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わたしは、「教室の悪魔」を読み、心に置きとどめながら
この絵本を使って、いじめられる側の子どもといじめるこどもたちとを苦しめる【いじめ】をなくしました。
それでも
いじめは・・・いつでも復活します。そのたびに、私は戦おうと思います。
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読者からの手紙が絵本になった
ずっと顔を見せてくれない女の子
いじめられて閉じこもってしまった女の子
いじめた子は窓の下を笑いながら通り過ぎていく
中学生になり、高校生になり、
でも、いもうとはどこにも行けない
悲しすぎる いじめの現実
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加害者にとっては一過性にしか過ぎずとも、当事者(被害者)の精神に澱んだ滓は、それこそ完全に消え去ることはない。
日常に潜む、見えざる悪意。
無知の無知が引き起こす、無言の圧搾。
出口のない煩悶に臓腑が抉られるほどの痛みが、本作にはある。
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毎年人権週間の頃、四年生に読んでいます。
松谷さんのあとがきも必ず読みます。
読みながらいつも泣きそうになります。
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何の気はなしに手にとってみたのですが
すごいインパクトの絵本でした
たんたんとしてるけど、妹さんやお母さんの気持ちが痛いほど伝わってきて
呆然としてしまいました
軽い気持ちでいじめとかいじわるとかしてる子に
これを読ませたら
まともな感性がある子だったらいじめとかしなくなりそうな本でした
妹さんかわいそう;;
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母の友で見て、本屋で立ち読みしました。
重いけど、凄く良い本です。
子どもはこの絵本から何を感じるのでしょう。
ユイ丸も大きくなったら読んであげたいです。
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いじめを取り上げた本です。
また、平和を啓発する絵本としても推奨されています。
この本は、
数年前、児童作家の松谷みよこさんのもとに一通の手紙が来た。
わたしのいもうとの話を聞いてください、という内容の手紙だった。
そして松谷さんはその手紙を読み、あまりにかなしくて
自分ひとりの胸にしまっておけず、この絵本を作ったそうです。
絵本自体はたんたんとして、
文章も短く、
凝ったものは何もなく
その裏にあるものを考えさせようとするかのような筋立て。
短くて、立ったまま10分かからず読めてしまいます。
でも、涙が出そうになります。
あまりにも悲しくて、という松谷さんの気持ちがよく伝わってきます。
田舎から引っ越してきた家族
なまりのあったいもうとが、転校した学校でいじめられ―――
絵に、少女(いもうと)が出てくるのですが
後ろを向いていたり、うつむいていたりと、顔がないのです。
描かれていないのです。
ワタスはこの本を読んで
「いじめ」の本質が「差別」であることに気付きました。
(だからこそ平和の本として推奨されているのでしょう
よく「いじめはやめよう」
「いじめをみたら先生に知らせてください」
と言いますが
「差別」が歴然と横たわっている現実世界(社会システム)において
「差別はやめよう」
「差別を見たら先生に知らせてください」
としたところで
いったいどれくらいの効果があるでしょう。
子供を「差別」をするのは大人です。
(“勝ち組”や“負け組”、“負け犬の遠吠え”など
ほんとーにいやな言葉だとワタスなんかは思ったものです。
ものを「差別」するのは大人です。
いじめがなくならないのは、大人のせいではないでしょうか?
過去にいじめられた経験を持つ人と話すと
必ずと言っていいほどトラウマを感じます。
(いじめられてから)もう何十年も経っているはずなのに
すっかり大人になっているのに
「触れないでほしい」
「その部分は放っておいてほしい」という気持ちを
何となく感じます。
医学的には「傷が深い」ということです。
いじめられた記憶が、いつまでも残っているのは「心の傷が深い」からなのです。
そしてその傷は
見えないだけに、だれにもわかってもらえないのです。
ではどうすればいいか。
どうすれば癒されるのか。
それは、おそらく、ワタスが思うには
「自分の中の痛み」をなくしていくことでしょう。
「差別」をなくすことです。
人間であれ、動物であれ
みんな平等だという考えはいかがでしょうか。
癒されませんか?
