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ジョコンダ夫人の肖像を書いたのは、レオナルド・ダ・ビンチ。「ジョコンダ夫人の肖像」とはつまり「モナ・リザ」のことです。この物語の主人公は、ダ・ビンチの徒弟であったサライ。彼の成長物語です。サライの視点を通して師であるダ・ビンチとフェララ公の次女ベアトリチェが語られています。サライとダ・ビンチとベアトリチェをつないだ、不可思議な友情の絆。それがあの「モナ・リザ」の微笑みを生み出したのかもしれません。
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稀代の才能を持った芸術家、レオナルド・ダ・ビンチは何故、名もなき商人の夫人の絵を描いたのか。
何故、こそどろ少年サライを重用したのか。
一体、なぜ…
この本は、現代の人々が彼の作品を見たときに感じる、こんな疑問に答えてくれるでしょう。
このお話については2通りの読み方で楽しみました。
ひとつは、モナリザのサイドストーリーとして。もうひとつはサライ・レオナルド・ベアトリチェの人間関係劇としてです。
前者については、「真実を検証する!」というのではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチという素材を活かしてお話を作ったってカンジです。でも「もしかしたら…」と思わせるような作りこみ様で、これぞ小説!という気がしました。
後者については、モナリザというキーワードでこの本を手に取った人も、登場人物自体の魅力にグイグイ引っ張られていきます。レオナルド、サライ、ベアトリチェのお話を充分堪能した後に、モナリザのエピソードがこっそり入れられている、といったカンジです。
でも、それが狙いの一つでもあるのかな?と、思いました。私もそうだったんだけれど、『モナ・リザ』って、どうしても教科書の中にある絵で、有名すぎて逆に作品として自分の中に入ってこない作品だと思うのです。でも、コレを読むことによって、私は『モナ・リザ』自身に興味が持てました。鑑賞する対象になったというか…。
また、この『モナ・リザ』という作品と同じようにように、当時のレオナルド・ダ・ヴィンチ自身も生きた偉人として見られていたんだろうな…と思いました。作中の言葉で言うのなら、「わたしが誰なのか知っていても、わたしがどんな人か知らない崇拝者に取り囲まれていて、どうしてさびしさに打ち克つことができます?」という事なのでしょう(これはベアトリチェの台詞だけど)。
そんな具合に色々考える事は出来るのですけれど、純粋に3人の関係性を楽しむ事もできました。序盤のサライとレオナルドの関係性は凄くコミカルですし、ベアトリチェが加わった後の三人の友情も読んでて楽しいです。
お話はサライとレオナルド、ベアトリチェの関係性の変化と共に綴られています。当初、三人は理想的ともいえる仲の良い友人関係を築いています。サライとベアトリチェは、年齢的にも精神的にも子どもで、無邪気にイタズラなどを仕組んでいましたし、レオナルドも超越者としての仮面をちょっとは脱ぎ捨てていたと思います。仲の良い、理想的な三人として描かれるのです。そしてこの序盤の関係性があるからこそ、それ以降の変化が面白くなっていると感じました。
三人の変化。
まずサライが「考える事」を覚えます。
当初のサライは何物にも囚われない奔放な存在でした。それが、レオナルドやベアトリチェに出会い、徐々に変わって行きます。サライは最初、ベアトリチェを、一緒にいたずらをしてくれて頭の中には素晴らしいモノサシをもっている、子どもにとって聖母のような、どこか全能視された女性として捉えていました。それが後に書くように、ベアトリチェが以前とは違う振る舞いをす��ようになった事を契機に「どうしてベアトリチェは変わってしまったんだろう?」と徐々に考える事を覚えていくのです。それが一つの理由となって(もうひとつの理由は時間でしょう)、彼女との距離が段々広がっていき、「無責任さ」という責任を負わせるようになる…。そして最後には「意識的に、良心的に」、無責任に振る舞うようになるのです。
また変化の一つとして、ベアトリチェが今迄やってきたような方法ではないやり方で、コンプレックスを埋めるようになります。
ベアトリチェはもともとコンプレックスの強い女性として描かれていました。曰く、「二番目であることを気にしないフリをする」「わたしの夫に、わたしが彼の愛に値する人間だとおしえた」…。しかし当初は、その事実をそのまま背負って生きる事を、努力する…そんな人でした。が、年を追うごとに、そんな努力を財力に肩代わりしてもらうようになります。サライは当初、これが不満なのですが、彼女が「胸の張り裂ける音をかくそうと、いたましい努力をしている」事に気付くのです。聖女のような彼女が、年を変わるごとに心変わりをし、でも、それは彼女自身と戦った結果だったのだ…という事が、サライの成長による視点の変化を通じて描かれています。この流れが素晴らしいと思いました。
最初は彼女が哀れに思えるんだけど、でもサライの彼女への心情変化とともに、それが徐々に嫌なカンジではなくなり、彼女も必死だったんだって事が伝わってきて、最終的には(美しさへのコンプレックスを持つ)自分と重なるようになる…。彼女の死の後には、彼女に対する感情は深みを持っていました。
