投稿元:
レビューを見る
まだフィルム入稿だった頃、海外のとある小さな新聞社で働いていました。Capaやサワダに憧れて、いつかはと思っていた私。そんなころに出会った1冊。等身大の「一之瀬泰造」に衝撃を受け、そして涙しました。
あれから10数年経ち、アンコールワットを訪れる機会があり、再読しました。あの頃の自分と自分の気持ちとは全く違うことをしながらも、いや、だからこそか、胸が熱くなりました。そして、アンコールワットでは、たぶん一之瀬さんが眠っていたと思われるあの菩提樹を見つけ、タバコに火をつけて供え、祈りました。
投稿元:
レビューを見る
若い。こんなに若かったのか。
ストレートで素直な日記と書簡。飾らない言葉。彼の年齢に近いからか、強く共感でき、また同年代ながら、その行動力には尊敬の念を覚える。
日記に会話が多い。それだけ人と交流していたってことなんだろう。
若いゆえの勢い、熱狂を感じる。
捕虜解放の場面の記述に胸を打たれた。
投稿元:
レビューを見る
若くして亡くなった戦場カメラマンの写真・書簡集。書簡に見える一ノ瀬泰造は、冗談も言えば女も買う、普通の若い男。写真の上手・下手はわからないけれど、彼の写真が訴えてくるものはわかった。写真の中の人々・風景。感じ取るのではなく、感じる。
投稿元:
レビューを見る
天真爛漫に戦場を駆け抜けた若きカメラマンの生き様。
何かに迷った時、勇気が出ない時、元気が出ない時に読むと前向きな力をくれる。
本の中に登場する「求めよ、さらば与えれん。叩けよ、さらば開かれん」というこの言葉を、私は座右の銘にしている。
投稿元:
レビューを見る
【34】
戦場カメラマン一ノ瀬泰造の手紙と手記を纏めたもの。
この作品の映画を観て、卒業旅行にアンコールワットに行くことを決めた。
仕事に、写真にこれほどまでに命を懸けられる生き様が羨ましい。彼の覚悟が、若者の心を打ち、アンコールワットへ向かわせるんだろうな。
もう一度、映画を観て、そしてアンコールワットへ行きたいと思った。
2011.2.28読了
投稿元:
レビューを見る
戦場写真家としてカンボジアを撮り続けた彼の情熱と戦争の実態を伝えた本。
1人の人物の伝記として読むも良し。豊富な写真から歴史の実態を見るも良し。
特殊なジャンルの本ですが、一気に読めてしまうほどの濃い内容です。若い人、特に中学生・高校生ぐらいの人に読んでもらいたい。
写真が伝える現実というものに衝撃をうけ、趣味の範囲内ながらも私が写真を撮ってみようと思うキッカケのひとつになった本です。
投稿元:
レビューを見る
カメラを志す青年がカンボジアのアンコールワットを撮りに行く。時期はベトナム戦争時。本人が亡くなったのちの手紙と日記が主な内容で、赤裸々な本人の想いや考えが表現されている。旅をしている若者(?)の身として、共感出来る部分が多々。
投稿元:
レビューを見る
思えば去る2007年4月、タイ~カンボジア~ベトナムへの一人旅に向けて情報収集する中で一ノ瀬泰造という人の名前だけは知っていたのだが、アンコールワットに行った時も、ベトナムの戦争証跡博物館でも私は彼に対してあまり興味を示さなかった。
ある時偶然めくった新聞記事で同郷出身で、アンコールワットに憧れ、当時の私と同年齢、26歳で倒れたことを初めて知る―。
それから興味が湧いてこの本を読んだのだが、写真に対する熱い想い、アンコールワットへの憧れ、母からの手紙・・・どれもこれもリアルな体験や気持ちが綴られていて、ぐっときた。
もっと早くこの本に出会っていれば、旅がまた違うものになっただろうと思うと悔しくてならない。
また、カンボジア、ベトナムに行きたくなった。
投稿元:
レビューを見る
フリーの報道写真家として、バングラデシュ、ベトナム戦争、カンボジア内線などの激動地帯を取材した一ノ瀬泰造。クメール・ルージュが支配していた西側からアンコール・ワットを撮影したいと切望、「旨く撮れたら東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだらサヨウナラ」という手紙を友人に送った後、アンコール・ワットに潜入、消息を絶つ。その9年後、シェリムアップ郊外で遺体が確認された。
同名映画で彼のことを知った人も多いだろう。彼の写真、母や友人に送った手紙、日記、などで構成されたこの本からは、若さ、ひたむきさ、ちょっといい加減で陽気だった姿が伝わってくる。内線が終結し、世界遺産の観光地として人気を集めるアンコール・ワット。今の姿からは想像もつかないが、こんな時代もあったことをぜひ知っておいてほしい。
投稿元:
レビューを見る
想像以上に生々しい。
この日記や手紙の内容が、本当にこれを書いている時に 一ノ瀬泰造のまわりでリアルタイムに起こってた事。そ れがショック。
一ノ瀬泰造って人が大体どんな人で、この本が大体どんな内容なのか?