思っただけで
ふっと、心が軽くなりませんか?
自分の身近なところから、「差別」をなくす努力をすることで
(あるいは「みんな平等だ」と意識するだけで
自分が癒されるのではないで���ょうか。
いじめている人がいたら「おまえのやっていることは差別だ」と言おう。
「いじめて何が悪い」というバカがいたら
「いじめは差別だ、差別は悪い!」と反撃しよう。
もはや、いじめは、いじめ、というユルイ言葉では済まされないのだ。
いじめは差別である、
ゆえに悪いことである、と。
今夜は
そんなことをワタスに感じさせた本の紹介でした。
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昨年、福岡県内で哀しいいじめによる自殺が起きた。福岡県内では今までに何度もマスコミを騒がせるいじめ自殺が起きている。ある地域では生徒の死を受け止めて二度といじめを起こさない教育に取り組む努力をしているとは聞いているけれど、多くの学校や地域では時間と共にできるだけ忘れてしまいたいことになってしまっているんじゃないだろうか。いじめ自殺なんていうのが大々的にマスコミを賑わせたのは東京の中学生が自殺した「葬式ごっこ」事件だったかな。中野富士見中学の鹿川裕史君が盛岡駅構内で自殺した事件だ。それが一九八六年二月。たぶん、「いじめ」という言葉が教育用語になったのはこの事件が最初だったんじゃないかなと思う。
昨年の事件が起きたから騒ぎが再燃したようにはなっているけれど、現場ではずっといじめは課題としてついてまわっているよね。それは実感だよね。ということは自殺にいたるかどうかはともかく、いじめによって学校から切り捨てられた子どもってものすごく多いんじゃないだろうか。そんなことを思って思い出したのがこの絵本。本棚を探して久しぶりの対面をした。古くてもいい。いいものは紹介しなくっちゃ。
この本は松谷みよ子という超ビッグな童話作家が作った絵本だ。初版が一九八七年十二月。鹿川君が亡くなった翌年だ。そして現在も出ている。私が買ったときは税込み一二〇〇円だったけど、今は税込みだと一二六〇円。内税から外税になっただけ、かな。偕成社の〈新編・絵本平和のために〉シリーズの五冊目に入っている。平和のための本なのだという。えっ?いじめと平和がなんで関係あるの?と思うかもしれないけどそれにはわけがある。松谷さんの『私のアンネ・フランク』(偕成社、一九七九年)という本を読んだ女性から手紙が来たそうな。本書はその手紙がもとになっている。その手紙には「差別こそが戦争への道を切り拓くのではないでしょうか…」とあったという。だから、いじめを見すごすことはアウシュビッツへの道なのだということで〈平和のために〉シリーズに入れてもらったんだと。
本書は「この子は わたしのいもうと ……いもうとのはなし きいてください」というふうに、その女性からの手紙の形をとって語られていく。転校した先で出遭ったいじめ。そのいじめが淡々と語られる。そうあなたのクラスにもあるごくあたりまえの、そう、何でもないいじめ。ただのいじめ、ちょっとした遊び。でも、それが重なっていくと…味戸ケイコさんの絵がせつない。もともとが松谷さんに送られてきた手紙だから、いつわりのない説得力がある。
私はもう何度この絵本を読んだかしれない。しばらくぶりでこの本を読んでみたけど涙がぽろぽろ出てきてとまらなくなる。でも前とは悲しさがちがうみたいだ。出会った子どもの数だけ悲しみが広くなる。抱きしめた子どもの数だけ悲しみが深くなる。最後の頁はほんとうにつらい。初めていもうと自身の言葉が出てくるのだから…。
最初に紹介したように本書の初版は二十年近く前。でもいじめの本質は何にも変わっていない。だからこそ今、みんなに読んでもらいたい。
★★★★ いじめの残酷さにここまで迫った本っ���そうないだろう。そして現場ではたくさんの「わたしのいもうと」を見すごしているのかもしれない。そして、それは戦争への道につながるものなのだ、と松谷さんは言う。たぶん読んだ人も多いだろうし、図書室にも置いてあるかもしれない。でも、教室に一冊ずつ置いて欲しいな。センセイが自腹切っても子どもたちに読ませてほしい。もちろんセンセイに読んでもらいたい。だっていじめを見すごしているのはセンセイなんだから。
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読み終わった後、どうしようもなく悲しい気持ちになりました。
