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彼の周囲の実話集。実に妙な話が集まってくるものです。いちばん気味悪かったのは吐く話。ある日突然苦痛を伴わない吐き気がやってきて毎日続き同時にどこに移動しても彼の名前だけ告げるtelがかかってくる。40日間。「僕が誰だか分かりますか」というtelが来た日、体調にも変化が……。おー不気味!やっぱ幻聴なのかな。そう考えるのが一番たやすそう。ホレた女の子の日常を探るため近所に引っ越して望遠レンズで覗きをするってのも恐ろしい話だ。世の中には本当にそういう人がいるのね。'93
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村上さんのまだ初期の作品であり、文章の切れに寒気を感じる。作品自体にも無機質なテンションを感じ、それは白磁の持つ玲瓏さに似ている。
村上さんのオリジナル小説というのではなく、彼が様々な人から聞いた話の中で、特に文章にしてみたかったものをまとめた作品集である。
実に不思議なイメージを抱かせる話ばかりである。大人の御伽噺、といってもいいかもしれない。ちょっとホラー小説みたいな気もする(ソフト・ホラー?)。
母親が海外旅行で、父親に頼まれたレーダー・ホーゼンを買ったときに離婚を決心する話(『レーダーホーゼン』)。
ある女性画商が、タクシーに乗っている男の絵に自分の過去を投影し、その絵に描かれている人物(であろう)男性に偶然出会ってしまう話(『タクシーに乗った男』)。
35歳を人生の折り返しと決め、過去を振り返る。そのとき自分が老いてしまったことに気づき、悲しむ話(『プールサイド』)。
とりあえず、3篇だけ読んだのだが、奇想天外というのか、ちょっと奇怪な筋の物語だ。
村上さんは人の話を聞くことで体内に「おり」が溜まっていくことを感じ、それを”無力感”と定義している。その本質は「我々はどこにも行けない」(cf.14)ということ、だと言う。
「我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている」(cf.14)。
「しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える」(cf.15)。
つまり、我々の人生が我々を規定しているため、我々自身はどこにも行けない。ただ我々の人生のとおり運行を続けるだけである。それは回転木馬に似ていて、他の人生と競争を続けている、と作者は言っている訳だ。
「自身」とは選択の余地の与えられていない自分という意味だと思う。でも、選択出来るはずだと思っている。それがために、負の感情である「どこにも行けない」という閉塞感を覚えており、それに「自身」が抗っているのである。
「他の」とは、「他人の」という意味ばかりではなく、自分が選択できたであろう「他の」人生、とも言えるのだろう。
もどかしい限りである。
幼い頃からスポイルされつづけた女性との学生時代の不思議な一夜の話。(『今は亡き王女のための』)
友人の恋人や奥さんと寝ることが好きな男が、あるとき40日間も吐き続けるが、ほぼ同時期に毎日名前だけを言われて切られる、という変な電話をもらう話(最後に聞かれる言葉が無気味)。(『嘔吐1979』)
出版社を辞めて次の職に移るまでの1ヶ月間、金をもらって5人の男と寝る女性の話。(『雨やどり』)
学生時代好きになった女性のアパートを覗きつづけるうちに自分を失って行くのだが、覗くことから人間存在の奇妙さを見出してしまう話。(『野球場』)
海辺のリゾート地で、足の不自由な男性からハンティング・ナイフにまつわる話を聞かされる。(『ハンティング・ナイフ』)
村上氏の話には、静かなグロテスクさで成立している気がする。
そのグロテスクさという言葉には、セクシャルなもの、暴力的なものも包含されている。じっくり読むと危険な話や隠微なモチーフがよく出てくることに気づく。
しかし、表現が「静か」であるゆえに、ストレートに感じないのである。
別な言い方でいうと、その作品はある意味でアナーキズムをベースにしているようにも思う。
「優しさに溢れている」なんて思っていると大間違いみたいだ。我々の人生なんて不安定で危なっかしくてどろどろしたものであって、順調に正しくやってるみたいに思っているようだけど、実はすぐ隣に陥穽が口を開いて待っているのだ、と言っている。
でも、「挫けず前向きに生きて行こうよ」というメッセージもあるような気がするけども。
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短編集です。
「プールサイド」がかなりおもしろかった。あちら側とこちら側。
http://blog.livedoor.jp/michael_0930/archives/50433948.html 参照。
「野球場」「今は亡き王女のための」もちょいと病的やけどおもしろかた。ほとんど全部おもしろいのでオススメ。
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現代の奇妙な空間―都会。そこで暮らす人々の人生をたとえるなら、それはメリー・ゴーラウンド。人はメリー・ゴーラウンドに乗って、日々デッド・ヒートを繰りひろげる。
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短編集であり、ノンフィクションです。しかし、選ばれた話はどれも「え?これ本当にあったの??」というものばかりであり、小説として書かれているものと遜色は感じられませんでした。話自体もおもしろかったのですが、ノンフィクションの書き方にもけっこう目が行ってしまいました。これはブログに活かせる・・・!!
