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「彗星の使者(ジークフリード)」
「胎児の世界」で少しばかし予習しておいて良かった。
でないとまさに「意味不明」だったと思う。
実際、これを読んでもやっぱり意味不明で、
野田秀樹の戯曲を読むときは、観てからにしたいなあと思うけど、
観れなさそうなんだもんなー、コレ。
ぜひみたい。
それでインターネットで誰か解説ではなくとも、
少なくとも意味の分かってる人はいないかしらと思って探してみたら、
ちょっと見つかって。
私は、江戸っ子のトカゲは「ヒ」を「シ」としか発音できないために、
「ヒコウ(飛行)」ではなく「シコウ(思考)」するようになってしまった、つまり「鳥類」ではなく「人類」へと進化したってことと、
胎児がお腹の中で人類が海から上陸して来る生物の進化の過程をたどっている、ということをモチーフにしていることしか分かりませんでした。
が、どうやらこれにトブ・ソーヤという少年の40日間を遡り、夏休みを取り戻したいという想いが重ねられていたらしいのです。
確かに、そういう感じではありました。
しかし、そこまで想いいたらず。
この40日間というのは、まさに胎児がお腹の中で「人類」にたどり着くまでの日数と重なるわけですね。
しかも、「胎児の世界」によると、その40日前はまさに母の卵子であり父の精子であり、まさに「人間」の「性の相」であったわけです。
そこから一転して「フカ(鮫)」に似たものになっていくわけです。
これと似たようなことを、中島らもが先に読んだ「僕にはわからない」の「人は死ぬとどうなるのか」に書かれていて、なるほど!と思いました。
これによると人は死なないってことになるんですけどね。
次の子孫を残した時点で人は死なないとかよくいうけど、
それでそれはまあ口の上ではそうかもしれないけどてなもんで。
でも、実際にこう考えると、確かに人は死なない。
物理的にも死なないのかもしれない。
とこんなことを考えたが、この戯曲が持つ根本的な「切なさ」がどこから来ているのかがいまいち理解できなかった。
それでも個人にとって「夏休み」は一回しか訪れない、そういうこと?
とにかく、観てみたいです。再演希望!