言うことが一言もわからなかったから!)。
一般的法則として次のことが言える。学問的語彙の社会的機能が、その使用者にとってその伝達的機能よりももっと重要になるようなときには、コミュニケーションは困難になり、隠語がはびこる。
18.ネズミと人間
19.内の秩序と外の秩序
p317
【参考文献】
悩める人々/ウェンテル・ジョンソン
・・・・・/シンクレア・ルイス
p192読み直す
その科学と正気/コーズ
未開人の心理
【用語表】
記号 sign (signal and symbol)
あるものがほかのあるものを代用する(stand for)とき、・・・・
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事実よりも記号が優先されがち。 ex. ベンツに乗っている人は、裕福に違いない。
記号を支配するための第1法則。
記号は物そのものではない。
コトバは物ではない。
コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味は我々の内にある。
地図は現地そのものではない。
外在的世界=報告によって受け取る世界
報告は、実証可能でなければならない。
できるだけ推論と断定を排除しなければならない
言語的世界と外在的世界=地図と現地
言語で外在的世界と何の関係もない「地図」を作ることができる
ex.突然事故に会わないようにウサギの足を持って歩く、ホテルの13階に泊まろうとしない
アヤマリの地図が頭に入るのは、人から与えられるか、自分で読み違えるかのいずれか
抽象のハシゴ
優れた小説家や詩人の作品は、より高いレベルと低いレベルの抽象感の相互作用を常に現している。その主張が人生への洞察を与える高いレベルの一般的な有用さを持つ人だが、かれは自分の能力で実際の社会的状況や心理状態を観察し描写して、その一般化に効果と説得性を持たせる。
抽象のハシゴ(ウェンデル・ジョンソン)
抽象のレベルの混同 ex. 自転車とケンカ
「その人の話がなかなか理解できない」と言う状況の多くは、「彼の語る内容の抽象化レベルが、”低すぎるか”反対に、”高すぎるか”による事を知り大いに頷きました。
抽象化のレベルが高すぎると、
「赤という語はどんな意味だ?」
「それは色だよ」
「色って何だ?」
「それは物の一つの性質さ」
「性質って何だ?」
という展開になり、質問を発している方から見たら、答えは五里霧中です。抽象化のレベルを下げると
「赤という語はどんな意味だ?」
「交差点で自動車が止まっている時に前方の信号灯を見たまえ。消防署に行って消防自動車がどんな具合に塗ってあるか見ても良い」
という展開になります。
語と記号の神秘的関連 必然的な関連 ex. ガラガラ蛇
思考の中の幼児性を回避するには、語とそれが代表する物との間に関して必然的な関連はないということを深く知ること。
報告から推論に断定に そしてレベルの混同に。
メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)
彼女は遊び回っていたのだ(推論)
彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)
こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」
二価的考え方VS多価的考え方
指令的叙述と情報的叙述とを区別せよ。
報告から推論に断定に、そして抽象レベルの混同に。メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)彼女は遊び回っていたのだ(推論)彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばか���でなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」。二価的になる自分を避ける。通達的事象を話し手と話の内容に分ける。信念体系と不信体系(ミルトン・ロキーチ)。不信体系についての情報に対して心を開くということが、開かれた心を持つということ。我々が他の人々の判断により、そして我々が彼らの断定を信じることにより、我々を不当に影響させる事実こそが、我々が劣等感を、罪悪感を、不安定を感じる最も一般的な理由の一つである。報告にいかなる断定も下さない。反応の延滞反射機構を持つこと。慣習的に達した態度と外在的に達した態度とを区別すること。慣習的態度に含まれた広い評価錯誤の原因は、その中に高いレベルの抽象における一般化が含まれていることである。
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連休中に野尻湖の湖畔で静かに読んだ一冊です。
良書だと思う。
人生の中で、一度は読んでおきたい一冊。
言語学の本です。
まったくの門外漢ですが、彼の理論はたぶん言語=記号という大前提から成り立っています。
人間が他のイキモノと大きく異なるのは
言葉を通して、互いの「調整」が取れる社会的イキモノであること。
そしてコトバとは何かを抽象化して、分類して表すための「記号」
ということは、その「何か」を完璧にアラワスことアタワズ
記号であらわした「地図」はセカイそのものにアラズ
そんな前提において、コトバって何だ。
ヒトってコトバでどう考えて動いて、互いに影響しあうのだ?
