紙の本
谷崎らしい幻想的な短編です
2016/02/18 13:36
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:crest - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉野葛の方は最初吉野の紀行文かと思いましたが友人津村の祖母の里を尋ねる旅でありさらにその孫娘への津村の思いを告げる為の旅であるという設定で随所に吉野の歴史がちりばめられており読み終わると不思議なすがすがしさを感じる作品です。蘆刈の方はぶらりと出かけたまたま立ち寄った川の中州で出あった老人の話と言う設定で幻想的な物語が展開するという面白い設定です。
紙の本
紀行文風の小説と幻談
2019/01/24 01:21
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
『吉野葛』は紀行文のようにはじまるのに、読み進むと全く違う展開になっていく。谷崎マジックによる小説だったが術中にはまっていた。『蘆刈』の方は平仮名を不規則に交ぜられた語りに妙に引きこまれた。幻想なのかほら話なのか、とても不思議な味わいで、少しフリークな内容も(谷崎流の)上品な仕立てになっている。短いのが惜しいぐらい。どちらもかなり楽しめた。こういう風味はほかにない。
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映画『お遊さん』に惹かれ、逆に原作の方が気になってきたので楽しみです。1/4
「吉野葛」を読み終えた。
とっちらかってるけれど吉野の言い伝えと紀行とマザコンが入り交じって風味がいい。
何代か前のおじいさんは狐が使えたと言う。
こういう風俗がついこの前まで残っていた痕跡にゾクゾクする。
「蘆刈」に取りかかる。2/2
「蘆刈」読了。
作者らしき人物が水無瀬川の川縁で空想を楽しんでいると、男が現れ、男女の遊戯めいた恋を語り出す。
お遊さまを中心としてその妹と夫が献身の限りをつくしながらひたすら禁欲してたわむれている。
たまらなくマゾいのに、格調があり、子供のようにすこやかに犠牲を楽しんでいる。
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吉野葛:1931年(昭和6年)。
吉野の山奥、落人の里、狐信仰、葛の葉伝説…。日本人の心の琴線に触れる道具立てに、母性への憧憬も加わって郷愁を誘う。事実なのか創作なのかよくわからない曖昧さも、山霞の里というこの舞台では、計算された演出なのかと思えてしまう。
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エロエロな谷崎作品とは雰囲気変わって、「吉野葛」は吉野山の奥に進みながら歴史の古層、幼き頃の母の面影を追う話。主人公は小説の材料集めに来て、友人・津村の生みの母を探す話を聴かされる。ついでに嫁もゲットしちゃう津村。ラストの橋の上から津村と婚約者が手を振るシーンは違和感がすごい。あれ、ハッピーエンドじゃあん……
吉野の自天王……信太妻……妹背山……忠信狐……などなどのモティーフがつながって、歴史と山と記憶の奥へ奥へ潜っていき、その行きつく先には亡き母の面影が待っている。綺麗な谷崎。谷崎は自分で失敗作としたらしいけど、結構好き。
あと、和歌にもよく出てくる妹背山は、妹山と背山のふたつの山を指した呼称だということを初めて知った。
「蘆刈」は夢幻能。「卍」と対応するキャラクタもあって、どちらかを先に知ってるとより楽しめる。魔性の女を上品に表現すると「蘆刈」。本人の愛らしさから、本人に求められたわけでもないのに、周囲が世話を焼きたくなるような、そんな魔性の女性が登場する。
綺麗に終わるのかなアー、と思いきや、谷崎らしい生々しさが出てきて幻想的な雰囲気が段々とはっきりしてくるンだけど……結びでスススと引いて、綺麗に終わる。谷崎らしく建築された幻想小説と言えるのかな。幻想小説て行き当たりばったりみたいなのしか知らなかったのでこういうのもあるのか、と。谷崎の中ではどうでもいいような作品だったみたいだけど。
