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1983年に発行された「私の書斎」には、気になっている著者のうち、考古学者の樋口清之と文筆家の植草甚一が載っていた。
一体どんな書斎だったのか気になり読んでみた。
樋口は「本は生命そのもの」述べている。学者が書斎を持っていないと一体何を研究して居るのかと不思議に思う。
そう言えば、自称「国際政治学者」のあの方はどんな書斎をお持ちなのか。セレブらしいので、さぞかしご立派な書斎で、専門分野の本で埋まっていらっしゃるだろう。
樋口が学生の頃は、専門の学術書は300から400部程度しか発行されなかった。
助手も入れたことはないという書斎の写真が載っている。
座るスペースしかないが、集中できるように効率のよい仕事ができるように配置されている。
本の整理について、片付けてしまうものと、書斎の座右においておくべきものに分けている
前者は辞書や古典の類、後者は現代の私どもの競争相手の学者の著書や、若い人の発表したもの。
もっといいものを書きたいという一心で、常に目を向ける通して行きたいというから、学者の鏡のような人だな。
一方で植草の書斎はどうなっているのか。「どうやって整理したらいいのやら」と感想をもらしている。
「ぼくの書斎は、書斎なんていうより書庫、まあ本のいれものですね」と言い、「本があふれて困ってるんです」とも述べている。
写真を見ると本棚にぎっしり詰まっていて、入り切らない本は本棚の前に何層にも高く積まれている。
世田谷区経堂の駅前にあるマンションに住んでいて、同じフロアの3戸(3世帯分)を連続して購入している。
そのうち2戸が入口から奥まで、本で埋まっていて、洋書が多いと書いてある。
植草は他の人と違って、洋書の古本を買い集めている。
ニューヨークに3回旅行行ったが、買った本が6000冊になるそうだ。
この調子なので、本の整理はうまく行っていない。
最後に「本てのは、集めて読むのはほんとうに楽しいものですが、さて整理して管理するのは、むずかしいもんですよ」と述べている。
だいぶ前に亡くなったが、この膨大なコレクションはどうなったのか気になるなあ。
ジャズのレコードも大量に集めていたが、あのタモリが引き取ったそうだ。