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不思議な話。
「タクシーに乗った男」とか「嘔吐1979」とか。
ありえない話ばかりだけど、その一つ一つに見える片鱗は誰もが経験しそうな感覚だったり。
たまにはこういうのも。
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○2008/11/17
話自体は面白かったんだけど、前フリの文章とか、なんか全体的にくどいかなぁ、という感じ。最近やけに村上さんの文章が鼻につく。村上さんの短編集が合わないのか…。話に入り込めさえすれば気にはならないんだけど、これは常に頭の片隅に序章の文が残ってたからか。
でも話の内容自体はほんとに、フィクションのような要素も含みつつ現実を打ち出しながら進むので面白い。どのあたりにちょっとした脚色を入れてるんだろうか?なんて考えてみるのも楽しいかも。
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小説かと思いきや、ほぼノンフィクションな内容だった。
この人の作品は言い回しが難しくて、読むのに頭を使う。それが楽しかったりする。
いきなり吐き出した男、夫に愛情をなくした妻、絵の中の男を現実で見てしまった女。
近くにいそうで、でも少しおかしな人たちの本当に起こったストーリー。
あたしも人生の中にこんな風な奇妙な体験をしてみたい。
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村上さんが人から聞いた話を「スケッチ」したものです。という事で実話なのですね。相手が本当の事を話しているとすれば…ですが。とても興味深い一冊でした。人間って本当にダークな部分や深い部分を持っているんだなと思いました。
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村上 春樹の【回転木馬のデッド・ヒート】を読んだ。
9つの短編からなる作品である。初版は1985年なので、これまた随分古い本であるが内容は2009
年に読んでも全然古臭くなどない。
村上春樹は【カンガルー日和】の中での作品は「小説のようなもの」と表現していたが、この【回転木馬
のデッド・ヒート】では「ここに収められた文章を小説と呼ぶことについて、僕にはいささかの抵抗があ
る。もっとはっきり言えば、これは正確な意味での小説ではない」と断言している風変わりな作品集だ。
つまりこれはこういう事である。【回転木馬のデッド・ヒート】に収められた文章は村上春樹が小説を書
くために走り書きしたネタであり、他人から聞いた話を若干の脚色を加えてはいるがほぼそのまま書きな
ぐった文章の集まりだというのだ。
「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるように、ここに収められたネタはドキドキするようなスリ
ルはないが、我々の生活と隣り合わせにあるのだろう摩訶不思議な世界観を醸し出す。
身近にこういう不思議な空間をもつ人物がいて、そういう話が耳に入るという事実が、村上春樹が村上春
樹である由縁でもあるのかも知れない。
ドイツに旅行に行き、夫へのお土産を買う30分の間になぜか離婚を決意した妻の話「レーダーホーゼ
ン」、名も無い画家が書いた不思議な絵を持っていた画廊オーナーの話「タクシーに乗った男」、とにか
く友人、知人の妻と寝るのが趣味で原因不明の嘔吐が40日間続いた男の話「嘔吐1979」、ストーカ
ー的に同級生の部屋を望遠鏡で覗き続ける男の話「野球場」などたしかにそのまま小説にするには物足り
ないが、事実として受け止めるならかなり衝撃的な話が次々と出てくる。
そういう話題に対して「僕」(村上春樹)が思ったり言ったりしたこともなかなか面白い。