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さすがに谷崎の日本語は良いなあと読まされた。厚さの割りに時間もかかった。「吉野葛」は紀行文+民俗研究と思わせておいて知らないうちに読者に信太の守の狐を追わせ、気がつけば妻問い譚であった。吉野に追われた血筋の幻想とひなびた美しい景色を堪能するのに終始し印象としては薄いが、著者の技量が素晴らしい。文学においてマザコンは何故にほの甘く薫り高いのだろう。「蘆刈」は読書中ニヤニヤが止まらず、面白さ・昇華度(?)も高い。こちらも歴史の幻想をたぐりつつお散歩・・・と思わせて気がつけば月を眺める砂州の蘆にまじって、男の語る奇妙な恋愛をする男女のたわむれに惑わされる。不思議な雅やかさを顕現するお遊さまを中心にその妹とその夫がひたすら仕え、遊びながら三人ともが一線を越えないという異様さ。なのにその淫靡なようなたわむれはすこやかで透きとおるように美しい。映画「お遊さま」は、男のマゾ心が分かっていない!というレビューをどこかで読んで笑ってしまったが、早速借りて観てみようと思う。
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※ツイッターより転載
芦刈読み終わった。ちょ、ラストシーン、谷崎おまwとしか言いようがない、こんなのありかよ、思わず持ってた鉛筆で余白に「ええええええ」って書いちゃったじゃないかよ、うわ、何だこれ。何だこれ。何だこれ。(大事なことなので3回言いました)
芦刈の感想変遷 序盤「日本語が美しいのはわかったから早く話始めろ」 中盤「谷崎始まったなktkr」 中盤途中「序盤のフリは一体何だったのか。この構成、この文体、この雰囲気こそ彼」 最後「えええええええwww」
吉野葛読み終わった。前回と同じく最後で落とされたんだけど寧ろ今回は読めたのが最後だけで他は全然読めなくてぼんやりして字面だけ追ってるような感じでこれ読物としてはどうなのと思った。好みだけいうなら今のところは春琴抄が一番好きかな。さて寝ないと。
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2つとも素晴らしい作品。『蘆刈』は無駄を極限までそぎ落とした作品だ。現実世界から幻想の世界へと呼びいざなわれる。熟練の筆で書かれた磨かれた文体と構成は実に美しい。『春琴抄』と同じくらいの傑作だ。
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吉野葛は、前に春琴抄とセットになった本で読んだので、割愛。
吉野葛より、この蘆刈の方が、私の好みだった。
最初は入り込みにくい。関西に生まれ育ち土地勘が多少ある私でも、地名が続くことが辛い辛い。
でも、一旦、河原で出会った男の語りが始まると、面白くて弾きこまれた。気になる語りで、推理小説のように、どうなるの?と気にならせる流れは、吉野葛と同様。
全集に書いてあった、谷崎の好みの女性像は、何もせず傅かれる女性だということだが、この話の影の主人公お遊さんこそまさにそれ。そんな女性は、私は嫌いなのだが、お話としては秀逸。
個人的に面白かったのは、関西人に対する評価と文章表現。「」を使わない会話文。そして「、」でつなぎ、長い1文。谷崎さんの「文章読本」を手元に、谷崎作品を読むと、その工夫や向上心が窺えて素晴らしい。
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歴史小説を書くための取材に吉野に訪れた作家が、旧友と合流し、その母の郷里をたずねる旅に同行する。表向きの暮らしぶりからは伺えない昔の吉野が掘り起こされる。
著名な人の足跡をたどる旅ではないところがしっくりくる。友人が母の家を訪ね歩くうちに出会う在の人々との交流、なくなってしまった吉野の暮らしが愛情込めてつづられている。
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美しく広がる景色やその辺りの生活が目に浮かぶよう。この本を伴って、作中の辺りを散策してみたい。
作中に取り上げられるお能や歌舞伎の番組「二人静」「義経千本桜」、「増鏡」の和歌「見わたせばやまもとかすむ水無瀬川ゆふべは秋となにおもひけむ」などがより一層イメージを膨らませてくれる。
「吉野葛」の義経千本桜の河連法眼館(四ノ切)は、忠信に化けていた子狐こと源九郎狐が、鼓にされた親たちを慕って鼓を持つ静に付き従っていたという話で、作中でも母を慕う津村の気持ちとリンクして触れられています。ただ源九郎狐は哀れで風情がありますが、津村の母への慕情はあまり気持ち良くない。
母の形見の蒔絵の本間の琴の描写は美しく、頭の中でとても美しい琴が想像されるのですが。