という疑問について、ある意味エッセー調に彼の理論を展開していきます。
日本みたいなハイコンテキスト社会にいると、あまり言語そのものについて考えることは少ないのでしょう。
コトバにしなくても伝えるモノがある、という前提だから。
そういった面でも新鮮だし、コトバそのものについてよく考える今日この頃なので
特に興味深く読めました〜
お勧めの一冊です。
ヒトリになってもコトバは残る
ボクと語るのだから
だからこの一冊を無人島に持っていくかも知れない
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意味論に関する知識は全くなく、入門書として読んだ。
報告・推論・断定の区別、地図と現地の関係、外在的・内在的、抽象の過程…
個人と個人から広く国際レベルまで、無益な衝突・誤解を防いでコミュニケーションを円滑にするための原理がいっぱい!
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何度か読み直さないと理解しづらい内容もあり、
この手の本を読み慣れていない自分にとっては
なかなかヘビーな一冊でした。
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コトバと事実との関係性について再考させてくれる最高な本です。記号と意味との関係について考えることは、数学基礎論や科学哲学にもつながっていて、とても興味深いです。本書に言及はなかったのですが「言語ゲーム」とかも絡めて考えてみたいです。
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コージブスキーの系譜たる一般意味論の名著です。言語の使用についての倫理的な側面を解説しています。読む環境(年齢、会社での地位、社会情勢)で感じ方が変わりますから、折々の再読が味わい深いものになるでしょう。
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協力が衝突よりも好ましい。・゜・(ノД`)・゜・。
「協力が衝突よりも好ましい」苦しいことがあるたびに この言葉が僕の心の中に響き ます。
ハヤカワ氏は言います p(^_^)q
「全ての基本的な合意というものは(合意によって人間は円満に仲良く共存することを知るのだが)、それは実に気長な思考・話し合い・議論・説得から生まれるのだということである。結婚・法律・政府などの人間の諸制度は偶然に生ずるものではなく、社会的な発明なのだ。我々の生活に秩序を求める切実な要求に対応して工夫され発達してきた社会的発明なのだ。」
言葉とそれを使う人間の本性・ あるべき 配慮について学び直そうという方にお勧めの良書です 。。・°°・(>_<)・°°・。
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「市民に金を与えるのは救済に他ならない。救済は悪だ」「市民は市に何らかの貢献をする形で保険をかけている。市民は金をもらう権利がある」「救済は救済だ」「保険は保険だ」。この議論に終止符を打つには?抽象的な議論は無価値、という言語論の古典。
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中小企業診断士の勉強の一環で読みした。
内容が 全て理解出来て、負に落ちた訳ではありませんが、役に立つ内容でした。
日常生活から意識して行きたいと
思います。
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言葉でものごとを考えるのであれば、よりよく考えるために言葉について知りたい。さて言葉とはなんだろうかという興味で読んだ本。
・情報的内包
・感化的内包
・抽象のハシゴ
このあたりが自分にとっては新鮮だった。
言葉1は言葉2である。
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ことばに関心のある私としては良書でした。
推論することは悪いことではないが自分が話していることが推論なのか否かは分からなければならない。といったことが書かれていてその通りだなと。実際、普段の会話で「あの人、~してそう」みたいなやり取りはおもしろいことが多いから推論は使われてよいものだとは思うけれど議論の場等ではふさわしくないなと。マスメディアから情報を受けとる聞き手としても注意したいところ。
文脈が大事ってのは今でいうと芸能人のテレビでのちょっと過激な発言が一部切り取られてネットニュースになって荒れるみたいなことやな。芸能人側は文脈重視してるから気にしてないやろうけど聞き手の力量が下がる恐れはありますね。
「文学は感情の最も正確な表現であり、科学はほうこくのなかでもっとも正確な報告である。」一つの文学の答えでもあるなーと。生活を生きていく上において感ずる、例えば自分こそ世界でこのような恋をした最初の人間であるというような、独特な感情を創造するものであると。そして作者の表現したいそのままの感情を読み手の心に再現させるために一冊の本になるほどの膨大なフィクションが作られるんだなーと。
アリストテレスがカタルシスと呼んだものであり、発言のもっとも重要な機能の一つは緊張の緩和であるとのこと。
芸術の目標が秩序づけの結果読者の自己整頓を若干進展させることってのはなかなかいい定義づけだと思う。自分がなんとなく感じていた感覚を説明してくれるハヤカワさん何者なんだ…!
