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紙の本
井上ひさし全著作レヴュー84
2011/12/31 11:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
初出は「小説現代」1988年1月号、単行本は1987年12月に講談社から刊行。初演はこまつ座第12回公演1987年10月、演出:栗山民也、上演劇場:紀伊國屋ホールと浅草公会堂。
場所は、空襲で神楽堂と渡り廊下以外は焼け落ちた東京・神田の愛敬稲荷(あいきょういなり)神社。時代は昭和二十二年の夏。近所の女性五人の力を借りて玩具のお面を作っている神主の牛木公麿(うしききみまろ)を主人公に、学生時代名投手で鳴らしグアムから復員したばかりの息子健太郎、彼の親友で神経科医の稲垣善治、人のいい鈴木巡査らが絡んでくる。
「昭和庶民伝」三部作の第二部として初演された『花よりタンゴ』の出来が芳しくなかった為、作者はそれに代わる第二部として本作を新たに書き下ろした。『花よりタンゴ』同様庶民の戦争責任を再度テーマにし、汚名挽回を果たしたと言える佳作。『花よりタンゴ』では、日本人の変わり身の早さを象徴する主人公が根は人の善い「庶民」だったので、糾弾の対象としては役不足であった。その点、リターンマッチの今回標的にしたのは、軍国主義体制と表裏一体となって戦争に加担した神社であり、相手にとって不足は無い。尤も、あくまで「庶民伝」であるから、一個人に全て咎を負わせて済ますのではなく、作者の視点はそうして無意識のうちに国家の戦争犯罪の加担者となった「庶民」、およびその犠牲になった「庶民」の市井の生き方に焦点を当てている。
第二幕第五場で健太郎が父親を糾弾して吐く台詞:「その頃の(=戦争前の)境内は、普通の人たちが心の垢を捨てに来て、さっぱりとした心になって帰る、そういうところだった。でも、いつの頃からか神社は死の世界への入口になってしまった。父さん、出征兵士がいったい何人ここから旅立って行ったんです?ここに何人焼死体がころがされていたんです?ここで何人火葬にされたんです?(中略)父さん、ついこのあいだおこったことを忘れちゃだめだ、忘れたふりをしちゃなおいけない。過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね。神社は花だ。道ばたの名もない小さな花・・・・・・。」この台詞に込められた痛切な響きは、傑作『きらめく星座』での生きる賛歌を、別の角度から照射したものと言えるかもしれない。そして、舞台上で音楽を伴奏していた「ギター弾きの加藤さん」の正体が最後に分かる場面をダメ押しとして、「昭和庶民」への追悼(レクイエム)と賛歌(応援歌)が美しく純化されていく素晴らしい幕切れに深い余韻が残る。
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