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シリーズの既訳巻のなかで、非常に特異な巻だと思う。
というのは、ここで今までの、タール・キャボット=(理想的な)英雄、という図式が粉みじんにされてしまうからだ。
そもそもこのシリーズは、バロウズタイプの作品として発表された。
バロウズタイプであるならば、主人公は(ほぼ)完璧な英雄でなくてはならない。それはジョン・カーターを見れば良くわかる。
しかし、アメコミなどにも現れている通り、次第に、アメリカにおいても、「完璧な英雄」は求められなくなった。
もしかすると、ベトナム戦争や湾岸戦争の影響も、原因なのかもしれない。
SFにおいてもニューウェーブ運動がイギリスで起こり、ますます作品において主人公が英雄である事が求められなくなってきた。
そこで、作者はタール・キャボットの人間像をここでリメイクしたのだ。
タール・キャボットに、思わぬ打撃を与え、自分が英雄などではなかったということ、人間には崇高ではない部分、つまり卑屈で卑怯な部分も必ずあるのだという事を思い知らせてしまうのだ。
従って、ここからシリーズの雰囲気は大きく変わってしまう。
もちろん、だからといってタール・キャボットの英雄性がなくなるわけではない。
それはそれで、シリーズの人気を保つためには良いと思う。
しかしながら、残念なことは、ここからタール・キャボットがトラウマを延々と引きずってしまう、という事だ。
せっかく、神官王に対する「他者」の存在がクローズアップされ、面白くなってきているというのに。
さて、本巻は前巻のタルン競争のような凄い盛り上がりはないが、ゴルにおける船の様子が克明に描写されていること、わけても、コス島とカル港との一大決戦は、架空戦記の好きな人なら楽しいのではないかと思う。
シリーズは、ここまでの部分と、これからの部分にワンクッションおくためか、次巻は主人公がタール・キャボットではなく、NYのセレブとして生まれ育った若い女性となる。
これもあってか、翻訳はこの巻で止まってしまった。残念。