第二部
抽象のはしごおもしろい。語の意味を説明するときには常にはしごをより低いレベルの抽象に下らないといけないのね。そして定義は外在的に。ex.料理本
多値的な考え方はコミュニケーションに必要なものよね。これができるかできんかで人生の方向性に大きく影響が出ますわ。
知的に成熟した人は人生で唯一の保証とは内部から来る動的な保証すなわち、精神の無限の柔軟さから来る保証だと知っている。柔軟さってやっぱ大切やな。
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本書は修士課程に入った頃読んで非常に刺激的だった一冊で,私がそれまでぼんやりと考えていたことを明確に理解させてくれると同時に,その後の私の研究の方向性を示してくれた。
私の研究はそれから多方面に及んでいるような気もするが,本書を読み返すと発想の源泉は20年前と変わっていないようにも感じる。
第一部 言語の機能
意味論的寓話――赤目と女の問題
1 言語と生存
2 記号
3 報告,推論,断定
4 文脈
5 言語の二重の仕事
6 社会的結びつきの言語
7 社会的制御の言語
8 感化的コミュニケーションの言語
9 芸術と緊張
第二部 言語と思考
第二の意味論的寓話――A町とB市の物語
10 われわれはどうやって知るか
11 居なかった小人
12 分類
13 二値的考え方
14 多値的考え方
15 詩と広告
16 ジューク・ボックスの中の10セント銀貨
17 ネズミと人間
18 内の秩序と外の秩序
今私が考えているのは,地理空間の認知の問題である。単に空間認知というと,実験に依拠する心理学では,目の前の机上空間だけでことが済んでしまうことがあるが,地理学者の場合はそうではない。実際に自分が身体を移動して覚える「土地勘」のようなものから,世界地図で国の名前や位置を覚えるようなことまでを含む。まさに,身体経験に基づくものから世界地図までを対象にする地理学はそのミクロからマクロまでのスケールの大小が問題となり,地理学者なるものは大小を連続的に認識できなければならないわけだが,一般の人々,そして成長する子どもたちがそうした能力をいかに獲得していくのか,あるいは成人しても獲得しないのか,というところがもっぱら気になるところ。
経験に基づくボトムアップ的な知識と地図というメディアによるトップダウン的な知識,それは本書の表題の行動と思考に対応するし,その際に言語の果たす役割は大きいと思う。ということで,今の私の思考にもってこいの本。また,本書は「言葉は物ではない」という主張を繰り返すが,その際に用いられる比喩表現が「地図と現地」である。つまり,物が現地だとすれば,言葉は地図であり,地図は現地の情報から得られたものだが,現地そのものではない。というところも,言葉の問題を地理の問題に準えて考えやすい。
読み直してみると,やはりくどいというか,あまりにも単純化しているという感覚が否めない箇所も少なくないが,それはある意味では非常に大胆で,そして初学者に分かりやすいという側面もある。また,今読み直したからこそよく理解できることも多かった。最近ようやく私もエスニシティについて考えることが多くなったが,本書で登場するユダヤ人のたとえ話や,また日系人である著者自身の話も非常に興味深い。また,著者がヨーロッパ大陸ではなく北米の研究者であることもあり,本書が広い意味でのプラグマティズム的であることも,やはり同時代のマクルーハンやケネス・バーク,ブーアスティンなどの著作家と共通する特徴かもしれない。