投稿元:
レビューを見る
三木清の思想を解説するとともに、彼が目にすることができなかった戦後日本の思想的課題に対して、彼の哲学がどのような意義を持っているのかを考察している。
著者は、三木のマルクス主義との関わりについて検討を加えた上で、そこにひそんでいる問題を指摘する。ドイツ留学中にレーヴィットを通してルカーチの疎外論を受容していた三木は、帰国後、日本のマルクス主義者が硬直した唯物論に陥ってしまっていることを批判し、新たに歴史を作る立場からマルクスを解釈しなおす試みをおこなった。だが、基礎経験/アントロポロギー/イデオロギーの三者の弁証法的関係に基づいて組み立てられた彼のマルクス解釈は、もっぱら「歴史的創造」がおこなわれる現在の立場から語られており、そうして形作られた制度や技術が累積して「物象化」され、人間にとって疎遠な現実になることへの十分な究明がなされていない。著者は、三木がまさに「現在」に照準するがゆえに既成事実にからめとられる危険性をはらんでいたと指摘している。
その後三木は、『歴史哲学』『哲学的人間学』そして彼の死によって絶筆となった「構想力の論理」に至るまで、歴史において行為することで歴史そのものを作る人間の研究を深めてゆくと同時に、近衛文麿のブレイン・トラストである昭和研究会に加わり、現実の事態を現実の中から導き現実の問題の解決をめざす。こうした三木の決断は、体制に批判的な勢力が強権的に沈黙を余儀なくされる状況にあって、体制内反体制という立場から軍部ファシズム批判だったと著者は評価している。また、人間は現実の創造的要素であり、現実の社会を形成することが同時に自己を形成することだという三木の哲学的立場からも、自己に対する責任は同時に社会に対する責任だという確信を彼に与えることになった。
著者は、こうした三木の思想が戦後の日本の思想的課題に答えるものだったと考えている。丸山真男は、国民みずからが思想する力を持つことこそが「近代的精神」の要だと考えた。これに対して、歴史的主体の自己形成の条件を探る三木の試みは、社会変革と人間変革の主体的条件を、近代日本の客観的条件と併せて探求するための視点を与えてくれると著者は考えている。