何となく入ってきてた情報で自分の中でイメー ジしてたけど、
それがキレイごとだったんだ な、、、と思った。
人って思ってるより強い し、でもあっけなく死んでしまう。
ベトナム 戦争がどんなものだったのか?カンボジアの内戦がどんなものだったのか?
調べてはみるけど・・・よくわからない。
何のために、誰と誰が戦ってたんだろうなぁ。
投稿元:
レビューを見る
シェムリアップ(この本の中ではシアムリアップとなっているけれども、シェムリアップと書く方が、今では一般的なようなので、そのように書く)は、一ノ瀬泰造が写真を撮ることを狙っていたアンコールワットに一番近い街だ。カンボジアの内戦時代に、アンコールワット近辺はクメール・ルージュ側に占拠されたが、周囲の街までを制圧したわけではなく、シェムリアップ近辺は、クメール・ルージュと政府軍の戦いの前線でもあったようだ。
アンコールワットには一度だけ行ったことがある。
僕の住んでいるバンコクからは、アンコールワットへ行くツアーが沢山組まれていて、僕もそのうちの1つ、1泊2日のツアーに申し込んで出かけた。時期はずれに申し込んだためだったと思うが、現地に着いてみたら、そのツアーに申し込んでいたのは僕1人であることが分かった。参加者が1人であっても、あたり前だけれども、ツアーを中止するわけにはいかないだろうから、空港にはガイドが1人と運転手が1人待っていた。要するに、2日間、専用のガイドと専用の運転手がつく豪華なツアーになったのだ。
バンコクからシェムリアップ空港までは、1時間弱。シェムリアップはアンコールワット観光の拠点になっている街であり、新しいホテルやきれいなレストランが多い、かなりにぎやかな街だった。
一ノ瀬泰造がシェムリアップに滞在していたのは、1970年代初めのことなので、今からだと50年も前のことになる。
内戦前はやはりアンコールワット観光でにぎわった街であったようであるが、内戦が起こってからは、更にその内戦が激しさを増してからは、戦場に近い場所になってしまっていたようであることが、この本を読めば分かる。
一ノ瀬泰造は戦場カメラマンだ。クメール・ルージュの占領していたアンコール・ワットの写真を撮影しようと、シェムリアップの街に住み込み、実際何度となく、それを試みる。
何度も危険な目に会いながら、その都度生き延びるが、最後にはアンコール・ワット方面に出かけたまま消息を絶ってしまう。26歳であった。
無謀で野心に溢れた若いカメラマンの日記と、両親や友人にあてた、あるいは、両親や友人からの手紙、そして一ノ瀬泰造が撮影した写真で構成されている本だ。
日記に溢れ出る無謀さと純粋さには、胸を打たれるものがある。
投稿元:
レビューを見る
だいぶ昔に読んだ本。
これがアンコール・ワットへの旅のきっかけ、原点。
今回旅立つ際に再読したので、登録。
投稿元:
レビューを見る
カンボジア旅行前に関連書籍を読みたくて購入。
著者が家族や友人にあてた手紙やその返事、日記を時系列に追っていく形式。途中で著者が撮影した写真も多く紹介されている。
当時のカンボジアの人々の生活はもちろん、先頭の描写がリアルで生々しい。
読み終わってから知ったが、映画化もされており当時の若者には大変人気があったそう。
確かに明確に目的をもってそれに人生をかけた彼の生き方は、同世代の人間だけでなく引き付けるものだと思う。
投稿元:
レビューを見る
エッセイというのか分からないけれど。
ひょうひょうとしているのに、楽しそうなのに、どこか読んでいて悲しい。
親御さんの気持ちが分かるからだろうか。当人の押さえきれない夢を感じるからだろうか。
その後のカンボジアを思うと、何を目指して戦っていたのか、とまた悲しくなる。
ポル・ポトを考えると、先生は…やっぱり。
皆どこへ行っちゃったんだろう。
今の世界を見せたい気がした。そうしたら、きっと伸びやかに世界の中へ駆けだしていくのだろう。その無邪気さを見たい気がした。
投稿元:
レビューを見る
1970年代、内戦状態の続くカンボジアに向かったフリーの報道カメラマン・一ノ瀬泰造。クメールルージュと一緒にアンコールワットをカメラに収めたいと単独潜行。「上手く取れたら東京にもって帰ります。地雷を踏んだらサヨウナラ」。結局そのまま帰ることはなく、1982年に死亡が確認されたとのこと。肉薄する死と生との境界、なぜ彼は自らの危険を顧みずシャッターを切り続けたのでしょう。克明に記された記録から彼の足跡を、考えを体感。平和すぎる時代だからこそ読んでおきたい作品でした。