レオナルドは余り変わらないかもしれないけど、その分深く書き込みがされるようになり、人から「超越」していようと振る舞おうとしている人間だという事がわかってきます。
「レオナルドが群れから離れていたかった。超越していたかった。人間や人間の感情に近寄られると、居心地が悪かった。人間とのつきあいでは、じぶんが完全無欠でなく見えるおそれがあった。」その「超越」していたい、という願望が、逆に凄く人間らしいと感じました。
ここら辺は、レオナルド・ダ・ヴィンチが才能一本でやっていかなきゃいけない環境にいた事とかをもっと知っていれば、より深く読めたかも…と残念に思っています。
また、ベアトリチェが死んだ時にサライの一連の言葉との対比が好きです。
「ぼくはベアトリチェのことを話しているのに、どうして先生は死についてなんか話せるんだ。どうして、人のことを話しているのに、人生の変遷のことなんかいってられるんです?」
「わたしが頭を剃って、食事を全部立ったままとるとでも思ったのかね。」
「おお、あんまりだ。神さまは先生に、超人のあなたに、自分の作品以上に人を愛することをお禁じになったのだ。」
「わたしはベアトリチェが好きだった。」
「ベアトリチェが好きだった!好きだったって!」「あなたは人間よりも思想が大事な人だ。あなたは機械だよ、レオナルド・ダ・ヴィンチ。あなたは思想製造機だ。氷みたいな人だ。あなたの絵は氷づけの思想だ…」
レオナルドは私生児として生まれ、幼くして母と引き離されて寂しい環境の中��育ったという事で、母の愛情を与えられなかったという解釈がある事を知りました。そこから考えるなら、「わたしはベアトリチェが好きだった」という彼の言葉は、この時の彼の感情表現の精一杯だったのではないかと思うのです。
…そんな風に描かれるので、当初の微笑ましい理想的な関係とは随分変わってしまうのですが、「それでもお互いが大事だった」と類推できるので、より関係性に深みが出てくると思います。
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人間レオナルドに親愛を感じます。
「モナ・リザ」を見る目が変わります。
というか、アニス菓子が食べたい。
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ジョコンダ夫人とはマドンナ・リザ・ジョコンダ=モナ・リザのこと。モナ・リザのモデルは商人ジョコンダの若い妻だった。レオナルドダビンチがこのモナ・リザを描くにあたっては、泥棒少年だった徒弟のサライが深くかかわっている。ペアトリチェはレオナルドが
つかえていたイル・モロ公の義妹。姉イザベラのように美しくはなかったが、それをわきまえながら生きていくことを知っている女性だった。ペアトリチェは22歳で亡くなるが、ジョコンダ夫人はペアトリチェを思わせる何かがあるとサライは感じた。レオナルドとサライと、ペアトリチェの三人の関係。河合隼雄さんの著書で紹介されていた。読んでよかった。
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ご幼少のみぎりにこれを読んだから、「ダヴィンチコード」などには興味を惹かれなかった!? 先年、翻訳者の松永ふみ子氏のご自宅を訪ねる機会に恵まれた。それとは知らず、別の用件で別の人に招かれたのだ。亡くなったご母堂の作品を、ご子息は机上に並べていらした。佇まいの美しい机だった。あのような空間で読み、考え、書くことができればどんなに……と思いながら、わが現実は正反対。でも、あの机のイメージは、生涯私から消えることはないだろう。
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カニグズバーグの想像によって創りだされた物語ではあるが
レオナルド・ダヴィンチを理解したり、「モナリザ」を味わう楽しみを大きく増やしてくれる本
レオナルド・ダヴィンチの人となり、弟子のサライとの関係が、
ミラノの支配者イル・モロの妻ベアトリーチェとの関係を加えることでで鮮やかに描き出される
長年本箱にあって気になっていたのだが思い切って読んでよかった
一つ一つの章が短いので読みやすい
短時間で読むことができた
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もう云十年ぶりの再読。
このお話については何も語りたくない。
「レオナルド・ダ・ヴィンチ出てきます」くらいならいいかな。
これまで読んだカニグズバーグ作品の中でベスト(といっても、計3作しか読んでいないが)
昔読んだ時も、子ども向けの本では飽き足らず、大人向けの本では満足できなかった時代に、本の面白さを教えてくれた作品でした。
大人になって読んで気づいたのは、訳と訳書名も秀逸だなということ。
時間が経っても古い感じはしないし、
英語の作品名をそのまま直訳調に訳したら、
そのニュアンスは失われた上誤解を招くだろうことを訳者や編集者が考慮したのが感じられる。
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子どもの頃一度読んだ覚えたあるのだけど、もう一度読み返してみた。大人になった今になって読むと、行間まですごくよく分かる!
