投稿元:
レビューを見る
心の優しい白象はオツベルに自分がだまされていることを知らずにどんどんと弱っていく。しかし自分がだまされているという事に気がついた白象は、仲間の象に手紙を書き仲間の象が白象を助けに来てオツベルを殺してしまうという話。
「ある牛飼い」が物語るから始まるこの作品は、説明口調でとても個性的でおもしろい表現で描かれており宮沢賢治らしい作品だと思った。特に最後の「川へ入っちゃいけないったら」という言葉は作者自身が一番工夫して書いた言葉だろうと思った。少し怖い内容に驚いたがとてもおもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
オツベルときたら たいしたもんだ。
稲扱器械の六台も据えつけて、
のんのんのんのんのんのんと、
おそろしい音をたててやっている。
ある日のことだ。オツベルはいつものようにやってきた。
そしたら そこへどういうわけか、白象がやって来た。
白い象だぜ、まさか ペンキを塗ったのでないぜ。
どういうわけで来たかって?
そいつは象のことだから、わからんね。
投稿元:
レビューを見る
宮沢賢治といえば、教科書に載っていた「やまなし」を思い出す。
小学生の私には、熟れたやまなしからふうわりと匂い立ってくる甘やかな香りだけが印象に残っており、正直なところ、子どもには結局何の話だったのかわからず、ぼんやりとあらすじを思い出す程度。
賢治との初めての出会いがそれで、次はやっぱり教科書に載っていた「オッペルと象」(元々の表記はオツベルだったらしい)
記憶に残っているのは「ぞうきんほどのオムレツ」
やっぱり、食べ物のくだり・・・。
先日の朝、勤務先の同僚2人が2話目の「ねこの事務所」に登場するかまねこついて、今にも泣きそうな顔で感想を述べあっていた。
いかに辛く悲しい目にあっているか、気の毒でならない。
所属する場所の空気を読むのが苦手であったり、
悪気はないのに、なぜか浮き上がってしまったりする人はいつの世にも存在していて周りから疎まれてしまう。
自分も共感するところがあるから、いたたまれないなぁ・・。
賢治は普遍的な状況を切り取り、子どもにもわかる平易な物語に表しているけれど、むしろ大人が読んだ方が気持ちに寄り添えるのではないか・・・などなど。
それで、つい気になって、私も貸してもらった。
他人に対して寛容でなかったり、妬んだり、
一見物わかりがよさそうな人が、急に手のひらを裏返したり
昔から人は相も変わらず、そうやって生きているんだよね。
疲れているとき(何しろ年度初めで多忙ゆえ)や、落ち込んでいるときに
こういう心の深いところを傷つける原始的な悪意を見ると、
かなり辛い。
咽喉の奥が詰まった感じになって、泣けてくる。
子供向けの本のようだったけれど、大変考えさせられる内容だった。
こうやって考えてみると、再読っていいかも。
むしろ子供の頃、上っ面だけを眺めていた本も今読んでみると、
それなりに経験をしてきて、作者の目線に近づけるのではないかしら。
宮沢賢治、ちょっと気になります。
おすすめがあれば、是非教えてください。
投稿元:
レビューを見る
私は子供のころにこの童話を読んだことがない、読んだ記憶がない。それなので、子供が、この物語を読んで、どのように感じるのかがわからない。
小学校の読書の時間では、人気のある本であると聞く。なぜだろう?
子供が感じることと、大人が考えることに、大きな違いがあるからなのではなかろうか。(隔てる川があるのかもしれない)
大人になって(それも世間擦れして)読んで、資本家と虐げられた労働者の話か、と思った。悪徳資本家は、最後は倒される。まぁ、お決まりの筋書きかな。と。
疑問点もいくつかある。「川へはいっちゃいけないったら」。牛飼いがものがたる。十六人の百姓ども。
そして子供はどのように考えるのか?に想いを廻らせた。
そして子供の時に考えていないことに気がついた。
子供のころにこの童話を読んで、感じたことを、大人になって(記憶を)「呼び覚ます」。それが、この物語の良いところだと想う。
印象的なオノマトペや鮮明な色使いがあり、鶯みたいないい声の白象には純真無垢さを感じる。辛く苦しいと云った時には、仲間が助けてくれる。
大人になり、自分がオツベルになりそうなときには、自戒になるだろう。このテーマが『虔十公園林』につながる。