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回りを変えたくて、自分も変わりたくて、何かをしたくて、何もできなくて、10代の自分は読んだとき苦しかったです。
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青春という言葉が堂々とまかり通って、そこを通る以上は自己にも他者にも闘わなければならなかった時代。私はその時代になかったけれども、ではそこにいて闘うことができたのだろうか。闘えた彼等と、ただ時間ばかりが無尽蔵にあって空虚な今の時代と果たしてどちらが幸せなのだろう。私がこれを読んだのは高校時代だっただろうか。その時もう私は挫折感を覚えた。あまりにも弱い自分を感じた。
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学生運動の時代の大学生を描いた小説。学生運動への興味から読んでみた。芥川賞受賞作だったし。登場人物たちになーんとなくシンパシーを感じたりして。私やっぱ感覚古いのかな。
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急に思い立って読んだ。今こういう大学生はまずいない。当時の学生と今の学生とどちらが幸せだろう。当時と今と時代の閉塞感はどちらが強いだろう。
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1970年代は老い易い時代だった やぁ!21世紀の子供たち 君たちの時代はどうだい? いつの時代も困難から抜け出すのは、さぞかし大儀なことだろう
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映画で見たいなーなんて思って読んでいたら、映画化もしていたみたい。是非見てみたいのだけれど、DVDでは出ていないっぽい?
【目次】
されどわれらが日々――
序章
第一の章
第二の章
第三の章
第四の章
第五の章
第六の章
終章
ロクタル管の話
解説 野崎守英
本文庫版のテキストについて
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(30年ぶりの再読)
持ちえていなかった何かを手にするために、生きたといえる日々を持つことのために、惰性と決別することを選んだ青春の物語。
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(1974.07.25読了)(1974.06.18購入)
第51回(昭和39年度上半期) 芥川賞受賞
内容紹介
何一つ確かなもののない時代そういう時期に生きる者の青春─生きることの虚しさの感覚を軸にして一つの時代を共にした何人かの男女の大学生の生の悲しみを造型した不朽の青春文学。
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お母さんに、「もっと青春小説を読みなさい、ハリーポッターと思想書の間が欠落してるのよ」って言われて借りた本。
「でもぜんぶお母さんの影響のせいにされるの嫌だから、他の本読みなさい」とも言われた。まあ一理ある。ほっとくとお母さんの影響全身で受けちゃうからなー。よくないよくない。
ヴィクトール・フランクル(実存哲学)の「人生の意味」についての言及と通じるところがあるかな。それを求めると手に入らないけど、具体的作業を懸命にやるとき、その意味が生まれるみたいな。
また読み返したら面白そう。
こういう小説の女のひとは、どうしていつもこう感じやすいというか、センシティブなのかしら。
同年代の話とは思えないなー。時代が違うとは言え。
学生運動ばりばりの時代は、なんかどの世代もぴりぴりしてたんだろうなー。いまはどこも「うぇーいww」だもんなー。平和ぼけですね。幸せなことだけども!
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時代感じることは否めないが、バイブルとなり得る要素を大いに秘めた作品。捉え方次第。若者におすすめの書。歳を重ねた今、過去の自分に投影できる部分もあり熱くなった。空虚の国では生者と死者との関係はないのである。そこでは生者は死物のように生き、死んで本当に死物になる。そしてそれをできるだけ目覚めさせないですむように粧われた静謐な場を日常的に仮構しようとするのだ。果たして自分はどうだろうか。
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ずっと昔に読んだことがある.倉橋由美子の「夢の浮橋」と同時代の作品だったかなと思い再読.実際は,こちらの方が古く1964年芥川賞受賞.
私は学生運動よりずっと後の世代だが,中学,高校の先生たちにはその余韻を残す人たちがいた.最初に読んだときは,その挫折感,虚無感,あるいはそれからの再生をある程度共感をもって読んでいたのではないかと思う.
しかし,長い時間を隔て再読してみると,何か時代の痛々しさの印象が強い.考えることの虚しさというか.「夢の浮橋」の新鮮さと対照的だった.
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あの時代の雰囲気が分かって面白い。こんなにも長文の手紙をやりとりしていたのかと驚きを感じた。
それにしても、物事をこんなにも難しく、面倒くさく考えて生きていくのは大変だ!