大人にも子どもにも読んでもらいたい絵本です。
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いろんな方に読んでもらいたいと思いました。今までに読んだどんな本よりも、そう思いました。
凄く悲しい話ですが、とても大切な話です。
大学の講義の課題で読んだのですが、心臓を鷲掴みにされたような衝撃がありました。その講義では他にもさまざまな児童書を読みましたが、この本が一番心に残っています。
いつか子どもに本を読む機会があったら、そのときはこの本を読みたいと思っています。
この本が多くの人の目に触れ、「いじめ」について考えるきっかけになれば、と思います。
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いつの時代も変わらず繰り返される『いじめ』。『いじめ』が原因とされ失われゆく尊い命は跡を絶たない。どんなにメディアや学校や地域や家庭で声を大にして叫んでみても、哀しいかな無くならない。
この絵本は『いじめ』の事実のみを淡々と語る。この動かぬ事実の前にあなたはどのように考えるか?と、突きつけられる。いじめられて逃げ場を失っている者と同じように、逃げ場のないこの問いに私は足掻くことしかできない。実に苦しい...。折り紙を折るようになった彼女に、折り鶴に込めるメッセージは何なの?と応えのない問いかけをしたりもする。
声高に戦争反対を叫ぶのでなく、静かに、子どもたちに平和の重さ、いのちの尊さを語りつぐ<絵本・平和のために>6冊中の1冊。この1冊を除く5冊は『戦争』がテーマ。これは『いじめ』がテーマ。作者あとがきで、いじめは差別すること。差別こそが戦争へとつながるのではないかと書かれている。広義に解釈すればそうなのかもしれないが、私は今ひとつ腑に落ちない。
私たち誰もが差別のない平和な世の中を望むのだが、差別無く生きることの難しさを日々痛感する。もし、差別することも差別を感じることもなく過ごせているならば、それはとても幸せな事だと思うが、どれ程の方がその幸せを感じているだろうか。
差別はなくならない。皆同じ世界などあり得ないのだから。差別のストレスを感じさせなくさせるのは互いを認める事、受け入れる事、愛する事ではないか。差別が戦争を生むのではなく、認めず、受け入れず、愛さず憎しみを抱くからこそ争いは生じるのではないか、そんなことを考えさせられた絵本でした。
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図書室でふと手にして読みました。とても辛い、辛すぎる絵本です。
いじめについて考えるにはインパクトも十分で良い教材になると思いますが、
読んだ後、なんとも言えない辛い気持ちから立ち直るのに苦労した一冊でした。なので、とてもよい絵本ですが☆が三つしかつけられません。
小学1年生の子供にはまだ読めません。
もう少し大きくなってから読ませたい絵本です。
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私が生まれた1987年12月に書かれた本。
現代の話だと思ってて読んだからびっくりしました。
20年以上前にも、今と同じように、
こんな悲惨なことが起こっていたんだね…。
恐らく、本物の手紙からは、この本では伝わりきらないほどの
切実さや無力感や儚さや哀しさが伝わってきたんだと思います。
だから作者さんや出版社の方は発行したんだと思う。
私は…さらっと読んでしまったんだけど、
1987年に書かれていたことを知って、
本当にずっしりこの話が響いてきています。
年月が経っても何も変わらないなんて。
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暗くて重すぎる絵本。
こんなになるまで、なぜ周りのおとなが気がつかないの?ととても陰鬱な気持ちになってしまった。
正直、あまりにも救いようがなく、子どもに読ませてはショックが多きいのではないかとも思うし、私自身も、もうこの絵本は読みたくないと思ってしまった
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小学校の図書室にありました。この絵が怖かったはずなのに低学年のころ何度も読み返していました。白い鶴が頭から離れません。