小説家ってこういう思考の構造してるのかと、思わず唸ってしまう。
本来なら世に出ることのなかった、いわゆるネタ帳がこういう形で日の目を見るということに村上春樹自
信も戸惑いつつもこうするしか方法がなかったと語っているところが彼らしくていい。
彼自信はどちらかと言うと自分の話をするよりも他人の話を聞いているほうが好きだと言い、そしてこう
いう話をされる事が不思議と多いと言う。
しかし、そういう能力(他人の話を面白く聞ける能力)が小説家として具体的に何かの役にたっているか
と言えばけしてそういう事はないと言う。
だが、僕からしてみればそういう話が身近にある、またはそういう話の中に何かを見出せるということが
村上春樹の凄さや強みであるのではないか、と、この不思議な9つの事実を読んでいて思うのだった。
村上ワールドの原点を垣間見たような気がして少し得をした気分になる作品集だった。
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村上春樹の短編集。どちらかというと私は村上春樹は長編ではなく短編のほうが好きだ。「タクシーに乗った男」は『まだこれから先何かをそこから得ることができるはずだ』という希望も内包したメッセージ。
「人は何かを消し去ることはできない、消え去ることを待つしかない」というフレーズは何故か心の奥に残った。
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それぞれの話の中に人生の陰が見えかくれする。良かった。
※1998年再読
★再読―――――――――――――――――――――――――――
乳の海/藤原新也
11 現代のアイドル像、マザコン少年、学園都市などをつむぎ合わせ、管理社会の実態を暴きだす。
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これは小説ではなく
世にも奇妙な実話集。
村上さんが直接聞いた
不思議な話を集めた一冊。
年明けによんだ東京きたんの
ような雰囲気でなかなか
面白く興味深い内容と
なっています。
全体を通しでマルっと
読み返すのは実に久しぶり
でしたが、ここに収録されている
「嘔吐1979」は好きで
なんとなく気が向いたときに
何度も読んでいたのですが
やっぱり面白く読んでしまいました。
何度読んでも面白い
世にも奇妙な実話集。
読むのにかかった時間:3時間
こんな方にオススメ:ちょっと不思議な体験をお持ちの方
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村上春樹による文章のスケッチ。
ほぼ20年ぶりに読み返した。
現実的な文章もいいね。
相変わらず日本語がお上手。
簡単に見えるのだけれど。
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本書の冒頭に、「小説と呼ぶことについて、僕にはいささかの抵抗がある。もっとはっきり言えば、これは正確な意味での小説ではない。」とある。著者ご本人を含め、対話を通じて語られたその人の実体験談を村上さんが書いたもの。他の人の生活の一部を覗き見るような、後ろめたさより好奇心が先に立ち、読み進める手を止められない。
様々な人がいるし、私がこれまでの人生で出会ったことのない種類?の人たちもいる。本書に登場する人を、あるカテゴリーにまとめるならば「孤高の人たち」なのだと感じた。
村上春樹さんの著書で、読んだことがあるものは、「アンダーグラウンド」と本書で二冊目になる。いずれも、ノンフィクションの部類になる。
あまりベストセラーと言われている本は手に取らないので、村上春樹さんの本にはこれまで触れてこなかったが、彼の小説を是非読んでみたいと思った。
この、独特の語り口をまた読みたくなる。翻訳も多数あるようなので、翻訳ものから触れてみるのもいいかもと思った。