カニグズバーグのユーモラスがすごく好きなのですが、松永ふみ子さんの訳がまたすばらしい。昔の翻訳って、本当に語彙が豊富で表現が深い。松永さんの訳があってこその面白さでもありますね。
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(1991.10.12読了)(1991.10.10購入)
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永遠の謎を秘めた名画「モナ・リザ」。レオナルド・ダ・ヴィンチは、なぜ、フィレンツェの名もなき商人の妻ジョコンダ夫人の肖像を描いたのだろうか。
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ダ・ヴィンチにまつわる本です。
ジョコンダ夫人が誰かを言っちゃうとつまらないので、他の本との比較をお話ししようと思います。
『ダ・ヴィンチコード』はともかく、『レオナルドのユダ』と『ジョコンダ夫人の肖像』は史実にともない、周りの人の視点からダ・ヴィンチその人を描いています。
よって、多くの登場人物がどちらにも登場するのですが・・・!面白いのは解釈の仕方によって、全く違う扱いを受けているところです。
どちらの本にもしっかりと出てきたのは、サライとフランチェスコの2人。
でも全く別人でした(笑)
最も基本となる部分、『サライ=美少年(青年)。才能は無いがレオナルドに必要とされる。悪いことするのも平気。』『フランチェスコ=金持ち。』だけは同じですが、そこから『ここまで派生できるのか!』と舌を巻く程の展開が繰り広げられます。
私は・・・どちらかと言えば『レオナルドのユダ』の方の設定が好きだったかな?(服部まゆみだから、と言ってしまえばそれまでですが・苦笑)
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カニグスバーグ・・・
相変わらず凄いの一言です。
いつも通り最初は読みにくい。
自分がどこへひっぱられていくのか検討もつかない。
ひきずられるまま着いていくと、
いつのまにやら凄い眺望のところへぽっかりと出る。
そして読み終わると登場人物が心に棲みつく。
本当にカニグスバーグはいつも凄い。
ダヴィンチと手癖の悪い徒弟のサライの物語。
それだけ知って、あとは黙ってカニグスバーグさんについていきましょう。
対象年齢は早くて小学校6年生。
上は大人まで。
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レオナルド・ダ・ビンチとサライとベアトリチェの話。もっと詳しい話が読みたい。ただ、訳はいまいち、読みづらかった。
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絵画モナ・リザのモデルとなったジョコンダ夫人が、なぜモデルになったかがわかる背景について、物語化されている。
物語がレオナルド・ダ・ヴィンチではなく、徒弟になった浮浪児サライの目線から書かれたもの。
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯の活躍よりも、好奇心と才能にあふれた人柄の良さが見える作品だった。
史実に基づく実話かどうかわからないけど、地位は低くても、多才なことが仕事につながっていき、信頼を集めるのだと感じた!
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本書も、河合隼雄先生の絶賛の書であったので、図書館で借りて読んだ。児童書で、対象は小学校の5、6年生くらいだそうだが、内容的には何も児童向けと限定しなくてもよいように感じた。
しかし、小学生のころからこんな本と出会えた人は幸福かもしれない。あのダビンチの「モナ・リザ」の誕生の秘密をこのように知ることができるとは。
「モナ・リザ」のタイトルは、正確に表記すれば、「マ・ドンナ・リザ・デル・ジョコンダ」となるのだろうか。
私の貴婦人=マ・ドンナは、省略するとモナとなる。モナ・リザとは、「私の貴婦人リザ・デル・ジョコンダ」ということであり、ダビンチの「モナ・リザ」は、本書のタイトルどおり「ジョコンダ夫人の肖像」ということになる。
本書の中でジョコンダという名前はまったくどこにも出てこない、、、と思っていたら、最後の最後、一番最後の文章で登場し、そしてこの物語が終わる。
ジョコンダ夫人というのは、無名の商人ジョコンダの二度目の妻のこと。それまで、ダビンチはその天才的な芸術の能力をミラノ公(イル・モロ公)のために費やすことで忙しく、他のことをするゆとりなど全くなかった。
なのに、どうして最高傑作と言われるこの「モナ・リザ」のモデルが、名もない商人の二番目の妻だったのか?その秘密が、この物語の中で明かされている。
万能の天才ダビンチは、完全無欠だったか?実はそうではなかった。その欠けていたものを発見したとき、「モナ・リザ」が生まれたと言える。
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ジョコンダ夫人というのが、モナ・リザのモデルの名前だということは知っていたけれど、それでいつジョコンダ夫人は現れるのだろうとチラと考えつつも、
レオナルド(ダ・ヴィンチ)、泥棒少年だった弟子のサライ、サライが夢中になった、器量の悪いミラノ公妃ベアトリチェ、この人たちの過ごす、ワイルドで知的な哲学に夢中になり、それどころではなかった!
文句なしに美しいお話し。
人間の本当の価値や尊厳や喜びや、孤高の天才レオナルドについても見事に語ってくれる。
もっと早くに夢中になりたかったけど、生きてるうちにこの本に出会えて幸せだと、かみしめている。