「蘆刈」はより一層、月、夜の月のイメージがとても冴え冴えと美しい。川の中州での月見、語られる池の上の泉殿での月見、きっと美しい月光でしょう。
ですがこちらも、肝心の本筋、お遊とお遊への男の父親の想い、代わりに父親が結婚したお遊の妹のお静との辺りは、理解できないというか感情移入できませんでした。
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『吉野葛』
語り手私は小説の種のため、正直のところ、行楽のため、吉野の奥にある国栖へ、国栖に親族のいる友人津村と行きました。津村が国栖へ旅行したのには、目的がありました。
津村は早くに母を失ったため、常に母を恋したっていました。そして、母の生まれた国栖を訪れたとき、母らしさのある娘を見かけ、嫁に貰いたいと考えたのです。
“私よりも津村に取って上首尾を齎した(p85)”旅行となりましたが、津村の母への思慕が強く、少し嫌悪感と、恐怖を感じてしまいました。
『蘆刈』
淀川の中洲で月見をしていた語り手わたしが出会った男から聞いた話です。
男の父は、お遊さんの「蘭(ろう)たけた」ところに一と眼でこころをひかれました。しかし、お遊さんは亭主に死に別れ、若後家になっており、亡くなった亭主とのあいだに男の子が一人いたため、なかなか再縁は許されませんでした。そこで、彼はお遊さんの妹おしずと結婚します。
こころひかれた人の妹と結婚することは、あまり理解できませんでした。周りから大切にされるお遊さんと、そんなお遊さんを大切に思う妹おしず、二人にひかれました。月夜のためか幻想的で、美しいと感じる作品でした。
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「吉野葛」
大和の国、現在の奈良県には
いわゆる「後南朝」の伝説が残っている
作家としては駆け出しのころ、それを小説にしようと考えた作者は
大阪在住の友人である津村と連れ立って
取材旅行に出たのだった
しかし、実際に足を運んでみると
どうにも王朝の実在が怪しく感じられてきて
結局その案はボツになった
一方、津村のほうは
見染めた娘を嫁にもらうことで話をまとめていた
娘は、津村の伯母の孫にあたり
早くに死んだ母の面影を、彼はそこに求めたのだった
昭和6年の作品で
4年前に死んだ芥川龍之介との論戦がひっかかっているのだと思う
張りぼての伝説も、見る人が見れば本物だし
子供にとっては永遠に未知の存在である若かりし日の母こそ
誰もが持つ理想の女性像にほかならない
それらの考えはそのまま
かの論争における谷崎の主張を補完するものだ
そしてその背景には、もっとシンプルな
生きてこそ人生の謎も解き明かせるのだという思想も見て取れる
葛のつるをほぐすようにね
実はそれこそが「筋のない小説」ではなかろうか
「蘆刈」
作者の抱えた美の象徴的イメージを
ひとりの未亡人女性として結実させているのだが
結局はそれと結ばれることなく
彼女の妹と共に、美をならび見続けた
そんな男の姿を書いており
ある意味、滅亡のイメージにも重なって見える
これは森田松子への思慕をもとにした作品ということらしい
団子よりも月を重んじる世界と言うべきか
しかし谷崎潤一郎は二番目の妻を離縁したのち
ちゃんと松子を嫁に迎えた
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話自体はどちらも少し難しいです。特に『蘆刈』は前提知識がないとあまり理解できず、解説を読んでようやく理解できました。ただ、どちらも谷崎先生らしい色っぽい描写があるのでそこは素敵でしたね。
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吉野山を訪れ、その歴史を調べてるうちに谷崎潤一郎の「吉野葛」に行き当たった。
作者は友人と自天王の足跡をたどり歴史小説を書くために吉野山へ訪れた。能の二人静に現れる菜摘川や妹背山婦女庭訓の妹背山を眺めながら道を行く。吉野の村には義経千本桜の「初音の鼓」が伝わっているというので、鼓を見に。友人は初音の鼓の狐忠信を引き合いに出し、自らも母と幼い頃に死別し母の面影を探しているのであるという。唯一の記憶が「狐噲」を上品な婦人が箏で弾いている情景であるという。
作者は引き続き資料を集めるため史跡や峡谷を歩いたものの資料負けし、友人は母の生家へ奉公に来ていた田舎娘の指先に「初音の鼓」を見、はたして嫁に迎えたのであった。